3-4
私はその後二度、三度と橋の向こうの公園を訪れた。しかし、不思議なことにこれまでひとというものに出会ったことがない。車が走っているところも見たことがない。まるでゴースト・タウンだ。はじめの頃は不気味さに躰がわなわなと震えたこともあったが、いまではその光景にも慣れ、自分だけの時間を秘密の場所で密かに愉しんでいる。
ある日の夕方近く、夕飯の買い物にスーパーまで買いに行った帰りのことだった。
こんな時間に橋を渡ったことはなかったが、何かに惹きつけられるように、あたりを気にしながら急いで橋を渡った。この時間は堤を行き来する人影が少なくないので余計に神経をつかう。
いつもの調子で道を歩いていて、何気なく角を曲がったとき、私はハッと息を呑んだ――。
ここに来はじめてはじめてひとの姿を見たのだ。と同時に、こちらに向かって歩いて来る犬の姿も目に入った。少し安心する。ここが無人の街だとしたら――それを知ってしまった自分がどうなるのかを考えるだけで空恐ろしくなった。
犬は私に気づく様子もなく、リズミカルに歩いて来て、顔を上げて私を認めると、慌てて向きを変え、尻尾を巻きながら付くでもなく離れるでもなく、一定の距離を置いて私を気にしている。そのうちに早足にどこかに消えてしまった。
私はこの時間の風景がはじめてだということもあって、物珍しげに徘徊をする。すると、いままで充分に明るさの残っていた夕空が、突然黝い布で覆ったようにかき曇り、ぼとぼとと音を立てて雨粒が落ちはじめた。
頭上で烈しい雷が聞こえた。私は雷が大嫌いで、あの音が聞こえると身が竦んで動けなくなってしまうくらい怖い。身を屈めたまま自転車を放ったらかし、スーパーのビニール袋を手にかけ、掌で両耳を塞ぎながら急いでクヌギの木に逃げ込んだ。ドロドロと地面が鳴り響いている。いまにも地面が割れそうなくらいの轟きだ。私は、早く雷が遠ざかってくれるのを強く目を閉じて祈った。咽喉元まで心臓がせり上がってきているように鼓動が烈しい。
やがて耳の中の音が小さくなった。
そっと掌を耳から外し、目をつむったまま耳に神経を集中させる。間違いなく雷は遠ざかっていた。私はほっとしながら躰を起こしたとき、躰の左側でひとの気配を感じた。私はなぜかすぐとは顔を上げることができなかった。
気配は微動もしないまま、寄り添い佇んでいる。見なくてもそれがひとだということは本能的に感ずるものがあった。私は勇気を振り絞っておずおずと顔を上げた。
「……麻柚、麻柚だよね」
顔を上げると同時に耳朶を揺るがした声は、聞き覚えのある声だった。
まさか――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます