第678話 令和3年3月14日(日)「守るために」日野可恋
「どうせなら、お嬢様全開なドレスを着て『入学式までに内装すべて作り直してくれませんこと』とか言ってみたら?」
「わたし、悪役令嬢じゃないよー!」
私の冗談にひぃなは頬を膨らませた。
入れ込み過ぎだと感じて緊張を解そうとしたがあまり効果があったようには見えない。
昨日から週末に臨玲高校の臨時職員としてアルバイトをすることになっていた。
しかし、想像以上の雨と寒さに「今日は休む」と仕事を放り出した。
今日は一転して晴れ渡り、午前中から気温もぐんぐん上がっている。
ひぃなは新人OLの――コスプレ風の――出で立ちだ。
残念ながら小柄で幼い顔立ちの彼女では社会人ぽさは醸し出せず、子どもが精一杯背伸びしたように見えてしまう。
天使のような愛らしさがあるのできっと周りの大人は微笑ましく受け止めてくれるだろう。
一方、私はセーターにパンツというカジュアルな服装だ。
肩肘を張るような仕事ではないのでこれで十分だ。
「ひぃなは忌憚のない意見を言ってくれればいいから。それを採用するかどうかは責任ある立場の人が考えることだしね」
そんなアドバイスをして出発の準備を調えたところでインターフォンが鳴った。
こんなタイミングで誰だろうと思いながら出てみると……。
『やあ、カレン。ワタシと勝負しろ!』
『……これは留守電よ。また遭いましょう』
『そうか。ワタシは春休みだから戦ってくれるまで毎日来るぞ』
私は相手に聞こえるように溜息を吐くと、『勝負はしないけど、忍者の修行はさせてあげるわ』と声を掛けた。
通話相手のキャシーは大声で『ヤッター!』と喜んでいる。
マンションのエントランスに人がいたら何ごとかと思っただろう。
ちょうどその時にタクシーが到着したという知らせがスマホに届いた。
私はひぃなを伴って階下に向かう。
後部座席にひぃな、私、キャシーの順で乗り込む。
黒人少女は黒のタンクトップに薄手の赤のジャンパーという季節感のない恰好だ。
意気揚々のキャシーに私は英語で説明を続ける。
『忍者の重要な仕事のひとつに要人警護があるの。今日はそれを特訓してもらう』
『任せろ!』と胸を叩くキャシーに、『強ければ務まる仕事という訳ではないのよ』と私は釘を刺す。
『キャシーはまだ初心者レベル。華菜さんや純ちゃんの足下にも及ばないわ』
『何だって!』とキャシーは声を荒らげた。
筋肉隆々な純ちゃんはまだしも、ひぃなの姉の華菜さんはごく一般的な運動能力の持ち主だ。
キャシーなら腕一本どころか指一本で勝ててしまう。
ひぃなですら『本当に?』と疑問を顔に浮かべてこちらを見ている。
『警護の目的は敵を倒すことじゃない。大事なのは、危険に近づかないこと。何かあったら護衛対象を連れて速やかに避難すること。そして、何よりも護衛対象から目を離さないことが重要』
私はそう言うと、『これから行く場所にはトレーニングマシンもあるわ。キャシーはそれに目を奪われないで護衛対象のひぃなを守れるかしら?』と言葉を続けた。
キャシーは『できるよ。それくらい』と自信満々だが、『行動で示してね』とあまり期待をせずに言った。
そして、ひぃなには「華菜さんは自分が強くないと分かっているから無茶をしないし、ひぃなのことをよく知っているからどんな時にどんな行動をすればいいかよく把握している。それが護衛には大切なのよ」と説明する。
護衛対象が予測不能な行動を取ると、警護は非常に難しくなる。
ひぃなは護衛されることに慣れているので基本的に突拍子もない行動をしないが、こうしたお互いの信頼関係は護衛の成否に大きく関わってくる。
細かなことを言っても切りがないし、どうせすべては覚えられない。
護衛対象がどこにいるか常に気に留めておくことだけをタクシーの中で延々と言い続けた。
キャシーは分かった分かったと繰り返すが、言葉だけで彼女に分かってもらうのは難しい。
実際の現場でなければ伝わらないことはある。
土曜日だが校内にはちらほらと生徒の姿があった。
私たちは人目を引かないようにまだ工事中となっている新館の建物の側に車を駐め、そそくさと中に入った。
外観はどこにでもある殺風景な建物という感じだったが、内部はかなり凝った作りになっていた。
3階建てでそう大きな建築物ではないものの、吹き抜けや立体感のある構造によって広々と感じる。
新築特有の匂いとまっさらな感じの内装に、私ですら心浮き立つものがあった。
「綺麗! わたしの出る幕なんてないんじゃない?」
「それならそれで、ひぃなが『良い仕事だったわ』と感想を述べたって伝えるよ」
私が彼女のセリフを悪役令嬢風に言うと「どうしてそんな上から目線なのよ!」とプンプン怒るふりをした。
どうやら気負いすぎている様子はない。
キャシーの護衛の話に気を取られて余計な力みは取れたようだ。
一方、キャシーはいまにも駆け出しそうな雰囲気だった。
護衛の役割がなければ、はしゃぎ回っていたことだろう。
それを忘れていなかったことは評価するが、護衛対象よりも周囲が気になって仕方がないという精神状態が見え見えだ。
『私は北条さんに連絡を入れるので、ひぃなとふたりでその辺を見て回って良いよ。ただし、くれぐれもひとりで行動しないこと』
