第616話 令和3年1月11日(月)「普通」晴海若葉

 昨日に続いて祝日の今日も奏颯そよぎとコンちゃんがうちに来た。

 あたしの家は狭いし散らかっている。

 とても友だちを上げられるような家ではない。

 よく集まる可馨クゥシンの家と比べたら尚更そういう気持ちが強くなる。

 仕方がないので今日も寒い中を近くの公園まで行くことにした。


「横浜の成人式がニュースでやっていたけど、やっぱ晴れ着はいいよな」


「奏颯も女の子なんだ」


「なんだよそれ」と奏颯がツッコミを入れたコンちゃんに詰め寄る。


「良いよねー。あたしも着てみたいけど……」とあたしが口にすると、「わたしはパス。あんなの着物業界の陰謀でしょ」とコンちゃんは夢も希望もないことを言った。


「たとえ陰謀でも晴れ着は可愛いからアタシは着るよ」と奏颯が言い返す。


「でも、高そうだよね……」とあたしが言うと、「レンタルでも結構するよね。それに着付けだとか美容院代だとか……」とコンちゃんが顎に手を当てて顔をしかめた。


「興味あるんじゃん」と今度は奏颯がコンちゃんにツッコミを入れる。


 奏颯は三人姉妹の三女だ。

 話を聞く限りそこそこ裕福な家のようだ。

 公立の中学に通うのは成績の問題だったらしい。

 コンちゃんは自分の家の話をほとんどしないが、おそらくあたしと同じような家庭だろう。

 成績だけなら私立にも行けたはずだ。

 晴れ着のことも”酸っぱい葡萄”だと思えば説明がつく。


「それよりさ。クリスマスのダンスのことは昨日話したのがすべてだよ」


 コンちゃんが黙り込んだのを見て、あたしは話題を変える。

 昨日ふたりは終業式のあとで行ったダンス部のイベントのことであたしに話を聞きに来た。

 3年の早也佳先輩があたしのことを褒めていたと言うのだ。

 それを聞いてびっくりした。

 早也佳先輩は後輩から人気が高い先輩で、あたしは話したこともないくらい遠い存在だったからだ。


「実際に見てみないとってことになったんだよ」と奏颯が今日来た訳を説明する。


「え? いまから?」と尋ねると、奏颯は親指を立てて「いまから」と答えた。


「えー、無理だよー」と抗議すると、「イベントじゃあみんなの前で踊ったじゃん」と奏颯はニヤニヤ笑っている。


「ソロは無理だよ」というあたしの言葉に、「Aチームなら近いうちにソロで踊る機会があるでしょ」とさっき助けてあげた恩を感じていないコンちゃんが逃げ道を塞ぐ。


「大勢だと緊張すると思って、今日もふたりだけで来たんだよ」と奏颯も一応は気を使ってくれたようだ。


「音楽が……」と尚も抵抗を続けようとするが、奏颯は自分のスマホを指差し「用意してる」と告げた。


「自主練で一緒に踊ったりしているじゃない」とコンちゃんは言うが、状況が違う。


「そういう時ってあたしのダンスなんか全然注目してないよね。こんなプレッシャーには慣れていないの!」


 オーディションで踊る時だって大勢いる中のひとりって感じだからそれほどプレッシャーを感じなかった。

 しかし、いまはふたりに期待の目で見られている。

 あたしは誰かに期待されることなんてまったくないので、こういう時にどうしていいか分からなかった。


 普段から注目されることが当然といった奏颯はあたしの言い分が理解できない様子だった。

 コンちゃんは奏颯ほどではないが、困った表情を浮かべている。


「ふたりに見られながらイベントの時みたいに踊るのは無理だし、それじゃあ参考にならないでしょ?」


 奏颯は「まあ、そうか」と納得してくれた。

 だが、コンちゃんは「じゃあどうすればあの時のように踊れるの?」と聞いてきた。

 あたしは言葉を返せず考え込む。


 ……意識しちゃうよね。


 たとえイベントの時とまったく同じ状況を作ったとしても変に意識してしまうに違いない。

 それほどあたしにとって注目を浴びることは稀で、勝手が分からないことだった。


 あたし同様に腕を組んで考えていた奏颯が「慣れてないって言うのなら慣れればいいんじゃね?」と口を開いた。

 あたしは「は?」という感じだったのに、コンちゃんは「それでいこう」と即決する。


「待ってよ! 慣れるって、どれくらい掛かるか分かんないよ」


「いいよ。待つから」とコンちゃんは言い「わたしたちも横で自主練していよう」と奏颯に声を掛ける。


「そうだな」と奏颯も乗り気になり、すぐに身体を動かし始めた。


 ふたりとも自主練をいつでもできるような服装で来ていた。

 あたしもちょっと出掛ける時に着るジャージなのでその点は問題ない。

