第646話 令和3年2月10日(水)「妄想と現実」紺野若葉

「そんなことより卒業式まであと1ヶ月しかないんだから、もっと練習の質を上げないとクリスマスの二の舞になっちゃうよ」


「彼ガ戦力ニナラナイト分カッタ以上、皆ヲ練習ニ集中サセル方法ヲ考エルベキダ」


 ダンス部の1年生部員の中心である奏颯そよぎ可馨クゥシンが強い口調で言った。

 部活が終わった帰り道でのことだ。

 今日は練習のあとに短いミーティングがあり、いつもより帰宅時間が遅くなったがそれでも外はまだ明るかった。


 ……そんなこと、か。


 今日のミーティングで発表された内容にわたしは衝撃を受けた。

 しかし、奏颯や可馨にとっては取るに足らないことだったようだ。

 いつも一緒に帰るメンバーの中でわたしと同じようにショックを受けた顔をしているのはマネージャーのみっちゃんくらいだ。


 奏颯たちの気持ちは理解できる。

 2学期の終業式の日に行ったダンス部のイベントは失敗に終わった。

 卒業式でそのリベンジを果たすべく頑張ってきたが、緊急事態宣言が出たせいで満足な練習ができていない。

 そこに男子の新入部員が加入するという”事件”が起きて、1年生部員の多くが練習どころではなくなってしまった。


 本来であればわたしも奏颯たちの議論に参加して、より良い解決策を見出さなければならない。

 頭ではそう分かっていても、気持ちがついて行かなかった。

 なぜなら、わたしは……。


 わたしがソレに触れたのは小学生の高学年の時だった。

 インターネットのSNS上で素敵な文章に出会った。

 読みやすくて引き込まれる物語の導入部だった。

 続きを読むには小説投稿サイトに行く必要があったが、躊躇うことさえ忘れてわたしはリンクをたどった。

 描かれていたのは少年同士の淡い恋だった。


 わたしは幼い頃から少女マンガを読んでいたが、そこで描かれる恋愛に絶望していた。

 自分が容姿も性格も少女マンガの主人公とはほど遠いからだ。

 可愛さの欠片もない見た目と、男子相手でもズバズバものを言う性格。

 それなのにモテるための努力よりももっと好きなことだけしたいと思っていた。

 それくらいの年齢になると相手の気を引くために頑張っている女子もいた。

 そういう子を横目に見て、自分には無理だと諦めてしまったのだ。


 そんなわたしだから男の子同士の恋愛の方が心ときめいた。

 女の子の主人公に自分を重ねられない以上、完全にファンタジーである男子と男子の恋物語に惹かれていった。

 18禁のような過激なものには手を出さず、友情と愛情の狭間を描くような作品にハマった。


 インターネット上にはそういう視点から少年マンガや小説を楽しむ人がいて、仲間同士で盛り上がったりそういう見方ができる作品を薦めたりしていた。

 わたしは野球のことなんて全然知らないのにピッチャーとキャッチャーの友情を描いた小説を読んで悶えまくった。

 少年マンガにも手を出した。

 すると、マンガ好きの父親がとても喜んだ。

 持っている人気作品をこぞって貸してくれた。

 こんな読み方をしているなんて知られたら大変なことになるが、様々なマンガを読めたのはありがたかった。


 そういう見方を現実に持ち込まないように心掛けていたが、それは彼の存在を知るまでだった。

 中学生になって女子の間で彼のことが話題になった。

 目を見張るような美少年。

 話題にしている子たちは自分の恋愛相手として見ていただろうが、わたしには耽美な妄想の登場人物のように見えた。

 クラスが違うので彼の日常をのぞき見ることはできなかったが、かえって想像が膨らんだ。


 その彼がダンス部に入ってくる。

 ひとりだけだとなあ、というのが正直な感想だった。

 やはり相手がいてこそだ。

