第624話 令和3年1月19日(火)「奏颯」晴海若葉

 今日は部活が休みなので、ホームルームが終わると奏颯そよぎたちの教室へ行く。

 彼女たちのクラスはホームルームが長引いているようだ。

 あたしは廊下の窓際に身体をもたれかかって終わるのを待った。


 ダンス部の1年生の3人組があたしの目の前を通り過ぎる。

 あたしは笑みを向けるが、彼女たちはこちらに視線を向けない。

 気づいていないはずはない。

 だが、よくあることなので気にしないことにしている。


「調子乗ってるよね、あの子」


 それまでのヒソヒソ声から一転してあたしに聞こえるように言ったようだ。

 もう背中しか見えないのでどんな顔かは分からない。

 ほかのふたりは同意するように笑い声を上げた。


 すぐに教室のドアが開き、先生や生徒がゾロゾロと出て来た。

 奏颯とコンちゃんが連れ立ってあたしのところへ向かってくる。

 その背後から彼女たちと同じクラスのダンス部部員が睨むような目でこちらを見ていた。


「お待たせ」と言う奏颯にあたしは微笑んで「帰ろう」と歩み寄る。


 いまに始まったことではないが、ダンス部の1年生の中心に奏颯がいる。

 可馨クゥシンやマネージャーグループは別として、奏颯との距離が部員の優劣のように一部では見られていた。

 ダンスの実力がある子ほど彼女と仲が良いのも事実だ。

 そんな中でコンちゃんとあたしはいつも一緒にいる友だちだと認識されている。

 コンちゃんは周囲から一目置かれているのに対し、あたしは至って平凡だ。

 そんなあたしが奏颯の友だちであることを快く思わない部員が結構いた。


 昇降口に向かって歩き始めると「何かあった?」とコンちゃんがあたしに問い掛けた。

 あたしは「あー、まあ、ちょっとね」と言葉を濁す。

 この状況はふたりも気づいていて、目を光らせている。

 だから嫌がらせと言ってもちょっとした無視や悪口程度だ。

 あたしはそういうことに敏感な方ではないので、これまではあまり気にならなかった。


「自主練を一緒にしているから、みんなやっかんでいるんだろうね」


 コンちゃんはあたしが言わなかったことを察して原因を考察した。

 現在ダンス部は休日の全体練習が行えず、少人数での自主練に取り組んでいる。

 みんな口には出さないが、奏颯と一緒に自主練をしたいと希望する部員は多いだろう。

 現状奏颯はあたしたちと自主練を行っている。


「奏颯が順番に希望者のところへ行って自主練をしたら?」というコンちゃんのアイディアを奏颯は「嫌だよ」と一蹴した。


「いまは若葉の秘密を探ることが最優先だから」と奏颯は握り拳を作って力強く言った。


「秘密なんてないよ!」とあたしは困惑する。


 クリスマスイベントであたしのダンスが3年生の先輩たちに高評価だったと聞いたが、たまたまだ。

 練習を続けてきた成果は少し実感できるようになったものの、奏颯や可馨とは次元が違う。

 自分の実力はあたしがいちばん分かっている。


「早也佳先輩や須賀先輩の評価で注目を浴びていることも理由かな」とコンちゃんは分析を続ける。


「奏颯の口が軽いから……」と恨みがましい目を奏颯に向けても、「事実だから別にいいじゃん」と彼女はまったく反省する素振りがない。


 奏颯や可馨はクリスマスイベントの失敗を受けてほかの1年生部員にもっと真剣に取り組んで欲しいと苦言を呈した。

 その直後にあたしだけ褒められることになったので、余計に風当たりが強くなった可能性がある。

 それに、奏颯があたしに注目しているなんて発言するから尚更だ。

 それまでは奏颯について回る金魚のフンみたいな扱いだったのに、奏颯の歓心を買う嫌な奴に格上げされたとしてもおかしくない。


「あとは2月14日が近いというのもあるかもしれないね」


 コンちゃんの指摘に奏颯が「そういやさ、この学校はチョコの持ち込みオッケーだったんだけど、今年はどうなんだろう?」と明後日の方向の疑問を口にした。

 あたしはバレンタインなんて無縁なものだと思っていたけど、奏颯は関心があるようだ。


