3-5
私は恐る恐る声のするほうに顔を向ける。私は一瞬我が目を疑った。
そこには一年前に交通事故で亡くなったママが佇んでいたのだ。
一年前に私の目の前から離れて行ったママに対するイメージは、若くて奇麗で明るいものでしかない。しかし、薄暗くてはっきりとは見えないが、私が大好きだったママとは似ても似つかぬ風貌に心臓が停まりそうになった。
ベンチに坐ったままの私は、無理やり息を呑み込み、やっとのようにして声を出した。
「その声は、ママ? ママなの?」
老女は言葉なくこくりと頷き、私の左手をそっと掴んだ。変わり果てた容姿に一瞬戸惑ったものの、老女がママであることはすぐにわかった。しかしどうして死んだはずのママがここにいるのか――頭の中が混乱しはじめている。
「麻柚、元気そうでよかった。パパや夕子も元気でやってる?」
「うん、ママがいなくなってみんな寂しい思いをしてるけど、何とか頑張ってるよ」
ママの手を握り返したとき、これまでのことが思い出され、自然と泪がこぼれた。
「そう、それを聞いてママ安心したわ」
ママは皺深くなった顔を崩して薄い笑顔を見せた。少し気持が和らいだ。
「ねえ、ママ、ひとつ訊いてもいい?」
私は訊かずにはいられなかった。
「何?」
「どうしてこんなに変わり果てた姿になってしまったの?」
「これにはいろいろと理由があるんだけど、いまここで話すとしたら、麻柚が家に帰るのが遅くなってしまうから、明日もう一度橋を渡ってここに来てくれない?」
「わかった。約束する」
「でも、このことは他の誰にもいわないでね」
「わかってる」
ママと私は公園を出ると、無言のまま橋の方向に向かって歩きはじめる。しばらく歩いてふとママが足を停めた。
「ここがママの住んでる家」
ママが指差した家に目を向ける。そこはこの前ここを通ったとき、表札に「佐伯」と書かれてあったあの家だ。その瞬間、顔から血の気が引くのがわかった。あのときはただ同じ苗字の家があると思っただけだが、そこが一年前に亡くなった私のママがひっそりと住んでいる家だとは想像もしなかった。
私はママに見送られて家路を急いだ。何度も何度も振り返りながら――。
先ほどまで手が届く暗いまで降りてきていた雨雲も、いまではすっかり東の空に遠のき、灼けるような朱い空も物悲しさをたたえながら幕を降ろしはじめている。
私はいまあった光景が信じられないままでいる。まるで夢の中にいるようだった。
対岸に気を配りながら橋を渡り、急いで家に帰った。幸いまだお姉ちゃんは会社から戻ってなかった。一時間ほどして、チャイムが悪戯でもあるかのように短い間隔で鳴らされた。いつもお姉ちゃんがする帰宅の合図だ。
「あれッ? 麻柚、あんた顔色がよくないよ。またこの前みたいのは勘弁してよね」
家に入って私の顔を見るなりの第一声がこれだった。
「そうお、別にいつもとおりなんだけどな」私は両手で軽く頬を叩いた。
「ならいいけど。そう、そう、今度の土曜日パパの誕生日じゃん。みんなで焼肉でも行こうか?」
「いいね、いいね。パパもきっと喜ぶよ」
夕食のあとお風呂をすませ、早めにベッドに入ったがお姉ちゃんにいわれた言葉と、変わり果てたママの顔が重なって、なかなか寝つくことができなかった。
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