些細な心の変化
ワシントン州 エリノアの自宅 二〇一五年八月一〇日 午後一〇時三〇分
当初はワシントン州シアトルの観光名所スペースニードルの展望フロアで、夜景を眺める予定だったエリノア。だがスペースニードルでジェニファーと鉢合わせしてしまったことにより、エリノアは急遽自宅へ戻ってきた。
その後すぐに部屋のバスタブで体を綺麗にすると、ようやく少しばかり落ち着きを取り戻しはじめるエリノア。しかし香澄に対する恐怖心を抱いているのは今も変わらないようで、二人が手を取り合える日は当分先のようだ。
寝支度を済ませたエリノアは部屋のベッドにもぐり、これまでの経緯を頭の中で整理している。特に香澄とトーマスのことを深く考えることが多く、エリノアなりに問題解決に向け努力しているようにも見える。
「や、やっと香澄たちと本当のお友達になれたと思っていたのに……どうしてこんなことになってしまうの? わ、私はこれから一体……どうすればいいの?」
何度も自問自答し頭を抱えながらも、必死にその答えを導き出そうと知恵を絞るエリノア。だが今のエリノアに冷静な判断が出来るはずもなく、独りよがりの誤った考えに支配されてしまう可能性も否定できない。
「やっぱり私がトムと出会ってしまったことが、今回のトラブルの引き金になったのかしら? それとも私がワシントン大学で、ジェニーや香澄たちと出会ってしまった私が悪いの?」
再度冷静に状況整理をしていくエリノア。その事実こそは間違っていないのだが、香澄たちへの憎悪が増している今となっては、彼女たちに責任転嫁をしようと必死。
「……だ、駄目だわ。いくら考えても、今の私には答えが出せない」
純粋に今回の問題における責任追及という意味において考えてみると、確かにエリノアの言うように香澄たちの方が悪いのかもしれない。どんなに香澄たちが努力したとはいえ、結果的にトーマスを死に追いやったことにかわりはない。
しかし香澄たちが数年という時間をかけて、心を閉ざしていたトーマスへ深い愛情を注いだという一番重要なことに、当のエリノアは気付いていない。今でもただ漠然と香澄たちがトーマスの世話をしていたという誤った認識を持っているため、その歪んだ考えから抜け出すことが出来ない。
この事実をエリノア自身が悟らない限り、仮に香澄たちがどんなに励ましの言葉や説得を呼び掛けても、彼女はその答えに納得しないだろう。しかし心の拠り所を失った今のエリノアにとって、それはあまりにもつらすぎる現実を認めること。
「……もう寝ましょう。何だか今日は色々ありすぎて、疲れてしまったわ……」
香澄と同様に、エリノアの心身にも少なからず影響が見え隠れしている。その代表的な症例として、ここ数週間ほどしっかりと食事を取っていない――いや、食欲がないという表現の方が適切か?
それがエリノアの体重の変化という形で表れてしまい、わずか数週間足らずで数キロも体重が下がってしまう。その影響からか、これまでは桜色だったエリノアの頬もここ数日は血の気が無くなりかけている。さらに軽い栄養失調状態にもあることから、今のエリノアは軽度の拒食症を発症していると思われる。
拒食症――別名摂食障害とも呼ばれており、食欲が極端に低下してしまうことが主な症状。従来のエリノアの身長一五五センチに対し体重四六キロで、BMIも一九・一と標準値だ。だがわずか数週間の間に、エリノアの体重は三キロも落ちてしまった。BMIも一七・九と標準をやや下回っており、拒食症を治すことが今のエリノアの最重要課題でもある。
心身ともにエリノアは疲労しており、強いストレスによって拒食症という病気を発症してしまった。今はかろうじて自尊心が働いているため、エリノアが香澄たちに対し一線を越えることはないだろう。しかし逆を言えば、エリノアの感情がいつ爆発するかも分からない危険な状況でもある。
香澄と同様に、今のエリノアにとって一番必要なものは心の休息に他ならない。もう一度自分自身に向き合い、そしてもう一度エリノアが持つ優しさを取り戻すことが何よりの課題。それも表面的な優しさではなく、最終的にトーマスを救えなかった香澄たちを許す広い心が必要なのだ。
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