前編 氷のような冷たい出来事
月夜に浮かぶ怪しい人影
一〇章
ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅 二〇一五年八月一五日 午前二時〇〇分
シアトルの街も午前二時を迎え、日中は賑やかだった街並も一時の休息を得ている。夜一〇時前後まで点いていた住宅の灯りもすっかりと消え、朝に備えて寝息を立てているに違いない。
そんな誰もが寝静まったハリソン夫妻の自宅では、
『昨晩はちょっとお水を飲み過ぎたかな? は、早くお部屋に戻らないと』
ちょくちょく重い瞼をこすりながらも一階から二階へと上がり、ジェニファーは一人自分の部屋へと戻る――月明りに映るその姿は、とても神秘的だ。
だがジェニファーが二階へと続く階段を上ろうとした矢先、洗面所の方から水を流す音が聞こえてきた。誰かの気配を感じたジェニファーがとっさに視線を送ると、部屋の中から女性らしき人影が見える。しかしここからでは暗く見えなかったので、“誰?”と声をかけながらも、ジェニファーはその人物へ歩み寄る。しかしジェニファーが声をかける前に、
「あら、こんな時間に会うなんて奇遇ね。どうしたの、ジェン?」
と相手側から話しかけてきた。不審者ではないと安堵したため息を吐きながらも、
「……えぇ、ちょっとね」
ジェニファーは暗がりに映るマーガレットへ軽く挨拶を交わす。その後マーガレットは洗面所へ向かい、ジェニファーと同様に手を洗う。そして何事もなかったかのように、ジェニファーが待つ階段前までそっと歩み寄る。
最初はすぐに自分の部屋へ戻ろうと思ったのだが、一階でマーガレットと出会ったことで軽く眠気が覚めてしまうジェニファー。そこでジェニファーはマーガレットに、ある世間話を持ちかける。
「そういえばマギー、次回公演の役を決めるためのオーディションって、確かもうすぐだよね?」
「えぇ。でもオーディションは八月二四日の夕方~夜くらいだから、まだ少し余裕があるって感じかな?」
「――ちなみにマギー。オーディションはどこで行う予定なの? やっぱり劇団の本拠地でもあるベナロヤホールかな?」
「いいえ、“カリフォルニア州のサクラメントで行う予定”って支配人が言っていたよ。今度のお芝居の脚本家さんがカリフォルニア州に住んでいるから、場所も急遽そこへ変わったんだって」
どうやらマーガレットが受ける予定のオーディションは、八月二四日の夕方からカリフォルニア州の州都サクラメントで行われるようだ。軽い世間話として練習の進み具合について問いかけるいジェニファーに対して、
「まぁ、明日は軽くジョギングや発声練習くらいはすると思うけど。でもそんなにハードな練習はしないから安心して」
と普段より練習量を調整していると語るマーガレットだった。
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