31.ライブ本番!
ステージで歌うのは3曲。いな穂の希望で、いずれも昂宗が昔に作った曲になった。
『この3曲をやりたい』
オーディションの次の日、河原での練習前にいな穂から伝えられた。
『聴き込んですでに練習済み。いつでも歌えるよ』
どうやら、弟の
『歌詞は聞き取って書き起こしただけだから、間違っていたら教えて』
昂宗はタイトルと歌詞に目を通すと、つい笑みがこぼれた。いな穂から怪訝な視線を向けられたため、昂宗は慌てて弁明する。
『違うんだ、3曲とも当時ぼくが特に気に入っていた曲だったから、嬉しくなっちゃって』
『じゃあこれでいい?』
『うん、問題ないよ。ただ、ちょっと待ってね。今思い出すから』
昂宗は自分で作った曲たちをかれこれ3年は弾いていない。それでも案外覚えているものだ。気が付けば自然と指が動き出して、歌いたくなった。けれど、その必要はなかった。歌はいな穂が歌ってくれるから。
カウント3秒前。
ワン、ツー、スリー、フォー。
いな穂の左手に合わせてイントロに入る。
1曲目は『イルカ』だ。
昂宗のリズムギターにいな穂の歌声が初めて重なった瞬間、会場の空気が目に見えて変化した。ゾクゾクが始まった。始まったんだ。
『なんの変哲もない 平穏で退屈な毎日に
刺激過激衝撃的 スパイスを加えたんだ
完全にイっちゃったさ K点越えまさに半狂乱のなか
摩訶不思議仰天 初めて見えたんだ世界が
なぜかそれまでの 全てが馬鹿らしくて
ついに手に入れても 明日にはもういらない
なぜ?
イルカのように海を スイスイ泳げたなら
ちっぽけな幸せ抜け出して もっと違う何か見れるかな
わかっているんだ 僕は自由だ』
1番の歌詞が終わった。会場がもっともっとと欲しがっている。その気持ちを切らさないように。大丈夫。鳥肌が痛いくらいだ。次に進もう。
『なんの変哲もない 平穏で退屈な毎日は
超絶至極真っ当 誰しもが羨むだろうけど
ないものねだりばっか 今日よりも優れた明日を探す
再三再四勘弁してよ そろそろ疲れたんだ
不意に傷つけた 誰かを思い出して
作り笑いなんかもう いいよ辛いだけ
なぜ?』
昂宗のギターソロだ。どうしようもなく全身を駆ける快感。これ以上ないと暴走している。早く発散しないと。目の前のこいつに、負けてはいられないんだ。Cメロに入る。会場はすでに、いな穂の歌声にイカれてしまった。
『波を避けて 歩く浜辺
波を避けて 歩く浜辺
日付超えて 踊るホーリーデイ
日付超えて 踊るよホーリーデイ』
一瞬の静寂のあと、いな穂と息を合わせる。ワン、ツーでラスサビだ。
『イルカのように海を スイスイ泳げたなら
ちっぽけな幸せ抜け出して もっと違う何か見れるかな
わかってないな僕ら自由だ
イルカのように海を スイスイ泳ぎだした
大それた野望振りかざして 想像できる明日とはさよなら
わかっているんだ 僕は自由だ』
1曲目が終わって割れんばかりの拍手が昂宗といな穂を迎えた。しかし、なんだか煩わしかった。いな穂は昂宗の想いに答えるように、拍手が鳴りやまないうちにカウントに入った。次の曲は『翔べ!』。
『毎朝僕が出会うのは 昨日の夜の名残
おはようって唱えたら 跡形もなく消える
だったらいいのに
明日の君は出会うのさ 明日の僕に運命だ
挨拶もなしに話したら なにそれって笑ってくれた
深い深い闇が君を蝕んでも
大丈夫さ僕がずっと 隣で笑うから
このまま翔べるさもっと 翼はないけどきっと
未来に背を向けて行こう 不器用な僕らじゃ難しいんだ
今より翔べるさもっと 果てのない彼方へきっと
いつか落ちると畏れるより 今この瞬間を楽しんでいたい
見ろよ空で ああ雲が泳いでる
毎日僕が出会うのは 誰かの焦りと嘆き
全て嫌になったはずなのに 君に会えばどこかへ消える
辛い辛い過去が行く手を阻んでも
大丈夫さ僕らはずっと そうやって歩み来たんだろう』
2曲目の間奏に入った。未だにいな穂は昂宗だけを見つめ続けている。すべて昂宗だけにぶつけてくる。その意味で、会場に流れているのは、あくまでもいな穂の本気じゃない。零れ落ちた僅かなエネルギーだ。僅かな「魂」だ。それでも彼らは狂ってしまった。
きっと昂宗も狂ってしまっている。いな穂だってそうだ。もうなんだっていい。とにかく魂を音にして、いな穂に答えようとする。それだけでいいはずなんだ。
『このまま翔べるさもっと 翼はないけどきっと
未来に背を向けて行こう 不器用な僕らじゃ難しいんだ
今より翔べるさもっと 果てのない彼方へきっと
不安や畏れ? そんな暇はない 今この瞬間を抱き締めているんだ
見ろよ空で ああ雲が泳いでる
さあ僕らこれから さあどこへ行こうかな』
2曲目が終わって、やっと少しだけ冷静になれた。そして気が付いた。今日のいな穂はいままでとまるで違う。あの日見た本物の輝きをはるかに超えていた。
それも残り1曲。冷静さなんていらない。もう何も考えられないし、考えたくもなかった。ただいな穂と見つめ合う。それから彼女のカウントを待った。
いな穂は1度目を閉じて、深呼吸をした。そして目を開く。昂宗に訊ねる。
『最後、いこう』
昂宗はいな穂のカウントを待たずにギターをかき鳴らし始めた。
3曲目は『バス』。
『生きているだけで 擦り切れてゆく気がして
知らず知らず書き記したノートを見れば
時が経てば大人になって 誰かを愛し愛されて
幸せになれると思っていた
朝日が辛く堪える体に 鞭を打ち人混みを歩く
そんな日々を今日だけは捨てて
ノロノロ走る街中すぎて
緑生い茂る山も越えて
どこに着くとかよくわからないまま
ただ今は景色だけ楽しんでいたい
世間のいう幸せとか 成功とか興味ないし
目標も目的も未来も 全部横において
今は今だけを生きよう
ノロノロ走る街中すぎて
緑生い茂る山も越えて
どこに着くとかよくわからないまま
ただ今は景色だけ楽しんでいたい
誰よりも遅い歩みを止めて
行き先を示す道から逸れて
どこに着くとかよくわからないけど
一つひとつの瞬間を生きたいそれだけ』
最後になって初めて、昂宗といな穂は客席を向いた。
そこに広がっていたのは、昂宗といな穂がいつか描いた景色だった。
ふたりは固く手を結び、一度深く頭を下げた。それから顔を上げて、高く両手を掲げた。
いっそう大きくなった拍手に包まれながら、ステージを後にした。
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