第691話 令和3年3月27日(土)「叶わぬ望み」黒松藤花
琥珀ちゃんから『先輩がYouTubeを始めたからチャンネル登録してな』とメッセージが届いた。
彼女はわたしの大人げない態度にも、変わることなく接してくれる。
それをありがたいと思う一方、自分の惨めさを突きつけられているようで辛かった。
悪いのはすべてわたしなのに……。
リンクを踏むと大人びた女性がひとり正面を向いて立っていた。
ほんの少しの間。
そして音楽が流れ始める。
彼女が動き出した途端、印象が一変する。
躍動に満ちた動きと共に彼女の顔に浮かぶのは踊ることの楽しさだ。
その純粋な喜びは先ほどまでの大人びた雰囲気ではなく少女的な一途さや盲目的なまでのひたむきさを際立たせた。
わたしは彼女のダンスを間近で見たことがあった。
文化祭のファッションショーの時に舞台袖から。
わたしは運動が苦手で、体育の授業でも上手く身体を動かすことができなくてダンスに良いイメージを持っていなかった。
それなのに、その時は彼女のダンスに引き込まれるように身体を動かしていた。
あの時の記憶が蘇る。
スポットライトを浴びて輝いていた先輩がいま画面の中で勇躍していた。
生き生きとした表情はあの時と変わらない。
技術的なことは全然分からないが、何度も見たいと思うダンスだった。
曲が止むと彼女はわずかに息を切らせながらカメラ目線で『Hikariです。よろしくお願いします』と言葉を発した。
踊っている時とは違い、緊張しているのが伝わってくる。
しかし、それだけでは終わらない。
そのままアカペラで歌を歌い始めた。
CMか何かで何度か聞いたことのある曲だ。
挨拶で見せた緊張は消え、再び自信に満ちた顔つきに変わっていった。
凄いダンスを見せられたあと、気を緩めたところにインパクトのある歌を聞いて心が激しく揺さぶられる。
その伸びのある高音に心がぐいぐいと引き込まれていくのを感じた。
動画を見終わった時、わたしの目は潤んでいた。
感動もしたが、同時に打ちのめされた気分にもなった。
彼女はわたしより1つ歳上の先輩だ。
たった1歳しか違わないのに、こんなに人の魂を揺さぶることができるのだ。
日々木先輩にしてもこの先輩にしても、自分と比べるのはおこがましいことだと思う。
同学年だって、琥珀ちゃんや朱雀ちゃんはわたしよりよっぽど大人だし、千種ちゃんやももちゃんたちもしっかりしている。
勉強が少しくらいできるからといって人間的に成長していないことは最近痛いほど思い知った。
わたしは席を立って隣りの部屋に妹の様子を見に行く。
妹の希は春休みに入った途端に風邪を引いたようで、昨日から身体が重そうだった。
新型コロナウイルスの変異株は子どもも感染しやすいなんてニュースを聞くと心配が募る。
希は季節の変わり目、特に朝晩の寒暖差の大きい時期に体調を崩しやすい。
いつものことだと思いながらも、毎回のことにわたしがついていながらと自分を責めてしまう。
「お姉ちゃん」
退屈そうに横になっていた希がわたしの姿を見て嬉しそうな声を出した。
それほど体調は悪くないようでホッとする。
今日は土曜日だが、お父さんは打ち合わせがあると言って家を出ている。
「熱を測ろうか」とわたしはベッド脇のテーブルから体温計を手に取り渡す。
「うん」と受け取った希はパジャマの胸元からそれを脇に当てた。
彼女は4月から小学3年生だ。
少し前まで体温を測る時もわたしがあてがっていたのに、いまは自分で測れるようになった。
風邪を引きやすいのは変わっていないが、ぐったりして何もできないということは減ってきているように感じる。
しばしの沈黙のあと、体温計がアラームを鳴らした。
希は熱を自分で確認して「まだ少しあるね」と言ってからわたしに体温計を渡す。
わたしはサイドテーブルに置かれた紙に測った時間と温度を記す。
「しっかり寝ていれば明日には元気になれるんじゃない?」
「うーん、でも、退屈だよー」
わたしは笑みを浮かべながら学習机の前に置かれた椅子に腰掛ける。
彼女の声は元気そうだ。
いつもなら退屈を紛らわせるためにわたしが考えた物語を読み聞かせる場面だが……。
「何か、お話、聞かせてよ」とせがむ希に、わたしは笑みを顔に貼り付けたまま「お祖母ちゃんが買ってくれたご本でも読もうか」と答えた。
「えー、魔女さんのお話は?」
「最近忙しくて書けていないの」とわたしは言い訳をする。
「前の、ほら、悪い神様をみんなで協力して懲らしめるお話。あれ、また、聞きたい」
リクエストまでしてくれるが、わたしは「いままで書いたものを書き直そうと思っているの。ごめんね」と嘘を吐く。
心がズキズキと痛む。
でも、わたしは自分が書いたものに自信を持つことができなくなってしまった。
妹のために紡いだ物語はきらびやかに見えていたのに、いまはすっかり色あせた。
それを希に読み聞かせることはできなかった。
わたしの嘘を真に受けた希は「琥珀さん、来ないかな」と話題を変えた。
彼女にとって琥珀ちゃんはわたしよりも外の世界を教えてくれる存在なのだろう。
わたしは空想することくらいしかできないが、琥珀ちゃんは様々なことを体験していてそれを面白おかしく話す術を知っている。
希が懐くのも当然だ。
それに……。
希はあちら側の人間だ。
こんなに病弱なのに友だちが多く、人と関わることを苦にしないようだ。
わたしは小学生の頃から友だち作りに苦労をしてきたのに、希はそうではない。
友だちはたくさんいるけど親友がいないねんと贅沢な悩みを打ち明けた琥珀ちゃんと同じ世界の人間なのだ。
そんな希に、頭の中だけで作り出した友だちや仲間のことをどんな顔をして話せばいいのか。
わたしの物語はしょせん妄想であり、単なる願望に過ぎなかった。
「春休み中は部活があるからね」とわたしは誤魔化す。
毎日は無理でも呼べば琥珀ちゃんは週に何度かは来てくれるだろう。
いっそ、こんなわたしのことなんて嫌いと友だちの縁を切ってくれたら……そんな他人任せの思いさえ湧いてしまう。
さっきの動画を見せればきっと希は興味を持つ。
しかし、それさえいまのわたしにはできなかった。
外は春の陽差しが降り注いでいる。
だが、わたしはこの人工的な灯りの下でずっと希とふたりで過ごしていたいと望む。
それが叶わないと分かっていても。
††††† 登場人物紹介 †††††
黒松
島田琥珀・・・中学2年生。ダンス部副部長。学級委員を務めるなど教師の信頼も厚い。関西弁を使う。
黒松
渡瀬ひかり・・・中学の卒業と同時にYouTubeデビューを果たした。人気YouTuberである式部のプロデュースということもあり初動でかなりのPVを獲得した。
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