 そんな風に思っていたわたしは、今日のミーティングで横っ面を張られたように感じた。

 彼がみんなの前で「男の人が好き」と言ったからだ。


 そのあと顧問の岡部先生が思春期に同性を好きになるのはよくあることだなんて説明していたが、ほとんど耳に入らなかった。

 あくまで妄想だと思っていたことが現実となってわたしの目の前に現れた。

 わたしはこれとどう向き合っていいのか分からなかった。


「みっちゃんはどう思った?」


 集団の最後尾をとぼとぼ歩くみっちゃんにわたしは声を掛けた。

 彼女は新入部員の彼と小学生時代からの知り合いだ。


「びっくりするよね」


 普段は相手の目を見て話すことの多い彼女がいまはこちらを見ずに答えた。

 わたしは驚きの意味合いが違うと知りながら、「そうだね」と相づちを打つ。


 列の先頭を歩いているのは奏颯、若葉、可馨の3人で、その後ろをさつきと美衣がこちらを気にしながら続いていた。

 どんどん前に行く奏颯たちをさつきがなんとか押しとどめてくれている。


「小学生の時はそんな素振りなかったのに、あの子」


「やっぱり……、好きだったの?」


 踏み込み過ぎたかなと思ったが、彼女は顔を上げ「好き、だったのかなあ」と呟いた。

 みっちゃんは見た目は普通でも面倒見の良さという武器がある。

 生意気そうなわたしよりよっぽどモテるだろう。


「諦めなくてもいいんじゃない?」とわたしが言うと、「釣り合わないって始めから分かっているよ」と彼女はこちらを向いた。


「それを言うなら彼と釣り合う女子なんてほとんどいないよ」


「まあ、そうだけど……。でも、いまの自分が彼とつき合うのはないかなって思うもの」


 彼女の言いたいことは何となく理解できた。

 好きかどうかも大切だけど、引け目や劣等感があると友人関係だってうまくいかないものだ。

 恋愛なら尚更だろう。


「コンちゃんはどうなの?」とみっちゃんがわたしの顔をのぞき込む。


 どうやら話の流れ的にわたしも彼のことを好きだったと勘違いしているようだ。

 しかし、ここで本当のことを話す訳にはいかない。

 わたしは曖昧な笑みを浮かべて「最初からチャンスがあると思っていなかったから……」と誤魔化した。

 彼女は「ほんとかなあ」とニヤニヤ笑っている。

 普段の彼女に戻ったようだ。

 心に刺さった棘が消えたとは思わないが、少なくとも落ち込む姿を見せない程度には回復したのだろう。


 わたしも戸惑いがなくなった訳ではない。

 ただわたしが見ていたのは本物の彼の姿ではなかった。

 みっちゃんのように彼と一緒の時間を過ごしたこともなく、外からファンのように憧れて騒いでいる女子たちとなんら変わりはしない。


「現実の恋愛って面倒そうね」


 わたしが溜息交じりにそう零すと、みっちゃんは「何、それ」と笑った。




††††† 登場人物紹介 †††††


紺野若葉・・・中学1年生。ダンス部。部内ではコンちゃんと呼ばれている。議論では意図的に反対意見を出すタイプ。


恵藤奏颯そよぎ・・・中学1年生。ダンス部。1年生のリーダー格。いまは恋愛よりダンスに夢中。


可馨クゥシン・・・中学1年生。ダンス部。アメリカ育ちの中国人。クリスマスイベントのリベンジに燃えている。


小倉美稀・・・中学1年生。ダンス部マネージャー。マネージャーの中心人物で先輩からの信頼も厚い。


晴海若葉・・・中学1年生。ダンス部。このメンバーの中ではいちばん子どもっぽさがある。それは素直さにも繋がっている。


沖本さつき・・・中学1年生。ダンス部。可馨の親友で関西出身。コミュ力が高く、気配りもできる。


山瀬美衣・・・中学1年生。ダンス部マネージャー。おとなしい性格の持ち主。

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