第591話 令和2年12月17日(木)「思いを伝える唯一の方法」秋田ほのか

 部活が休みの日はあかりと自主練をする。

 練習場所は民家が建ち並ぶところで、空き家が多いのか人の気配はほとんどない。

 軽自動車なら入ってこれる道幅だが、通り抜けられないので滅多に車を見かけることはなかった。


 街灯は少し離れたところにひとつあるだけなので、暗くなると続けられない。

 最近は日が暮れるのが早いので練習時間が短くなっていた。


 あかりは少し遅れてやって来た。

 相変わらず冴えない表情をしている。


 私たちは視線だけを交わして、すぐに練習の準備に取りかかる。

 しっかりウォーミングアップを済ませると、各自の練習メニューをこなしていく。

 クリスマスイベントまで1週間となったので、当然その練習に時間の多くを割く。

 イベント担当班から私のソロパートとして示されたのは海外のダンサーがアップした動画だった。

 最初に見た時はどう踊っていいのか分からないくらい難易度が高かった。


 日本のダンス動画ばかり見てきた私には新鮮な印象を受けた。

 慣れてくると徐々にコツをつかんでいった。

 それでもあと1週間で満足いく仕上がりになるかどうかは分からない。

 先輩たちに見られても恥ずかしくない出来映えにはするつもりでいるけれども……。


「あかり、集中しないとケガするよ」


 私がそう指摘しても、彼女は上の空で踊り続けている。

 ダンスに集中しているのではなく、何か別のことに気を取られている顔だ。

 このところ部活中でも自主練中でもこんな姿が増えていた。


 もう一度「あかり!」と大声で呼ぶと、ようやく気がついて動きを止めた。

 私を見て「どうしたの?」と口にするが、こちらが言いたいセリフだ。


「練習に集中しないと時間の無駄だよ」


「あー、うん。ごめん」


 あかりは謝ると顔を伏せた。

 自分でも思い当たることはあるようだ。

 私は溜息をひとつ吐くと、「いまは部長じゃないんだから練習に集中してよ!」と声を上げた。


 あかりの様子がおかしいことに気づいていたのは私だけではなかった。

 昨日の練習中にもうひとりの副部長である琥珀があかりを部長職から外すという暴挙に出た。

 どう対処していいか分からなかった私と違い、琥珀は適切で素早い決断をしたと思う。

 人間関係に疎い私はあかりが普段と違うことに気づいていても、その原因や対応の仕方が分からなかった。


 練習のあと琥珀に聞いてみたところ、部長としての無力感があるのではないかと言っていた。

 あかりは夏に部長を引き継いでから懸命にダンス部のために頑張ってきた。

 だが、目に見える成果がなく、手応えを得られていない。

 1年生の反発やそれを受けたOGの介入に、自分の力不足を感じているのだろうと推測していた。


 私や琥珀はあかりが頑張ってきたこと、それがダンス部を支えていたことをよく知っている。

 だが、私や琥珀が言ってもあかりの心には響かないようだった。


 残念ながら今日の様子を見る限り、琥珀の荒療治は効果があったようには見えない。

 昨日の今日だし、すぐに結果を求めてはダメだと思っていても、どうしても気が急いてしまう。

 ダンスのことならいくらでもアドバイスできるが、それ以外のことはさっぱりだ。

 私もまた彼女のために何もできなくて力不足だと思い知らされていた。


「あかりはダンスが好きじゃないの?」


 あかりがソフトテニス部から笠井先輩を追い掛けてダンス部に入ったのは有名な話だ。

 それは、彼女はダンスが好きで入部したのではないということを意味する。

 実際にはダンスが好きで好きでどうしてもダンス部に入りたいと思って入部した生徒はごく一部だ。

 格好良さそう程度の軽い気持ちで入った部員がほとんどだから、あかりの入部理由はちょっとしたエピソード程度に捉えられている。

 だが、いまのダンスへの取り組みを見ていると、そういうところに理由があるのではないかと気になってしまう。


「嫌いじゃないよ」というのがあかりの回答だった。


 私は好きという言葉がないことに納得できず、眉間に皺を寄せる。

 以前ならカッとなって責め立てていただろう。

 黙り込む私の方を見ずに、あかりは言葉を続けた。


「ほのかのように才能があれば、もっと好きになれたのかもしれない」


 口を開けば罵声が飛び出しそうで、私は何も言えなかった。

 胸の中に渦巻くものが行き場を失い、私の心を押しつぶそうとする。


「……何よ」


 あかりに寄り添う言葉を掛けたいと思っているのに、あふれ出た思いが口を衝く。

 私は両手を握り締めて堪えようとするが、堰を切ったように言葉が零れ出て行く。


「何が才能よ。私だって自分の才能の無さをどれほど悔しく思ってきたか……」


 才能があるというのはひかり先輩くらい凄い人のことだと思う。

 あの人はどんな難しいダンスでも楽しそうに踊ってみせる。

 単なる技術の問題ではなく人を惹きつけるオーラがあるのだ。


 それに比べれば私のダンスは、中学生の中ではちょっと上手いという程度だ。

 それだって人一倍練習して身につけたものだ。

 頑張っても頑張っても藤谷との差は広がらなかったし、1年生にはあっという間に抜かれてしまった。


「あかりは……私が努力しているのを見ていてくれたと思っていたのに……」


 涙が止まらない。

 こうなってしまうと抑えが効かなかった。

 右手を目元に当て、私は泣きじゃくる。


 立ち尽くす私の身体を柔らかい身体が包み込んだ。

 ジャージは着ているものの今日は少しじっとしているだけで震えるほどの寒さだ。

 いまの会話中にお互いかなり身体が冷えていたようで、抱きつかれても冷たいと感じたほどだった。


 やがてふたりの体温が互いを温め合い、温もりを感じるようになっていく。

 私は両手を彼女の背中に回し、しがみつくようにギュッと力を込めた。


 この安心感を知ると、人はひとりでは生きられないのではないかと思ってしまう。

 いつしか涙は止まり、心地よさをいつまでも味わっていたいとそれだけを考えていた。


「ごめん」


 沈黙を破って、あかりが私の耳元で囁いた。

 それをきっかけに、ひとつになっていたものがふたつに引き裂かれる。


 あかりの目も赤く腫れていた。

 それを見た私は彼女を少ししゃがませ、その頭を胸元に抱き寄せる。

 伝える言葉を持たないいまの私にはこれが思いを伝える唯一の方法だった。




††††† 登場人物紹介 †††††


秋田ほのか・・・中学2年生。ダンス部副部長。口が悪く、そのせいでこれまでほとんど友だちがいなかった。


辻あかり・・・中学2年生。ダンス部部長。現在部長職を休止状態にされている。


島田琥珀・・・中学2年生。ダンス部副部長。彼女もまたこれまでの自分の行動がどうだったかと責任を感じている。

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