第699話 令和3年4月4日(日)「バースデー・イヴ」日々木陽稲
明日は可恋の誕生日だ。
同じ15歳に追いついてわずか1週間ほどでまた年齢に差ができてしまう。
もちろんそれは幸運だったと理解はしている。
どちらかの誕生日が数日ずれていたら、いまこうして一緒にいられなかっただろうから。
可恋の誕生日を祝うことは決定事項だが、問題はそれをどう祝うかだ。
この1年間そのことばかりずっと考えていた……というのは言い過ぎだが、それくらいわたしの頭を悩ませる問題だった。
コロナ禍だ。
大勢で集まって祝福することは難しい。
2年のつき合いでサプライズの材料は使い切った感じがする。
プレゼントだって、可恋は自分で何でも買えてしまうので手作り系になりがちだった。
「オーソドックスは知性の墓場」が信条であるわたしにとってこれは由々しき事態だ。
わたしひとりの頭脳で解決しないのならとここ最近いろんな人に相談した。
しかし、決まってわたしが祝えば喜んでくれるよという意見が返ってきて、みんな真剣に考えてくれなかった。
『1年に1回しかない特別な日なのだから、もっと知恵を振り絞ってくれてもいいと思わない?』
『思います! 生誕祭としてもっと大々的にお祝いしたいです!』
『そうだよね~、結ちゃん』
ただひとり、わたしの相談に本気で向き合ってくれたのがいま電話をしている相手である
これまで可恋を通さずにやり取りすることはほとんどなかったが、こうして意気投合している。
『コロナが憎いよね。来年は3年分のお祝いとして300人くらい集めた豪華な誕生会を開こう!』
『素敵です! ついでに日野可恋杯として空手の大会も開いちゃいましょう!』
『いいね、それ』と盛り上がったものの、問題は今年の誕生日でどう可恋に喜んでもらうかだ。
昨年は緊急事態宣言下ということで、わたしと可恋のふたりだけで過ごした。
それはそれで素敵な思い出となったが、普段ひとりで過ごすことの多い可恋には賑やかにお祝いされる機会を体験して欲しかった。
お節介かもしれないけど、そういう特別な経験はきっと可恋にとってもプラスになると信じている。
明日はお姉ちゃん、キャシー、結ちゃんが来てくれる。
キャシーはもう学校が始まっているし、結ちゃんも空手の練習があるので、お祝いは夕食の席でささやかに行われる予定だ。
プレゼントは用意した。
準備は調っているが、あとひとひねり欲しいところだ。
『姉は無理みたいで……。メッセージカードは託されましたが』
結ちゃんのお姉さんの舞さんは可恋の憧れの選手である。
できることならとお願いしていたが、やはりダメみたいだ。
『残念だね』
『それと……。姉が東京オリンピックで金メダルを獲ったらインタビューで真っ先に日野さんへの感謝の言葉を述べると言っていました』
わたしが驚いて言葉を失うと、結ちゃんは『わたしのパクリですよね』と姉への愚痴を漏らす。
彼女は春休み中に行われた中学生の空手大会で優勝した。
そのインタビューで「この優勝を日野さんに捧げます!」と語ったそうだ。
ウェブに掲載されたニュースではその部分がカットされていたと憤慨していた。
『可恋の素晴らしさが世の中に知られることは良いことだよ』
気を取り直したわたしはそう口にする。
NPO法人の代表を務める可恋にとって舞さんの言動はその活動の後押しになるはずだ。
『ライバルが増えたりしませんか?』
『大丈夫だよ。わたしは可恋を信じているから』
学校の内外で圧倒的な才能を見せつけていても、可恋の素敵さに胸をときめかす人は少ない。
可恋のいちばんはわたしだと信じていられるから、こうして結ちゃんとも誕生日の計画を練っていられるのだ。
『でも、何かのきっかけで日野さんの魅力が伝わるようになったら、あっという間に手が届かない人になりそうで……』
『そうだよね。だからこそ、わたしたちも頑張って追い掛けていかないと』
可恋はわたしが高校在学中に起業するように迫った。
それは可恋が前進する速度にわたしがついて行けないことを危惧したからだといまは思う。
可恋はすでにNPO法人のトップとして大人顔負けの活躍を見せている。
それだけではない。
トレーニング理論の研究者として論文も発表した。
しばらくは入学する高校の環境改善に全力を注ぐだろうが、それが済めば再びそういった活動に精力的に取り組むはずだ。
その時にわたしがただの高校生では追いつけなくなってしまう。
わたしの目標は可恋の横を並んで歩くことだ。
時に引っ張ってもらったり背中を押してもらったりしても、自分の足でしっかりと歩いて行く必要がある。
その覚悟があるからこそ、わたしは可恋のいちばんでいられるのだ。
『そうですね。常にその世代で、いちばんでいられるように頑張ります』と結ちゃんも前向きだ。
『その意気だよ』とわたしは彼女を励ます。
『……(正妻の座は譲るとしてもその次は確保しないと)』
結ちゃんが何か小声で呟いた。
聞き取れなかったので『何?』と聞き返すが、『いえ、何でもありません』と彼女は言葉を濁した。
『それじゃあ、また明日ね』
『はい。明日はよろしくお願いします!』
そろそろ可恋が自分の部屋から出て来る頃合いなのでわたしは電話を切った。
すると、見計らったように可恋の部屋のドアが開く。
「雨が降ってきたね」
可恋はベランダに視線を向けた。
雨音は聞こえないが、ガラス戸に雨粒がポツリポツリとつき始めた。
外は暗くなりつつある。
「可恋の15歳が終わっちゃうね」
わたしがそう声を漏らすと、可恋はこちらを見て微笑んだ。
すっかり大人びた顔立ちだ。
初めて会った頃はもう少し幼さが残っていたと思う。
「この1年は……」と言って可恋はわたしの側に歩み寄った。
「ひぃなのお蔭で人生最良の1年を過ごすことができたよ。ありがとう」
可恋がわたしの身体を包み込む。
その温もりに、わたしは幸せに包まれた気分だった。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・間もなく高校の入学式を迎える。見た目は小学生でももう立派な15歳……のはず。
日野可恋・・・明日16歳を迎える。生まれつき免疫系の障害があり、この1年間は登校せずに自宅に引き籠もっていた。一方で、女子学生アスリート支援のNPO法人”F-SAS”の代表を務め、トレーニング理論の研究論文を執筆するなどオンライン環境を利用して活躍した。
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