6-2

 私は大きく背伸びをする。微かに背骨が鳴いた。腕時計を見ると、花火の打ち上げまではまだ少し時間があった。いま打ち上げられても何の値打ちもない。こういうときに限ってなかなかとばりが訪れない。わざとゆっくり時間が流れているのかと思うほどだ。

 健斗はコンクリートの屋根に腰を降ろし、じっと花火が打ち上がる方向を見詰めている。

「確かにここなら静かでゆっくりと花火見物ができるよな」

「でしょ? だからいったじゃない、静かに見られる場所だって……」

「そうだけど、気のせいなのか、背中がぞわぞわするんだよな」

 健斗は顔をしかめて嫌そうにいった。私は軽く笑って受け流す。健斗はまだこの街の本当の姿を知らない。そして本当の怖さを知らないでいる。

ふいに私の脳裡に山中先輩の変わり果てた姿が浮かび上がり、なかなか離れようとしなかった。

「なに黙ってんだよォ」

 健斗は苛立ちながらいったあと、日陰に移動しながら胸ポケットから赤と白の函を取り出した。

「えッ! 信じらんないよォ。健斗タバコ喫うの? 見つかったらどうすんの? 間違いなく停学だよ」

「心配いらねえよ。もし見つかったらそのときはそのとき。麻柚には迷惑かけないからさ」

 慣れない手付きでライターの火をタバコに移した健斗は烟を吸い込み、胸に入れないままぷうと吐き出した。それを見て、喫いはじめて間もないことは私にもよくわかった。

 トン、トン、トトトーン

 トン。ト―ン。

 どうやら花火大会がはじまったらしい。おもちゃの太鼓を叩くような低い音が聞こえてくる。

「健斗、はじまったみたいだよ。早くこっちに来て一緒に見ようよ」

「うん」

 花火は白、赤、黄、緑……、不規則な順序でまだ明るさの残る夜空に白い光りがまっすぐに立ち昇り、目の前で大きく爆ぜると、滴のように散らばったあと、あっという間に夏の宵に吸い込まれていった。立てつづけに何発かの音は聞こえたものの、すべてが夜空に花を咲かせるとは限らなかった。

 花火に夢中になっているうちに、もたついていた夕陽もすっかり後片付けをすませて帰って行った。いまでは惹き込まれるほど幻想的なコバルト色のキャンバスが広がり、夜空に開く可憐な花を浮き立たせていた。

 ロマンチックな真夏の夜の饗宴に胸がキュンとなった私は、目頭を熱くしながらいつまでも大きく開いた花火の残像を追った。

 それは突然だった。

私が健斗のほうに顔を向けたとき、すでに健斗の顔が目の前に来ていたのだ。健斗は荒々しく私の唇に唇を被せた。嫌いじゃない健斗だから、今夜はキスくらい許してもいいと思った。少しタバコの匂いがした。

 躰が離れたあと、私はまともに健斗の顔を見ることができない。幸い周りには月明かりしかなかったから顔を見られることもなかった。なぜ健斗はこんな思い切った行動に出たのだろう。私のことを好きでそうしたのだろうか。それとも私と同じに夜空に打ち上がる花火が後押ししたせいなのだろうか。

 そんなことを考えながら、何もいわないで鉄骨の階段をゆっくりと降りはじめる。明かりが乏しくて、仕方なく錆びが手に刺さりそうな手摺りを頼りにした。

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