5-3
すると、ものの五分も経たないうちに山中先輩は躰の変調を訴えた。蒼白になった顔を歪め、息が苦しいといいながら肩で荒い呼吸を繰り返す。先ほどまでのあの男勝りの口調はすっかり消えている。そっと先輩の背中を擦りながらママの顔を見る。私はこれまでに見たことのない凄い形相のママに事の重大さを感じ取った。
眼は鋭く吊り上り、口元は真一文字に閉められている。まるで執念を晴らそうとする般若のように見えた。気持を鎮めようとしているのか、ゆっくりと躰全体で呼吸をしている。部屋の中に重苦しい空気が横溢しはじめ、言葉を発するどころではなかった。
やがて、ママは先輩を介抱するように抱きかかえると、隣りの部屋に連れて行った。私があとを追ってママについて行くと、部屋には一組の蒲団が敷かれてあり、いかにも予定とおりに事が搬ばれているといった様相を呈していた。
先輩は目を閉じたまま歩くのがやっとという状態で、おそらく何が起こっているのか皆目見当がついてないに違いない。ママは躰を屈めながらゆっくりと先輩を寝かせる。ママは振り返りながら、向こうの部屋に行ってなさいと目と顎だけで私を追った。そのとき、ママは先輩のパンツのポケットからスマホを抜き取り、処分しなさいといわんばかりに黙って手渡した。
しばらくしてママが座敷に戻って来た。私がママの顔を見上げたとき、先ほどの顔とはまるで違ったいつものママに戻っていた。
「ママ、先輩は?」不安が神妙な顔にさせている。
ママは視線を畳の縁に落としたまま、首をゆっくりと左右に振った。
「どうして急に具合が悪くなったの?」
「これのせいよ――」ママは湯呑を指差す。
「だって、お茶なら私も飲んだわ」
「麻柚が飲んだのは普通のお茶で、あの子が飲んだのは夾竹桃を煎じたお茶」
「夾竹桃?」
「そう。庭に咲いているあれよ。あの淡いピンクの花は、優しく可憐な花に見えるけど、想像以上に猛毒なのよ。大袈裟ではなく、青酸カリに匹敵するくらいなの」
「嘘ォ、ほんとに?」
私は思いも寄らないママの言葉にそれしか口を衝いて出なかった。
「麻柚、あとは私がやるから、あんたはもう家に帰りなさい」
「でも……」
突然座卓の上に置いてあった山中先輩のスマホが張り詰めた空気を切り刻むように鳴った。着メロはミッキーマウスのテーマだった。
私はスマホを一瞥したあと、ママの顔を不安げに眺めた。ママは首を横に振り、「携帯のことはよくわからないから」と私にすべてをまかせた。
切るか切るまいかしばらく考えたあげく、私は電話が切れるそのままにしておくことに決めた。なぜならば、いまここで電話に出ることもなく電源を切ったら間違いなく怪しまれる。先々を考慮するならそのままにしておいたほうが賢明だと瞬間的に思った。
相手はあきらめたらしくようやく発信をやめた。ほっとした私はスマホを手に取り、念のためさっきこの携帯にかけた公衆電話からの着信履歴を削除することにした。次のコールが鳴る前に急いで電源を切り、処分するようにママに手渡した。
「ママ、このスマホの処分をお願い」
ママは黙って受け取ると、不安な面持ちの私に対して、
「いいから。あんたは見なかったことにするの」と、ママ。
これまでにない語気を強めた口調にたじろいだ私は、家の前に置いてある先輩の自転車をそっと納屋に隠し、何事もなかったように帰り道を急いだ。
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