『ありがとう、カレン』と叫んだキャシーはひぃなの手を引いて走り出そうとするが、警戒していた私はその腕を極めにいく。
『イタタタタ、痛い! 痛いって!』と私の肩をタップするキャシーに『警護役がいちばんの危険人物になってどうするのよ』と叱りつけた。
『持ち上げて運ぶから大丈夫だ!』
『非常時以外は護衛対象の行動を制限してはいけないと言っておくのを忘れていたわ』と私はこめかみを押さえながら呟いた。
護衛対象に触れないようにと再教育を施されたのち、キャシーはひぃなの歩くペースに合わせてほかの部屋を見に行った。
ひぃなのお祖父様は資金援助だけでなく建設や内装の業者選定に関わったと聞いている。
校内はともかく、ここではそこまで神経を使う必要はないだろう。
私は北条さんに連絡を取ると、彼女の到着を待つ間この建物の入口を入念にチェックした。
「今日はよろしくお願いします」とこの学校の事務方トップの女性、北条さんに頭を下げているとひぃなたちが戻って来た。
北条さんは身長が190 cm近くあるキャシーを見上げて驚いている。
私はひぃなのボディガードだと紹介しておく。
その後、北条さんにひとつひとつの部屋を案内してもらう。
食堂はカフェのようなイメージで明るく清潔感が漂っていた。
「席が少ないみたいだけど大丈夫なの?」とひぃなは気にしているが、「それは平気」と私は笑顔で頷いてみせる。
街中にある普通のカフェと同じくらいの面積なのでひぃなの懸念はもっともなことだ。
生徒が押し寄せるようなことがあればすぐに席が埋まってしまうだろう。
いまは特に密を避けるためテーブルに座る人数を半分にすることが多いのだから。
私は話を逸らすために「校内全体がこんな内装になれば臨玲の人気も復活するんじゃありませんか?」と北条さんに話し掛ける。
彼女は「いまは寄付金集めも苦労しますから」と表情を変えずに答えると、「おふたりには大変感謝をしております」と丁寧だが儀礼的にお辞儀をした。
これが大口寄付をしてくれた家族を持つ生徒への態度ということなのだろう。
2階のトレーニングルームには充実した設備が揃っている。
部屋に入った途端、キャシーが『やらせろ、カレン』と護衛の仕事を放棄して私にせがんだ。
気持ちはよく分かる。
少しだけ時間をもらって私は器具をひとつひとつ見回り、その間キャシーにはいくつかのマシンの試用をしてもらった。
『ここの器具は私が購入したものだから、壊したら弁償してもらうわよ』と注意することも忘れない。
トレーニングに夢中になったキャシーを残して、私たちはピカピカのシャワー室や快適そうなジェットバスを確認する。
帰る前にキャシーにシャワーを使ってもらおうと思っていると、表情を読んだひぃながわたしも使いたいと目で訴えかけてきた。
私は笑って頷いた。
最後に最上階の部屋に行く。
上質のカーペットこそ敷かれているが、ほかは大きな机がひとつ置いてあるだけの広間だ。
「ここはひぃなの好きに飾っていいから」
「え、いいの?」
「臨玲における私とひぃなの拠点だからね。必要なものはリストアップしているので、その配置を含めてひぃなに任せるよ」
ひぃながキラキラと目を輝かせている。
ほかの場所では彼女の出番がなさそうだっただけに、やれることができて嬉しそうだ。
私たちが住むマンションのリビングダイニングくらいの広さで、キッチンこそ併設していないものの空調は特別仕様となっている。
「楽しみにしているよ。素敵な高校生活を送る、ここはその鍵を握る場所になるから」
「頑張るね」
ひぃなはどんなに贅を尽くした内装でも太刀打ちできない千金の微笑みを浮かべて応じた。
彼女の存在に比べればこの建物だってたいした価値はない。
ここはこの笑顔を守るための砦だ。
††††† 登場人物紹介 †††††
日野可恋・・・中学校を卒業したばかりだがNPO法人の代表を務めるなど社会人経験を有する。空手の選手であり、トレーニングのこととなると普段の冷静さは影を潜める。
日々木陽稲・・・ロシア系の血を引き日本人離れの容姿を持つ。父方の祖父は北関東を拠点に一代で財を築いた傑物。ロシア出身の母が在籍した臨玲高校に強い思い入れがあり、親族の中で唯一その外見を受け継いだ陽稲の臨玲進学を熱望した。
キャシー・フランクリン・・・G8。15歳。令和元年夏に来日してから空手を始め、その体格と驚異的な身体能力の高さを生かしてかなりの強さを誇るようになった。可恋をニンジャマスターとして慕っている。この週末は彼方たちが来なかったので代わりに可恋を練習相手にしたいと思って訪問した。
日々木華菜・・・高校2年生。非常に目立つ外見の持ち主である妹の陽稲を守るため一緒に行動することが多かった。最近はその役を可恋に取られて寂しく感じている。
安藤純・・・陽稲の幼なじみ。競泳選手であり大柄で筋肉質の体型を誇る。中学2年まで陽稲と同じクラスだったので、学校では彼女を守るようにいつも側にいた。家は貧しいが臨玲に通うこととなった。
北条・・・臨玲高校の主幹。理事長の右腕であり、学園長との権力闘争では理事長勝利に大いに貢献した。
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