second episode:此岸を逃れ彼方の国を求めるひとときの幸せな旅/インタールード・ジャーニー

「星幽の向こう、天かけるほうき星の姫アストリアよ!ここに汝の意を示せ!」

 朗々と呪文を唱え、不意に極端な疲労感に襲われる。

 揺らめく視界の中、天空から無数の光の柱が現出し、ちりつくような肌のざわめきと共にほうき星の姫アストリアの力が敵を滅ぼすのを見た――そこには、ただ破壊の痕だけが残る。

 まあ、敵と言ってもスライムなのだが。

 この世界のスライムは、可愛げのあるほうのスライムで、ペットとしても人気のある無害な生き物だ。

 こんな強大そうな魔法を行使する必要はこれっぽっちもない。

「あー、ダメ。ダメです。お姉様、膝枕してください。パタンきゅう」

 例えていうなら、急激な吐き気と頭痛と疾走後の疲労感。魔力を急速に消費したことを理由とする、一種の酔いだった。

「もう、仕方ないなあ。……結局、だいたいなんでも出てしまうって認識でいいわけだ?」

 私たちはメリアボラス城とニーナローカを結ぶ道のりの7割を越えたところにいた。さすが王族の馬は速い。

 そして、夜が明けたために、お姉様が休憩用の拠点を張り、私はこうして魔法の練習……というより研究をしていた。

「なんでも、っていうのは違いますね。精霊や神々といった、霊的次元アストラル・ディメンションの存在が起こすことの出来る作用だけです」

 魔法の発動に決まった様式はない。

 マルバス王に撃った火焔の槍イグニスジャベリンのように直接魔法の名前を呼んでもいいし、先程のように長々と詠唱してもいいし、なんなら、「燃えろ」の一言でも、発声しなくてもいい。

 重要なのは意識的にその魔法効果を発生させることと、それがどういう過程で――つまり、どの霊的次元アストラル・ディメンションの存在の力で――実現されるかということを認識すること。

