後編 夢遊病の恐怖

垣間見えるもう一人の人格

  ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅 二〇一五年八月一五日 午前三時〇〇分

 夜中に喉が渇いたというさりげない理由から、夜が明けぬ一階リビングへ向かう謎の人物。だが当の本人はそう説明するものの、“自分は確か寝室で寝ていたはず?”と一階へ下りてきたこと自体覚えていないようだ。これも夢遊病ならではの特徴でもあり、この病気の恐ろしい点でもある。


 ふとした偶然から、夜中のリビングへやってきたマーガレットとジェニファーの二人。ある意味運命のいたずらとも呼べる場面を、二人は目撃してしまったのだ。こんな結果になるとは想像もしていなかっただけに、マーガレットは心の震えを押さえながらも自分たちが良く知る相手――の名前を口にする。

 

 今まで何百回も香澄の名前を呼んでいたマーガレットだが、今回はその重みがまるで異なっていた。しかも自分たちの親友の変わり果てた姿を間近で見てしまったためか、冷静な判断が出来なくなり視線もあちこちに泳いでいる。ジェニファーはもちろんのこと、オカルトやホラーといった怖いお話が好きなマーガレットでさえも、ある意味となってしまう――とは、まさにこのことだろう。


 一方の香澄は自分自身に何が起こっているかまったく把握しておらず、少し目を細めながら目の前にいる二人を見つめる。だが恐怖を目の当たりにしてしまったためか、香澄が近付けば近付くほど、その動きに合わせるかのように後ずさりするマーガレットとジェニファー。

「どうしたの、二人とも? まるで私をみたいだけど……」

親友の態度に少し苛立ちを感じながらも、追及することを止めない香澄。無心に香澄が追いつめていく間に、ジェニファーの背中が“ドスン”と一階の洗面所へぶつかる。


 だが一向に自分が避けられる理由に検討がつかない香澄は、煮え切らない態度を続ける二人の態度に少なからず苛立ちを覚えていく。

「――二人とも、やっぱり私のことを避けているでしょう!? 私があなたたちに、一体何をしたの? 一体私の何が気にいらないの?」

 次第に感情をあらわにする香澄――強い孤独と不安によるためか、少しずつだが言葉を荒げていく。声はそれほど大きくないものの、落ち着いた口調の多い香澄から発せられるとは思えない怒りを見せている。

 同時に二人の目の間にいる女性は、マーガレットとジェニファーが良く知る香澄ではない。今の香澄は人を穏やかにする優しい表情ではなく、目つきがどこか狂気に支配されていた――それに加えて、今にも暴れ出しそうな険悪な雰囲気を漂わせていた。

 今は言葉を荒げるにとどまっているが、この時の香澄は完全に冷静さを失っていることは明白だ。同時にこのまま香澄と一緒にいれば、後に何をされるか分からない――そう二人は直感しているのかもしれない。はっきりと断定は出来ないが、香澄の中にもう一人の人格が誕生しようとしている瞬間でもある。


 香澄のためを思いながらもこれ以上隠しきれない――そう決心したマーガレットは嫌な役回りだと思いつつも、

「本当は私も……こんな結果なんて望んでいないのだけど」

と独り言を言いながら洗面所のスイッチに恐る恐る手を伸ばす。


 目に涙を浮かべながらマーガレットが洗面所のスイッチを押すと、そこにはパジャマ姿の香澄が鏡に映っている。夜中という時間帯もあってなのか、香澄自慢の黒髪のロングヘアも今は後ろで二つ結びの状態。

『洗面所の明かりをつけるだけなのに、何をそんなにためらっているの?』

いつになく煮え切らない二人の態度に疑問を抱きながらも、言われるがまま洗面所に映る自分の姿を確認する香澄。

「……えっ!? これは一体……どういうことなの!?」

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