第661話 令和3年2月25日(木)「ひかり」笠井優奈

 緊張感に欠けるテスト期間中とは思えない空気の中でも、その日の試験が終わるとクラスメイトの気持ちは緩むものだ。

 昨日から始まった学年末テスト。

 3年生にとっては受験が終わったり真っ只中だったりして、普段の定期テストのような雰囲気はなかった。

 クラスの半数以上が目の前のテストの結果よりも来週発表される公立高校の合否に気持ちが向いている。

 人生の岐路に関わるだけにそれも仕方がないことだろう。


 暖かそうな陽差しが降り注ぐ割りに、風は冷たい。

 鉛筆回しは集中していない時のクセだが、回しているうちに気がつけば3日の試験期間のうちの2日が過ぎてしまった。

 本命だった私立高校に落ちたアタシからすれば、公立高校の結果は死活問題だ。

 とても「できた」と胸を張って言える手応えではなかっただけに、不安がずっと頭の中に住みついている。

 ふとしたきっかけで、ヤバいかもという気持ちが心を埋め尽くそうとする。


 そんな状態でまともに試験勉強なんてできる訳がない。

 そもそもこの冬は授業そっちのけで受験勉強に追われていた。

 こんなの習ったっけ? と思う問題と山ほど出会った。


 2年までは定期テストは一夜漬けで乗り切ってきた。

 なんとかなるという根拠のない自信があったのに、私立の受験失敗でそれは完全に打ち砕かれた。

 これで公立まで落ちてしまうと二次募集に向けて気持ちを立て直すことが難しそうだ。

 この学年末テストはそんなアタシに追い討ちをかける結果になりそうだった。


 ……あー、やだやだ。


 公立の結果については口にすることはおろか考えることさえしたくない。

 特に悪い結果については。

 言葉にすれば現実になってしまいそうで怖い。

 これまで験担ぎなんてしたことがなかったのに、もう神頼みしかないと思ってしまう有様だった。


 短いホームルームが終わる。

 その後の態度でそれぞれの生徒の置かれた状況は一目瞭然だ。

 私立への進学が決まっている子は余裕がありそうだし、滑り止めに受かっている子は割と普通。

 アタシと同じ立場の人間は青い顔でそそくさと帰って行く。

 そんな中で試験期間中だと思えないほど明るいヤツがいた。


「ひかりは楽しそうだな」


 アタシが声を掛けると、笑顔をこちらに向けた。

 マスクで顔が隠れていても楽しさが全身からにじみ出てきそうだ。

 テストはまだ明日まであるというのに。


「だって、もう二度とテストを受けなくて済むんだよ!」


 高校に進学しないひかりは声を弾ませた。

 アタシが「ひかりはテスト勉強なんてしてねーじゃん」とからかっても、「それでも! 周りの雰囲気が悪くなるし、プレッシャーだって感じるんだからね」とひかりは主張する。

 そして、「そういうのが明日で最後だって思うと本当に幸せなの!」と拳を振り上げて力説する。


 ひかりとは3年間同じクラスだ。

 1年の時から見た目は可愛かった。

 だが、最近は女のアタシから見てもハッとするような魅力的な顔をするようになった。

 中身が成長したようには見えないが、勉強という苦役から解放されて笑顔に磨きがかかったんじゃないかと感じる。

 それだけでも高校に進学しないという選択は彼女にプラスに働いたと言えるだろう。


「優奈も高校に行かずに一緒にダンスやろうよ」


 以前から言っていたが、特にアタシが私立に落ちてからひかりはよく口にするようになった。

 まさに悪魔の囁きだ。

 言われるたびに心がざわめく。


 ひかりのように高校に行かずにプロのダンサーを目指すことができればどれほどいいことか。

 アタシだって大きな舞台で華麗なダンスを決めて脚光を浴びる自分を想像することくらいはある。

 しかし、そんな夢想に浸ってばかりはいられない。

 どうしたって現実が目に入る。


 高校くらいは出ておかないとと思う。

 自分の才能はひかりには及ばない。

 それに何よりそこまでの勇気がなかった。

 高校卒業は保険のようなものだ。

 保険もなしにダンスにすべてを賭けるような生き方はアタシにはできない。

 そこがひかりとの絶対的な差だ。


 自嘲気味に「無理だって」といつもの回答を返す。

 そして、話を逸らすために「ダンスの調子はどうよ?」と尋ねる。


 ひかりはスッと立ち上がると、右手を挙げて軽くターンをする。

 ただそれだけの動きなのに目が奪われる。

 姿勢が良く、軽やかで、軸がまったくブレていない。

 ターンが終わってからターンをしたことを感じさせない顔つきで「絶好調だよ」と微笑んだ。

 ふわりと広がっていたスカートがゆっくりと元に戻っていく。


 ターンひとつでスポットライトを浴びたかのようにひかりは輝いた。

 少女マンガなら大量の花を背負うようなシーンだった。

 やはりひかりは別格だ。

 彼女のダンスを見ていると心が浮き立ち、いつまでも見続けたくなる。


 さらに踊り出そうとしたひかりを「スカートで踊っちゃダメだよ」と三島が止めた。

 確かにクラスメイトの注目を集めている。

 マスクで分からないが男子の多くは鼻の下を伸ばしていそうだ。


「パンツくらい見せたっていいじゃん。減るもんじゃないし」とアタシは軽口を飛ばす。


 三島は「ひかりは本気にするから」とこちらを睨んでくる。

 ひかりならやりかねないという点は同感なので、アタシは肩をすくめて謝った。


 ひかりは踊りたいというスイッチが入ったようで、三島に「早く帰ろう」と言ってうずうずしている。

 彼女にとってダンスは身体の中からこみ上げてくるものなのだろう。

 それに比べてアタシは……。

 高校に行きたくないからダンスをなんて考えている時点でボロ負けだ。

 そんな気持ちで通用する訳がない。


 帰り支度を済ませたひかりがアタシの前に立った。

 陽差しを浴びて光り輝く少女が手を差し出す。


「踊ろうよ」


 最近はまったく身体を動かしていないので、かなり鈍っていると思う。

 それにダンスは「自分はできる」という強い気持ちを持って踊らないと上手くは見えない。

 いまのアタシにそんな自信は微塵もなかった。

 それでも……。


 アタシはひかりの手を取った。

 踊ったって何も解決しないことはよく分かっている。

 二次募集に備えて単語のひとつも覚えた方が良いということも。

 しかし、いまは。

 いまだけは何もかも忘れてダンスに没頭したかった。


「着替えたらうちの近くの公園集合な。三島もつき合え」




††††† 登場人物紹介 †††††


笠井優奈・・・中学3年生。ダンス部初代部長。ギャル風の外見ながら中身はかなり体育会系。1年の時はクラスでひかりをハブっていた。


渡瀬ひかり・・・中学3年生。元合唱部だが顧問の事件に関わり退部。優奈にダンス部を作ってもらって入部した。歌とダンスは抜群だが学校の成績は下から数えた方が早い。


三島泊里・・・中学3年生。クラスでハブられていたひかりを合唱部に誘い親密な関係を築いた。しかし事件発覚後にひかりと引き離され、ひかりを追う形でダンス部に入部した。優奈からは事件のことで目の敵にされていた。

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