 そうすることで魔力がディメンションを伝ってそれらの元に届き、その対価として魔法効果が実現される。

 逆にいえば、それだけで身の丈に合ってないような魔法も実現出来てしまう――今回のように。

「うーん、わかったようなわからないような。どれどれ。『火よ!』」

 そういってお姉様の指先から迸った炎は、瞬間的な爆発を起こし用意した薪を燃やし尽くしてしまった。

 恐らく、力のパスのイメージがうまく出来ていないのだ。

「……お姉様には向いてないみたいですね」

 そういい、時の守り人クロイスの力を借りて薪を元に戻し、そこから火をつける。

 うっ、また吐き気が。

 アストリアもそうだが、当分神霊の力は借りないでおこう。

 人格を持つようなのは危ない。フィア覚えた。

「大丈夫?」

 お姉様が訊く。

「かふっ、あー……、そんなにです。マルグリットが『教えた以外の魔法を試すんじゃないよ』と言った理由がわかりました。こふっ」

 茶化して言ってみるが、思ったより負担が大きい。

 なんだか内蔵をかき混ぜられたような感じだ。

 なお、マルグリットは私の魔術の師である。

「あー、魔法薬のひとつでも作って……いえ、今朝のうちに作った魔法薬から、紫のやつを」

 紫の魔法薬は、魔力の安定に効果する。

 瞬間的な回復には扱えないが、その分負担も少ないためこういう状況では便利だ。

「これ?」

 お姉様が手元の鞄からフラスコを取りだし、ゆらゆらと入った液剤を揺らして見せる。

 それ。

 コクン、と頷いて同意を示す。

「ほら、飲めるかい?」

 そう言ってお姉様は私の口を片方の手で押さえて開き、もう片側の手でフラスコを口にあてがった。

「悪いですけど、お願いします」

 ほんと言うと飲めないことはないが、変則あーんを諦めてまで無理する理由はどこにもない。

 ……言うほどあーんかはともかく。

「じゃあ、そうさせてもらうよ」

 この時、お姉様手ずからそそいでもらった魔法薬は幸せの味がした。すーっと倦怠感が引いていき、身体が楽になる。

 ひとしきり落ち着いたあと、お姉様が訊いた。

「そういえば、どうしてエルメンリットに向かうのにニーナローカに?」

 確かに説明してなかったな。

 これには、理由はいくつかある。

「まず、立地的に近いという理由が挙げられます。エルメンリットは本質的に異なる次元界に属しますが、この世においてはニーナローカよりやや南南西に行った先の『霧の森』最奥、霧の湖と重なっていますから」

 エルメンリットは伝説の都市だ。

 高い教養を持つ王家の姫と言えど、知らないのも無理はない。

「次に、単純に当分ニーナローカに帰る機会もないでしょうから、家族に挨拶をしたり、いくつかの持ち出さなかった私物――武装とかですね、まあたいしたものじゃないですけど――これを持ち出すため」

 魔法使いが武装を持たないことにどれだけの意味を持つかは疑問だが、あのときの私は警戒されないようそういったものを置いてきた。

 ……それを差し引いても、家族には声をかけたかった。お姉様には悪いが、私にも村娘フィアとしての情がある。

「最後に、マルグリットから『叡知の剣』を貰うため。これは 霧の湖とエルメンリットをつなぐポータルを開くのに必要になります。昔の私はあれがなんなのか理解してなかったんですけど、今はあれがそうだと確信をもって言えますから。……逆に言えば、この存在を思い出したからこそ、エルメンリット行きを提案したわけです」

 エルメンリットの詳細を知るものが少ないように、その到達への鍵である『叡知の剣』の存在を知るものもそういない。

「なるほどね。そもそもニーナローカに行かないとエルメンリットにも行けないわけだ」

 お姉様はそう結論つけた。

 それから無言の、しかし心地よい時間がいくらか続き、お姉様が言う。

「そろそろ行く?」

 私は首を降り、こう答えた。

「いえ。一応魔物避けはあるとはいえ、悪魔の存在を思えば夜の眷属に寝込みを襲われるほうが危険です。永遠なる月の女王エルプスの力を呼べるなら別ですが、今はそんな余力は……。従って、夜間に強行軍をするほうがかえってましです」

 この世界の闇は深い。

 それは、己の前世のカルマを思えば、警戒しすぎることはないということだった。

「じゃあ、今のうちに少し休もうか」

 ああ、思い返してもこのあとの時間は幸せだった!

 お姉様と同じ軽食を取り、聖水で濡らした布により互いの身を清め合い、私たちは同衾して互いのことを話し幸せな眠りに落ちたのだから、それが幸せでないものか!

 姫と呼ばれる身の上の割にお姉様の手料理は繊細にして美味しく、また、私の料理を「素朴で、暖かくてよい」と誉めてくれた。

 彼女は私の身体をとても大切にしてくれたし、それに、前世よりずっと、一度洗いっこというものをやってみたかったのだ。

 ……いや、妹とはやったことあるよ?でもお姉様は特別っていうか。ほら、なんかさ。違うじゃん。

 そして二人隣り合って横になり、言葉を交わす穏やかな時がこれほど素敵なものだと初めて知った。

 情熱的な愛の言葉にも色欲の交合にもなし得ぬ、純粋なつながり。プラトンの真意を見たよね。え、わからない?ほら、よくプラトニックって言うじゃん。あれって肉体的な繋がりを越えて心の繋がりがあって、それは主の無償の愛にも似た限りなく純粋なアガペーに到達できる尊いものだとかそんな意味なんだけど。

 そりゃここまで死んだりしたけどさ、やって良かったよ。

 今日はそんな幸せな日だった。


 ……なんて結び文句で結論つけられるようには、この世界は出来てなかった。

 そんな幸せな眠りから覚め、一路を行けば――

 私の故郷、ニーナローカは燃えていた。

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