 卒業式に行う次のダンスはクリスマスのものをベースにするそうなので、自主練であの時の振り付けを踊る必要はあった。


「良いって言うまでこっち見ないで欲しい」というあたしのお願いに対して奏颯は「分かった分かった」と鷹揚に頷いた。


 3人でウォーミングアップを始める。

 そもそも奏颯は1年の中では可馨に次いで上手いのだし、コンちゃんだってあたしより実力は上だ。

 そんなふたりにジロジロ見られたら気になって踊れなくなってしまう。

 終業式の日に須賀先輩に褒められたのだって以前より上達したと言われたのであって、いまもふたりより実力が劣っているのは自分でも分かっていることだった。


 ふたりの背後でコソコソと自分のダンスを練習する。

 ふたりも自分のダンスに集中しているようで、たまにこちらを見ることはあってもすぐに視線を逸らすので気にならずに済んだ。


 何度目かの小休憩のあと奏颯から「少しは慣れた?」と聞かれた。

 あたしは「そんなすぐに慣れる訳ないよ」と答えるが、コンちゃんが「慣れていない状態のダンスも見せてよ」と言い出した。

 慣れたあとのイベントで見せたダンスと比べたいそうだ。

 なんとなく釈然としないが、身体を動かしたあとだと先ほどまでのような絶対嫌といった気持ちは消えていた。


「あ、じゃあさ。ここなんだけど……」とあたしは先にしっくり来ないフレーズをどうすればいいか聞いてみた。


 自分が思うように自分の身体を動かすことはとても難しい。

 ダンスをやり始めて強く思うようになった。

 初めのうちはどこに問題があるのかさっぱり分からなかったが、最近は少しずつ自分でも分かるようになってきた。

 しかし、分からないことも多い。

 見てもらえる機会は貴重だ。


「そこは……」とすかさず奏颯ややってみせてくれる。


 同じダンスと思えないほどキレが違う。

 こんなに踊れたら楽しいだろうと思うが、彼女にも彼女なりの悩みがあるらしい。

 見よう見まねで奏颯の動きをトレースしていると、「重心の移動がうまくできていないね」とコンちゃんがアドバイスしてくれた。

 その点に注意して踊ってみると少しスムーズに動けたような気がする。


「なるほど。そんな風にアドバイスすればいいんだ」と奏颯も感心している。


 あたしはふたりの前で重心移動に気をつけながら通して踊ってみた。

 イベントの時のようなダンスではなかったと思うが、意外とリラックスして踊ることができた。


「普通に上手くなってきたよな」と奏颯が褒めてくれた。


 その言葉にあたしはニッコリ微笑む。

 それを見たコンちゃんが奏颯に何か耳打ちした。

 なんだか仲間外れになったようで、あたしは顔を曇らせる。

 すると、コンちゃんは「ごめん。隠すつもりじゃなかったんだけどね」と謝ってから、「褒めるに限るねって言ったのよ」と明かした。


 ここは怒るところだろうか。

 どう反応すべきか悩むあたしに、奏颯は「イベント間近になるとダメ出しが増えていたから、その反省だよ」と肩をすくめた。

 確かにイベント前は奏颯や可馨が渋い顔をしていることが多く、ほかの1年生にも悪影響を与えていたかもしれない。


 あたしはみんなをまとめる立場の人は大変だなあと思いながら自分の練習に取り組んでいたし、いまもそんな感じで捉えていた。

 あたしの口から「これで解決だね」という言葉が飛び出したのも早くこの重責から解放されたいという願望からだった。


 だから、コンちゃんが「若葉にはまだまだ秘密が隠されているような気がする」と言ったことに驚いたし、奏颯まで「そうだよな。もっと協力してもらわないとな」と同意したことに戸惑ってしまう。

 あたしはごく普通で、凄いところなんてどこにもないのに。




††††† 登場人物紹介 †††††


晴海若葉・・・中学1年生。ダンス部。小学6年生の時に公園で行っていたダンス部の自主練を見て興味を抱いた。その際に須賀先輩が優しく指導してくれたことがダンス部入部を決意するきっかけとなった。


恵藤奏颯そよぎ・・・中学1年生。ダンス部。姉がダンス部部員で、その親友の早也佳先輩に憧れてダンス部に入部した。


紺野若葉・・・中学1年生。ダンス部。入学当初は陸上部に入るつもりだったが、ダンス部のパフォーマンスを見たり、クラスメイトの奏颯がダンス部に入ると公言していたのを聞いたりして気持ちが動いた。


可馨クゥシン・・・中学1年生。ダンス部。アメリカ育ちの中国人。親友のさつきと共に入部した。本格的なダンス経験はないが太極拳を子どもの頃から習っていた。

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