香澄の日記(四)

 二〇一五年八月三日 午後一時〇〇分……この日はメグとジェニーは外出する用事があり、ケビンとフローラもお仕事でワシントン大学へ行っている。久々に一人になった私は気分転換をかねて、ワシントン大学構内にあるスザロ図書館へ向かう。そこで私は心理学に関する専門書を一読し、『芸術療法』『臨床心理士の心得』の書物へ目を通す。

 実はこれらの専門書はいずれもフローラが書いたもので、心理学の勉強にはうってつけの本――私もいつかフローラのような、皆に尊敬されるような立派な臨床心理士になりたいわ!


 二〇一五年八月三日 午後五時〇〇分……二冊の専門書を読み終え、これまで回転が鈍くなっていた私の頭にとっても良い刺激となる。気持ちもとても充実しており、これなら何とかなりそう――そう思った矢先のことだった。


 帰路へ向かう途中に私はある女性とワシントン大学正門前でぶつかってしまうのだが、その相手こそなんとだった。私はさりげなく声をかけるが、相変わらずエリーの瞳は冷たく鋭い。

 ちょうど私の心も充実していたこともあり、思い切ってエリーと一緒に旧心理学サークルの部室へ向かう。そこで再度私は自分が体験したことを、トムに対する気持ちをエリーへ伝える。すると以外にもエリーは私の言葉に耳を傾けてくれ、彼女の顔にも次第に優しさが浮かび始めたのだ。

 だがここで自分の気持ちを率直に伝えすぎたのか、私は再びエリーを怒らせてしまう。しかも今回のエリーの怒りは前回以上にすさまじく、彼女がこれまで心の奥底に貯めていたであろう不満をすべて私にぶちまける。エリーの言っていることは筋が通っており、頭が真っ白になってしまった当時の私はただ身震いすることしか出来なかった……


 結局私はエリーとワシントン大学で再会するものの、彼女の気持ちの整理がつかぬ内に話しかけてしまったことが、さらに追い打ちをかけてしまったのかもしれない。どうやらエリーは私が思っている以上に、トムが他界したことに対し強いショックを受けているようだ。

 普段は気丈に振舞っているエリーだが、彼女はなのかもしれない。“高校生の時に両親を病気で亡くした”と以前本人の口から聞いたことがあるため、そのことが今回の一件と関係しているに違いない。


 二〇一五年八月八日 午後三時〇〇分……八月下旬にメグが所属するベナロヤ劇団で、次のクリスマス公演に向けたオーディションが開催される。そのオーディションに備え、私はメグの部屋で彼女のパートナーとして発声練習に付き合っている。

 今年でメグとは一〇年近くの付き合いとなるが、彼女の音楽――特に歌の才能には驚かされることばかりだわ。元々お芝居や演劇が好きだったメグは、小学校から大学に至るまで演劇に関する部活やサークルに所属していた。そんなメグが残してきた青春の日々は、お芝居のためについやしたと言っても過言ではないだろう。

 そのことをメグ自身も意識しているのか、彼女は時間を見つけては自主的に発声練習を行っている。“私が演じる姿を観に来てくれた観客全員が感動するような、そんなお芝居がしたいの”という本音を、メグは以前私にこっそり教えてくれた。この信念を子どもの時から忠実に守り続けた結果、メグは長年の夢だった舞台女優の座をつかみ取ることが出来たのだろう。


 長年の夢を叶えながらも努力を怠らないメグの性格と信念は、私も見習いたいところ。だがその一方で、私は少なからずメグにしているのかもしれない。今日もメグは夢へ向かって前向きに努力しているというのに、肝心の私は足を前に一歩踏み入れることを恐れている――メグも私と同じつらい経験をしたはずなのに、この違いは一体何なの?


 二〇一五年八月八日 午後六時〇〇分……この日はケビンとフローラが早く帰宅したので、久々に家族全員で食卓を囲み食事することになった。フローラ特製のビーフシチューを作ってくれたのだけど、なぜか私には味が少し薄く感じた――から、そのストレスによる影響なのかもしれないわ。

 なお食事をする前にフローラが、“冷蔵庫のフルーツが少ない“と言っていた。私をはじめメグたちも心当たりがないため、結局フローラの気のせいという形で話は終わる――フルーツを少しだけ食べて帰るなんて、随分変わった泥棒ね。


 二〇一五年八月一〇日 午後七時〇〇分……ここ数ヶ月何かとバタバタしていたことを踏まえ、私たちは家族全員で久々の外出をする。行き先はシアトルにあるスペースニードルで、そこから眺める夜景がまた格別。日本で言うところの東京タワーに当たる観光名所の一つで、その絶景を間近にした私は思わず息を飲む。

 私にとっても久々の休息を迎えることが出来たのだが、帰り際に一階のギフトショップから戻ってきたジェニーの様子が少しおかしい。その理由を問いかけても、ジェニーは答えをはぐらかしている――おそらく購入したかったおみやげが売り切れていたのだろうと思い、私はそれ以上追及しなかった。


 こうして日記を書き続けていくうちに、不思議なことに自分の気持ちを客観的に知ることが出来る。言葉では直接相手へ伝えにくいことでも、日記ならスラスラと書き記すことが可能。それだけでなく良い気分転換にもなるので、今後も定期的に気持ちを残し続けたい。

 この世界で一番大切な人たちへ赤裸々な気持ちを伝える――それが今の臆病な私に出来る唯一の方法なのだから……]

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