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この際だから自転車を引いたままであたりを散策しようと思った。
日陰を択んで歩いていたとき、私と同じ苗字の「佐伯」という表札のかかった家の前を通る。庭から顔を覗かせた夾竹桃が、話しかけるかのように薄紫の花を向けていた。同じ苗字の表札を見たその瞬間、なぜかこの街に親しみが湧いてきた。
突然青空が広がった。あまりの眩しさに思わず額に手をかざす。
そこは、それほど広くない公園になっていた。隅に二本のクヌギの木が大きな木陰を拵え、木の下には粗末なベンチが一脚据えてあった。私はおもむろにベンチに近寄る。静けさに誘われてつい腰を降ろしてしまった。ここにいて聞こえるのはただ葉擦れの音だけだ。もう片方の隅には小さな花壇が三つほどあり、その中のひとつに、鮮やかな黄色の花びらをわずかに天空に向け、燦々と陽射しを受け止めるヒマワリが四本立ち伸びている。他に百日草、ガーベラ、ベゴニアなどが植えられていた。それを見て少し安心した。花壇の面倒を見ている誰かがいるという証だ。
私はとてもここが気に入ってしまい、ベンチに腰掛けてゆっくりと読書をする姿を思い浮かべた。
次に来るのを愉しみにしながら家に戻ると、ややあってスマホが私を呼びつけた。
健斗からだった。
「うィース、久しぶり。どこに行ってたんだよ。何べん電話しても電源が入ってないか、電波の届かないところにいます、っていわれちゃうんだ。そっちから電話してきたのにさ」
健斗のふてくされているのが電話の向こうに見えている。
「ごめん。でもずっと電源入れてたし、電波の届かない場所にいたわけでもないのに、変なの。電話したのは、たまには声聞きたいと思ったから。最近どうしてる?」
私は、健斗に電話をかけたのをすっかり忘れていた。はっきりとはいえないが、電波が届かなかったのは、ひょっとして橋の向こう側にいたせいなのだろうか。
「このところバイトが忙しいから遊ぶひまがないんだ」
健斗はいつものトーンに戻って話す。
「バイト? バイトって、何のバイト?」
「本屋の店員。あさ十時から夕方五時まで」
「じゃあ、夜は比較的あいてるんだ」
「夜? 何で?」と、健斗。
「もうすぐ河口で花火大会があるじゃない。よかったら一緒に行こうと思ってさ」
「いいよ。でも花火大会ってまだ随分先だろ? それに、俺さあ、あのガサガサとひとが多いのって正直苦手なんだ」
「だったら、ひとの少ないところで見ればいいじゃん」
「そんなとこがあるわけないだろ」
「任しといて。どこかゆっくり花火見物できる場所捜しておくから……」
私は、久しぶりに健斗の声を聞いて何となくほっとした。健斗にはそういうところがある。顔は中の上くらいで文句はなく、それ以上に声を聞いているだけで何となく安らぎを覚えるのだ。特に試験前なんかは本当に癒されるから何度も電話をかけたりする。それでも効果がないときには、無理やり呼び出してお茶に付き合ってもらうこともある。ひょっとして、私はママが亡くなった寂しさを紛らすために健斗に安らぎを求めているのだろうか。
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