第605話 令和2年12月31日(木)「大晦日」日野可恋
寒波到来のニュースが流れているが、空調の効いた部屋にいると遠い世界の出来事のように感じる。
いまは自分自身のことより、ひぃなのことの方が心配だった。
彼女からは朝昼晩と小まめに連絡が来る。
一昨日は動揺が隠せない様子だったが、その後表面上はかなり落ち着いたようだ。
だが、目の前で自分の母親が倒れているところを見たのだから、その衝撃は計り知れない。
私も弱っている時はその姿を見せないように気をつけていた。
人が苦しむ姿は記憶に残り、元気になってからもそれ以前と同じような接し方ができなくなることがよくある。
私はそういう対応をされる側だったので、ひぃなにあまり有効なアドバイスはできなかった。
年末年始はひとりで過ごすことが確定した。
母はマンションに戻ることも考えたようだが、いまの東京の感染状況を見るとリスクが高いと断念した。
代わりに祖母に来てもらおうかと提案したが、私が断った。
祖母に煩わされるくらいなら孤独の方がずっとマシだ。
同様にキャシーも来たいと言ったが、丁重に『来たら東京湾の底に沈めてあげる』と却下した。
今日は大晦日ということもあり、新聞やネットでも今年一年を振り返る記事が多い。
言うまでもなく今年は新型コロナウイルスに振り回された一年だった。
人類の歴史に大きく記されることは間違いない。
年が明けてすぐはまだ対岸の火事だった。
中国武漢での出来事だったり、豪華クルーズ船での出来事だったりした。
ヨーロッパやアメリカで感染爆発が起きて状況は一変する。
すぐに全世界に感染は広がり、日本でも強い危機感を抱くようになった。
当初は情報が乏しく、どれくらいの危険性か専門家の間でも意見が分かれていた。
いまだに軽視する人がいて人間の愚かしさを証明してくれているが……。
日本国内で大きく状況が動いたのが2月末の学校の一斉休校だった。
政府からの要請という形ではあったが、事実上国内すべての学校が突然休校に追いやられた。
日本人の危機感を高めるという効果は絶大だったが、その皺寄せは子どもたちに行く。
卒業式が中止されたり、1年間一緒だったクラスメイトとお別れする機会を失ったりした。
当然、学生の本分である学業の面でも大きな損失を齎した。
現在の視点から見れば、行動範囲の広い大学生を除いた学生が感染拡大に寄与する影響は小さく、この政策は間違いだったと判断できる。
当時の状況ではそれが分からず、政治が介入しやすい学校を封鎖するという判断に至ったことは仕方がなかった。
ただ翻弄された子どもたちに十分なフォローがされたとは言えず、「感染から守る」という大義名分だけで犠牲にした印象が強い。
この時期、大学教授の母は女性支援のために奔走していた。
著名な研究者である母は現場に入ってその声を聞き、それを行政に繋げる活動を行った。
尊敬に値するものだが、どうしても感染するリスクは高まってしまう。
一方、私は免疫系の障害を持つため感染は致命的になる可能性があった。
そこで母は東京に部屋を借り、しばらくそこで暮らすことにした。
独りになるわたしのために、ひぃなが一緒に住んでくれた。
それを許してくれた寛大な彼女のご両親には生涯足を向けて寝ることはできないだろう。
4月には緊急事態宣言まで発出された。
海外のような強制力は持ち合わせていない分を、日本では同調圧力が補っていた。
自粛警察なる言葉が飛び交い、戦時中はこのように非国民扱いされる人が出ていたのかと思い知らされた。
ようやく感染が落ち着き、神奈川県では6月1日から学校が再開される。
休校期間中にオンラインでのホームルームを実施するなどクラスのために奮闘していた私だが、その後はまったく登校していないのできっとクラスメイトに忘れられたに違いない。
代わってひぃなが学級委員として高校受験を控えるクラスメイトたちのために頑張っている。
学校は分散登校など手探りで少しずつ前に進んでいったが、社会の方はかなり速いペースで元の状況へと戻って行く。
