10-4

 健斗の左腕がそっと私の肩に廻された。私のではない鼓動が聞こえてくる。それを聞いたとき、健斗の気持が暴走しはじめているのがわかった。私はその勢いに呑み込まれてもいいと思っている。

 私は、健斗のほうを振り返りつつ二階への階段を駆け上がった。私は意外に落ち着き払っていた。踊り場あたりで下を見ると、階段を昇りながら不安そうな顔で上を見ながら一段一段踏みしめながら昇って来ている健斗がいた。

 健斗は女の子の部屋に入るのがはじめてなのだろう、ニワトリみたいに直線的に顔を動かせて部屋の様子を覗っている。私は窓際に行ってそっとカーテンを引く。白く爆ぜていた部屋が薄暗い空間に変化した。そこまですればもうこの先に起ころうとすることは健斗にだってわかるはず。

 健斗が後ろからいきなり私を抱きしめた。黙って目をつむった。目蓋の裏側には健斗の横顔が薄っすらと移っている。そっと後ろ手にして健斗に密着する。なぜこれほど大胆な行動がとれるのか自分でもよくわからない。ただわかっているのは、健斗のことを好きだということだ。健斗と一緒の時間を過ごすことによって、一瞬でもあのことを忘れることができた。

「健斗、どうしたの? キスしないの?」

 私は痺れを切らして訊いた。おそらく健斗の胸の中では私には推測のできない葛藤がはじまっているに違いない。でもそれは私にはわからない。

 いわれて健斗が正面から私に近付き、肩に手を置いて一歩前に進み出たとき、私が一歩退いたのがいけなかった。健斗と抱き合ったまま後ろ向きにベッドへ倒れ込んでしまった。

「痛い!」

 ベッドのヘッド・ボードの角で思い切り頭を打ちつけた私は、激痛に我慢しきれなくなって、自然と大きな声を上げてしまった。

「ごめん。ごめん、ごめん」

 尋常でない悲鳴に愕いた健斗は、おろおろしながら私の顔を覗き込み、ただ謝るばかりだ。私はあまりの痛さに頭を抱えたまま躰を小さくした。目から火が出るとはこのことだと思った。健斗は私の掌の上からしきりに撫でてくれる。気持はわかるのだけれど、いまの私は何をしてもらっても満足することはない。

「健斗、冷蔵庫からアイスノン取って来て。それとタオル」

「わかった」

 健斗はあわただしく部屋を出ると、ここまで聞こえるくらい大きな音を立てて階段を降りて行った。

 そっと後頭部を撫ぜてみると、わずかにポッコリとコブができている。こんなの拵えたのは何年ぶりだろうと思いつつ、健斗の持って来てくれたアイスノンをタオルで固定した。

――

 どれくらいそうしていただろう、いま私は躰から何かがストンと抜け落ちた気分になっている。あれほど強烈に打ちつけた頭の中が不思議なくらいクリアになっている。まったくいままでの自分じゃない。どうなっているのかまったくかわからない。

 そっと健斗を見ると、椅子に腰掛けたまま心配そうに私のほうに視線を送っていた。


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