9-2
「ママ、そんな言い方しないで。私だってママがずっと傍にいてくれたら嬉しい。ママと一緒にいられるなら私はどうなってもいい」
私はママの胸に顔を埋めて声を出して泣いた。悲しさが咽喉をせばめた。
「この間も話したでしょ、それは絶対にだめ。麻柚には素晴らしい将来があるし、それに、パパの悲しむ顔を見たくないでしょ? お願いだからそんなことをいわないの」
ママは優しい声で諭すように耳元でいった。私はその言葉をふたたび耳にしたとき、この数週間わけもかからないまま、ただがむしゃらに突っ走って来たことを改めて感じた。でもここまで来た以上、もうあとには退けない。
正直、いまの私はこの状況をキープしたいばかりが先に立って、周りがしっかりと見えてない。でもはっきりといえることは、この事件に異常に興味を持ちはじめた幸希をどうするかということだ。間の悪いことに、近所にキャプテンを目撃したと思われる人物が現れている。想像すると、幸希、目撃者、週刊誌の記者、バスケ部の野間先生、それにいちばん気になる警察のすべてが一直線に繋がるのだった。いまのうちに幸希を何とかしないと、取り返しのつかないことになる気がしてならない。焦燥が私の胸を揺さぶる。
数日後――。
このところ事件に関するニュースは、テレビはもちろんのこと、新聞にもまるで忘れ去られたように報道されない。ついこの前までは蜂の巣を突っついたみたいだったマスコミも、いまでは水を打ったみたいに鳴りを潜めている。それが逆に気味悪かった。
私は、捜査が暗礁に乗り上げていることを祈りつつママの家に向かった。夏休みも残すところあと一週間ほどで終わる。学校がはじまれば時間的に通い辛くなる。そうなる前に存分にママと話がしたかった。
心なしか陽射しが穏やかになったと思いつつ、いつもの橋を急いで渡る。いまになってはここに通うことも日常の生活に同化してしまっている。たった三週間たらずのことでありながらも、随分と長いこと通いつづけているような錯覚に見舞われた。
私はいつもどおり玄関の戸を開けて家の中に入る。ママの姿は見えなかった。構うことなく座敷に上がり込み、ママが戻るのを待った。ややあって玄関のほうで物音がしたと思ったとき、ママが愕いた顔をしながら座敷に顔を出した。
「あら、麻柚、来てたの? ママちょっと用があって近所まで出てたの。待たせてごめんね」
「ううん、いいよ。私いま来たばっか」
私はそういいながらママを見たとき、少し疲れた顔色が気になった。
「麻柚、もうじき夏休みも終わりだね。ママに合いに来てくれるのは嬉しいけど、ちゃんと勉強してるの? そろそろ大学受験に向けての勉強もしないといけないしね」
ママが元気だった頃、耳にタコができるほど聞かされた言葉だ。久しぶりに生前のママを感じた。
「やってるよ。勉強も家のこともちゃんとやってる。心配しなくていいよ。それより、ママちょっと疲れてんじゃないの?」
少し大人になったからか、それともママが傍から離れた存在だからかはわからないけれど、昔のように尖んがってない自分が不思議でならない。
「そうお……」
ママは私を見ながら両手で頬をさすった、何かいいたそうな表情をした。そのとき私の脳裡を過ぎったのは『気』のことだった。それまでママはただ疲れているものだとばかり思っていたのだが、どうやらそうではなさそうだ。永久ということは在り得ないことはわかっていたが、果たしてひとりの犠牲者でどれだけ現状を維持できるか私にはまったくわかっていない。おそらくママだって同じに違いない。
「ママ、ひょっとして『気』が薄れてきたのと違う? 私そんな気がするんだけど……」「そうね。ママも貰い受けたものがどれだけ持続するものかは正直いってわからない。でもいずれは消滅するときがくることだけは間違いないわ。そのときには心残りだけれど、麻柚と別れて別の場所へ行かなければならないの。あの子には気の毒だけど、少しでも長く麻柚と一緒にいられたことに感謝してるわ」
ママは淡々とした口調で話す。それが余計に私の胸を絞めつける。
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