「わかねえに聞いたら校長が代わったんでダメかもしれないって話だったんだ。でも、そういう注意は出てないよね?」


 奏颯の質問にあたしは深く考えず「先生に聞いてみたら?」と返したが、コンちゃんから「それはダメ」と厳しく注意された。

 なんでも、先生は聞かれたらダメと答えるしかなく、そういう質問が増えると大目に見ることができなくなってしまうそうだ。


「黙認してもらっている間は、騒がずこっそりとやるのが良いと思う。トラブルが起きなければ来年も続けていけるから」


 コンちゃんの説明をなるほどと聞いていると、「ということは準備はしとけってことだな」と奏颯が気合を入れている。

 あたしは首を傾げ「あげる人がいるの?」と直球の質問を投げ掛けた。


 奏颯は珍しく照れたように自分の髪をいじり、顔を背けながら「早也佳さんに……」と口に出した。

 彼女が早也佳先輩に憧れていることは有名だ。

 あたしは納得したが、コンちゃんは「いつ渡すつもり?」と踏み込んだ。


「それなんだよ。その前後って私立や公立の入試じゃん。14日は日曜だし、試験が終わったあとの16日かなって……」


 あたしは試験の日程なんて全然知らなかったが、さすがに奏颯はキチンと調べているようだ。

 早也佳先輩は「受かればどこでもいい!」とかなり焦った状況らしい。


「3学期になってからはうちでの勉強会もやってなくて、わか姉から聞いたことしか分からないんだけど……。だけど、試験の前に渡して早也佳さんの力になれたらとも思うんだ」


 そう話す奏颯の顔は乙女っぽかった。

 彼女にとって早也佳先輩はダンス部に入る前からの憧れの人だ。

 ダンス部に入ったのも先輩がいたからだと公言している。


「チョコと合格祈願は分けて考えたらどう?」と彼女の背中を押したくてあたしは提案する。


「合格祈願のお守りか何かを渡すのなら受験直前でなくてもいいし、チョコは試験が終わってから労う気持ちで渡せば……」


「それだ!」と叫んだ奏颯は嬉しそうにあたしの手を取って強く握った。


 それはいいんだけど、ここはちょうど正門前で帰宅中の大勢の生徒がこちらを見ていた。

 用事のない生徒は早く帰るように言われているので普段よりも辺りは混み合っている。

 奏颯は周囲の目を一切気にせずに、あたしが引くぐらい喜んでいた。


「嫌がらせがエスカレートするようなら相談して」とコンちゃんがあたしの耳元で囁いた。


 かなり小声だったのに奏颯の耳にも届いたようだ。

 彼女はようやくあたしやコンちゃんの危惧に思い至った。


「大丈夫。何かあればアタシが若葉を守るから!」


 コンちゃんが自分の顔を手で押さえている。

 奏颯の宣言はとてもありがたいが、火に油を注ぐことにもなりかねない。

 でも、まあ、大丈夫だろう。

 ふたりがいるし、ほかにも信頼できる仲間がいる。

 2年の先輩たちも気を配ってくれている。


「うん。よろしくね」と答えたあたしは感謝の気持ちを込めて贈るチョコレートにいくら使えるか考え始めた。




††††† 登場人物紹介 †††††


晴海若葉・・・中学1年生。ダンス部。小6の時に近くの公園でダンス部の自主練を見て興味を持ち、その際に須賀彩花から手ほどきを受けてダンスの楽しさを知った。


恵藤奏颯そよぎ・・・中学1年生。ダンス部。1年では可馨に次ぐ実力の持ち主。リーダーシップがあり、仲間からの信頼も厚い。


紺野若葉・・・中学1年生。ダンス部。名前がかぶっているのでコンちゃんと呼ばれている。ダンスの実力は若葉より少し上程度だが、頭が良く口が立つので敵に回す部員はいない。


可馨クゥシン・・・中学1年生。ダンス部。アメリカ育ちの中国人。子どもの頃から太極拳を習い身体の使い方が非常に優れている。


山本早也佳・・・中学3年生。元ダンス部員。後輩からの人気が高い。奏颯の姉の和奏わかなの親友で、奏颯のことは小学生時代から知っていた。

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