second episode(3):朱き月の巫女の運命/リンカーネイト・コントラクト

『朱き月の巫女』――

 その単語はこのタイミングでは一番聞きたくなかった。

 よりにもよって『朱き月の巫女』を損ねるというのは、絶対にあってはならないことだ。

「……待って、マルグリット。もしかしてそれって、まさかあの千年に一度生まれ変わり、もう一つの月を支配する竜の王シェラザードが寵愛するあの『朱き月の巫女』の話じゃないよね」

 それしかないことはほとほとよく知っているが、一応聞く。

「知っていたのか。ならば、もっと前に話すべきじゃったな」

 くそ。

 そう大声で告げてやりたい気分だ。

「あの、その『朱き月の巫女』というのは?」

 すっかり沈黙していたお姉様が言う。王族の知識大したことないな。よしわかった。説明しよう。

「竜の王シェラザードはこの世界の支配を夢見ています。けれど、それにはある理由があるのですよ。神話の時代、シェラザードは朱き月から一人の少女、ティアを見つけ恋をした――


 この世界の裏には、魔に属するものたちが住む暗黒の次元が存在します。

 そこにはこの世の果てに天上界へと至るエ・テメン・アン・キがあるようにエ・テメン・ニ・グルと呼ばれる闇の深層へと続く道があって、そこに朱き月とシェラザードがいたのです。

 それで、次元界を挟んで却って現世と隣り合うその場所で、シェラザードはふと目にしてしまったのです。

 少女ティア、これから彼の竜の運命を支配する一人の魂を――

 シェラザードはどうしてか、どうしてもティアが欲しくなってしまった。だから、物質次元を支配して彼女を手にいれようと考えたのです。

 竜と暗黒の軍勢は、無辜の人に侵略を行いました。

 でも、それは恐れだったのです。邪悪なる竜であるシェラザードは、定命の人たるティアに愛されるとは思わなかったから、世界を革命しないといけないと思ってのこと。

 荒れ狂う竜を見てティアは言いました。

「あなたを受け入れる。あなたを、永遠に想う」と。

 使命からではなく、シェラザードの暗黒の羽根と彼の竜の支配する朱き月に似た真紅の瞳、その不器用でまっすぐな心を愛しく思ってのことです。

 でも、シェラザードは疑いました。

 闇に生きるものとして、人の移ろいやすさを知っていたから。

 シェラザードは哀れな心の持ち主で、全てを手にせねば休まらない。

 だからその時、ティアは祈ったのです。

 二つの月、この世の銀の月と、あの世の朱き月。

 その二つに、自分とシェラザード、二つの魂を重ねることで、彼に真実の愛を伝えたいと。

 そうしてシェラザードとティアは一つになりました。

 ティアの中に、シェラザードの心が収まることによって――

 でも、それは長く続かなかった。

 この世のはじまりから終わりまでを生きるシェラザードにとって、ティアの一生はあまりにも短い。

 シェラザードは確かに愛を知りました。

 でも、それは報われない恋。

 ですが、その千年後――ティアは生まれ変わったのです。

 だけど、本当の恋を知ったシェラザードは一人ではなく二人でいたがった。

 だからシェラザードは相変わらず世界を望んだんです。

 だって、朱き月は人の住めるところではないし、朱き月の支配者たるシェラザードがその役割をほうり出すことは出来ない。

 だったら物質界をシェラザードのものにするしかない。

 そして、だからティアの生まれ変わりは月の奇跡でその身を捧げました――荒れ狂う恋人がこの世を焼かないように。

 シェラザードの力でいくらか丈夫になった身体が持った時間と、その喪失を悼んだ時間が合わせて千年。

 また、彼女は生まれ変わって、おんなじことが起きた。

 そんなことがずっと、千年ごとに続いて……

 いつしか、ティアの生まれ変わりは荒ぶる朱き月の竜を鎮めるその役割から、『朱き月の巫女』と呼ばれるようになったのです。


 ――以上が『朱き月の巫女』の物語です」

 さて。

 その朱き月の巫女の魂とはロマンのない言い方をすればつまり意識データの識別子である。それは私により上書きされた。

 だから、それってつまり私ではない。魂の魔法はもうない。

 ついでに言えば、私はお姉様のもので、シェラザードのものではない。

 シェラザードにはひどいことをしてしまったが、要点は『これが千年周期なのは単にシェラザードが毎度懲りずに千年もわんわん嘆いているからで、別に巫女の生まれ変わりを待つ必要とかまったくないし、なんなら巫女の居ぬ間にさっさと侵略してしまったほうがいい』ということで、つまりそろそろ気兼ねなくシェラザードが世界を侵略に来るということ。

「……シェラザードは結局、悪い方ということなのですか?」

 お姉様が問う。

「シェラザードの善悪はともかくとして、私はもう『朱き月の巫女』としての役割を果たせません。そういう意味では敵です――マルバスなどより、遥かに恐ろしい」

 シェラザードは要するに朱き月に纏わる魔物全ての王だ。大総裁ごときより遥かに脅威であり、格としてはむしろ神格に近い。

「世界は、終わるのか」

 マルグリットは力なく言った。

 それに答えたのはお姉様だ。

「それを覆すのが、私と彼女の新たな運命です」

 大嘘。

 私たちは力ない勝手な神に過ぎない。

 ただ、幸せな夢を見たかった――だけど。

「世界は残酷な運命で何度でも私たちを試すけれど、それでも勝利を望んでいる。マルグリット、私の、私たちの置かれた『より大いなる運命』はそういうものなんだよ」

 お姉様の顔を見て、確かめるようにそう言う。

 見つめ返す彼女の顔が頷いた。だとしたら、それでいいのだ。

 これは私とお姉様が勝利する気楽な物語なのだから、他の原理はいらない。

「マルグリット、剣を。今の私たちには『叡知の剣』が必要なの。……信じて」

 言葉はそれで十分。

 今ここにいるのは私だ――そして、私たち。

 ここに残り村の復興を助けたい私は、これまでの私であっても今は私の一部でしかない。

 そしてそれは誤った選択なのだ。シェラザードを倒せるような奇跡は私たちしかいないことを、私は知っている。


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