第2波が拡大し第1波を上回る感染者数が報告されていたが、若者中心ということもあって人々の警戒感は乏しかった。
そんな中、東京を除外する形で「Go To トラベル」がスタートする。
修学旅行が中止された学校は少なくなかった。
この国の子ども軽視を象徴するような施策だったのではないか。
長い梅雨から一転して酷暑の8月となった。
夏休みは2週間に短縮された。
その短い夏休みが終わった8月末に首相が辞意を表明した。
15歳の私にとって人生の半分以上にわたり彼が総理大臣を務めていた。
実際、私には彼以外の総理大臣の記憶がない。
未曾有の危機が続く中で彼が退陣し、官房長官だった人物が新たな総理に就任する。
この夏はまた東京オリンピック・パラリンピックが開かれるはずの夏でもあった。
3月に異例となる1年延期が発表されたが、このパンデミックの状況では当然の判断だっただろう。
来年無事に開催されるかどうかも不透明だ。
これを目指してきた選手にとっては辛いことだが、スポーツは平和な日常があってこそだとも言える。
秋になり穏やかな気候が続いた。
私が通う中学校では運動会や文化祭は観客を入れずに行われ、修学旅行は1泊2日のキャンプに変更して実施された。
幸い私の体調も良く、これら行事に参加できた。
ひぃなと出会って私はこうした行事の想い出が大切だと気づいた。
これらもまた私が生きた証と言えるだろう。
11月に入り、第3波が世界を襲う。
海の向こうではアメリカの大統領選挙が行われ現職が敗北した。
新型コロナウイルスの影響もあったと言われている。
12月になると春の時のように医療現場から危機を伝える声が上がり始めた。
私が代表を務めるNPO法人でも大阪でイベントを予定していたが急遽オンラインでの開催に切り替えることになった。
この不穏な一年をなんとか乗り越えられそうだと思った矢先、母親が倒れたとひぃなから連絡が届いた。
幸い命に別状はなかったものの、医療崩壊の声が現場から上がっている時期だけに本人も家族も気が気でないだろう。
私も例年だとこの時期はよく入院をする。
今年はインフルエンザの流行がほとんど発生していないと言われるが、検査が行われていないだけだという指摘もある。
それでも徹底した感染症対策がインフルエンザにも有効で、その効果が発揮されたのは間違いない。
私も人との接触を極力抑えているので感染症へのリスクは軽減されている。
しかし、体調の波はそれ以外でも起きるので大丈夫だとは言い切れない。
とにもかくにもいまは体調を優先して安静に過ごすことが大切だろう。
『可恋、まだ起きてる?』
お風呂に入ってくると言ったひぃなが戻って来たようだ。
その声はいつもより幼そうに感じる。
『そろそろ寝ようと思っていたところ』
時刻は夜9時を回ろうとしていた。
大晦日だろうが元日だろうがペースを乱さないことが私にとっての平穏だ。
『そっか』とひぃなが呟く。
『寂しい?』と尋ねると、『わたしももう寝るから平気』と気丈に答えた。
『夢の中で逢おう』
『そんなことできるの?』とひぃなが笑った。
『離れていても気持ちは繋がっているんだから、できるかもしれないよ』
『……そうだね』
しばらく余韻に浸っていると、彼女は口調を改めて『可恋』と呼び掛けてきた。
私は『何?』と尋ねる。
『今年1年、ありがとう。来年はもっと良い年にしようね』
『こちらこそ、ひぃなのお蔭で助かったよ。心から感謝しているよ。来年はそうだね……、不幸が寄って来れないシールドを張ろう』
人の身でそんなことはできやしない。
それが分かっていても彼女を守ってあげたいと思う。
来年は高校進学が控えている。
魑魅魍魎とまでは言わないが、何が潜んでいるか分からないところだ。
『頼りにしてる。わたしも強くなるから』
彼女は守られてばかりの雛ではない。
今回のことも乗り越えていくだろう。
私たちは2020年の最後に相応しい言葉を口にする。
『ひぃな、愛しているよ』
『可恋。……わたしも大好きだよ』
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