第625話 令和3年1月20日(水)「心花」川端さくら
「高校に行きたくない」
突然、
もう高校受験が目前に迫ったこの時期に。
これまで彼女は受験という現実から目を逸らしてきた。
ようやく最近になって受験と向き合うようになったと思ったらこれだ。
わたしは怜南と顔を見合わせた。
彼女はつき合っていられないという表情だ。
当然わたしも怜南も受験生であり、人生の重大な岐路を迎えている。
他人のことを構っている場合ではないという怜南の気持ちはよく分かる。
「臨玲の受験、明後日だよね?」
わたしが確認すると心花は小さく頷いた。
普段は何も恐れるものはないと自信に満ち溢れているのに、いまは怯えた子鹿のようだ。
そんな姿を見ると友だちとして助けてあげたいと思ってしまう。
「大丈夫だよ。心花なら合格できるし、臨玲には日々木さんや澤田さんも行くんだから」
臨玲は超が付くお嬢様学校だ。
噂を聞く限り、一般庶民には居場所がないような特殊な世界らしい。
比較的裕福な心花でも肩身が狭いかもしれないが、知っている顔がいればなんとかやっていけるのではないか。
そんなわたしの励ましの言葉に心花は力なく首を横に振った。
そして伏し目がちにボソボソと呟いた。
「……が良い」
わたしは顔を近づけ「何?」と尋ねる。
彼女の髪からはほんのりと柑橘系のシャンプーの匂いがした。
「さくらと一緒が良い」
小声だが今度はハッキリ聞き取れた。
わたしは思わず顔を仰け反ってしまう。
心花からこんなことを言われるなんて予想していなかった。
わたしにとっては親友のような存在だが、彼女はわたしのことを友だちのひとりくらいにしか見ていないと思っていたのだ。
どんな顔をしていいか分からないわたしは両手で顔を覆う。
……ヤバい、めっちゃ嬉しい。
お互いにメリットがあったからではあるが、3年間わたしは彼女を陰から支えてきた。
その苦労がいまのひと言ですべて報われた気持ちになる。
「公立でいいなら」とわたしが答えると、心花は「どこでもいい」と言った。
わたしは志望校よりひとつランクを落とした高校の名前を挙げた。
元々心花は試験の成績は良い。
そこだったら十分に合格圏内だろう。
「バカみたい」と不機嫌な顔つきで怜南が口を挟んだ。
「いまの志望校だと合格できるか不安だったからいいの」とわたしは言い訳する。
怜南の挑戦する姿勢に刺激を受けてランクの高い高校を志望した。
努力が実り、合格の確率は高いと言われた。
とはいえそれほど余裕がある訳ではないと自分でも分かっている。
滑り止めは受けるものの失敗は許されない試験だ。
安全に行きたいという気持ちも強く、心は揺れていた。
「たぶん心花のことがなくてもギリギリまで迷ったと思う。いいきっかけだったのよ」
怜南は顔を歪め「お友だちごっこをしていればいいわ」と突き放す。
彼女のポリシーからすればわたしの選択は愚かなものだと映るだろう。
怜南は「周りのレベルが高いと自分のレベルも引き上げられるから」と難関校に挑んでいる。
このところオシャレに気を配っていないと分かる姿で登校しているほどだ。
挑戦をやめたわたしはそんな彼女から裏切り者扱いされても仕方がない。
「心花は気にしなくていいからね」とわたしは心花に笑顔を向け、「ところで、臨玲に願書は出したの?」と尋ねる。
心花はまったく分かっていない様子で、首を傾げている。
彼女に聞いたのが間違いだった。
志望校の変更は親や先生とも話し合わなければならないことだし、わたしたちだけで決まるものではない。
「臨玲はたしか明日まで受け付けだったはずだから、担任に聞いてきたら?」
表情は変わらないが、怜南が助け船を出してくれた。
わたしは「ありがとう」と感謝の気持ちを伝え、「職員室に行こう」と心花を促した。
外はよく晴れていて廊下も明るい。
わたしは軽い足取りで心花の手を引く。
志望校を変更したいまも心花は受験と関わることにわだかまりを感じているようだった。
「失礼します」と言って職員室に入り、担任の藤原先生の席を目指す。
先生は副担任の君塚先生と話し込んでいたが、わたしたちに気づいてこちらを向いた。
わたしは真っ先に報告すべき心花を前に立たせようとしたが、彼女はわたしの背後から出て来ない。
仕方なくわたしがすべて説明することになった。
「そうですか。彼女のご両親から、迷っているようなので願書は締め切り間際に出すと伺っています。ご両親がご在宅ならば許可を出しますのでいまここで連絡を取っても構いません」
藤原先生は心花にそう言うと、わたしに向かって残念そうな表情を見せた。
感情を隠せないタイプなので生徒からは結構人気がある。
「公立はまだ時間があるので、もう少し考えてみませんか?」
わたしの親は特に何も言わずにわたしの決断を受け入れてくれるだろう。
だから、乗り越えるべきはここだ。
わたしはお腹に力を込めてから話し始めた。
「3つの理由があります。ひとつ目は妹たちのためにもどうしても公立高校に進学したいということ。ふたつ目は元の志望校だと入学したあとの学校生活が大変そうだと感じたこと。みっつ目は……」
わたしは振り返って心花の顔を見た。
どこか頼りなげで借りてきた猫のようだ。
「友だちとの関係をもっと真剣に向き合いたいと思いました」
わたしと心花はお互いが友だちとして真剣に向き合ってこなかった。
心花をグループのリーダーとして支えていたが、それは自分の居場所を確保するためだったし、彼女を利用する気持ちが強かった。
心花もまたどこまでわたしを友だちと思っていたのか分からない。
どこか歪で心許ない関係だけど、高校で一からやり直すことができるんじゃないかと思ったのだ。
「しっかり考えて決心したのなら良いと思います」
そう言ってくれたのは普段はおっかない君塚先生だった。
藤原先生は恨みがましい目で君塚先生を見るが、意に介さず「大切なことはどこに行くかではなく、高校生活をどう過ごすかです。そこで何を経験し、何を自分のものとするか。それはひとりでは成し遂げられないこともあるでしょう」とわたしの肩を持ってくれた。
わたしは姿勢を正し「はい」と大きな声で返事をする。
不安がゼロになった訳ではないが、自信を持って受験に望めそうだ。
††††† 登場人物紹介 †††††
川端さくら・・・3年1組。1年から心花と同じクラスでグループを陰から支えてきた。
津野
高月
藤原みどり・・・3年1組担任。国語教師。教え子の進学実績を気にしている。「うちのクラスは成績の優秀な生徒が多いのに、なぜみんな実力に見合った高校を受験しないのか」と嘆きが止まらない。
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