第592話 令和2年12月18日(金)「可恋の平穏はわたしが守る」日々木陽稲

『あのね。日本では、弟子は師匠のパートナーである「おかみさん」を師匠同様に敬い、その指示に従わなければいけないのよ。分かった?』


 わたしは目の前に座る大柄な黒人少女に英語で懇切丁寧に説明した。

 それなのに、彼女は爽やかな笑顔とともに『さっぱり分からないぞ、ヒーナ』のひと言で終わらせた。

 キャシーのことだから予想はしていたが、もう少し頭を使おうよと言いたくなってしまう。


 彼女が通うインターナショナルスクールは日本の学校より一足早く今日から冬休みに入った。

 楽しみにしていたハワイ旅行が中止になり、この感染状況の中で街中をうろうろされないように、キャシーはこの長期休暇も可恋が通う空手道場で過ごすことになった。

 早速今日家族に送ってもらってやって来た彼女は夕方可恋とわたしが暮らすマンションに顔を出した。

 諸注意を与えるためにわたしが呼んだのだ。


 本当は歓迎会のひとつもやってあげたいところだが、現状では難しい。

 特に、可恋は多忙を極め、いまも自室で仕事中だ。

 キャシーの相手として冬休み中に何人か空手の猛者を呼んだそうだが、可恋自身は朝稽古にも行けないほどだった。

 とてもキャシーの相手をしている余裕がない。


 そんな可恋がこの週末わたしにつき合って映画を見に行く。

 前からの約束を守ってくれるのだ。

 このご褒美とも言える時間をキャシーに邪魔されたくはなかった。


『とにかく、可恋の手を煩わさないようにして。特にこの週末は!』


『何かあるのか?』


『デートよ、デート。キャシーも女の子なんだから分かるでしょ。デート前に胸がときめく女の子の気持ちが』


 つい勢いでそう語ったが、キャシーに分かるはずがなかった。

 彼女は楽しそうに『ワタシも連れて行け』と要求してきた。


『ダメよ』とハッキリ断る。


 その上で『これは前から計画していたことだから』と理由を説明する。

 映画の予約は二人分しか入れていないし、そもそも邦画のラブストーリーを日本語が分からないキャシーが見て楽しめるはずがない。

 英語で噛み砕いて説明するのは骨が折れる作業だったが、苦労してそれを告げても彼女は子どものように一緒に行きたいと駄々をこねた。


 キャシーは可恋のことを忍者になるための師匠だと思っているから、可恋が言えば最後は納得するだろう。

 だが、小指一本で倒せそうなわたしのことは軽く見ているように感じていた。

 友だちなのだからもっと対等な関係でないといけない。

 そのためには言葉を尽くす必要があった。


『キャシーとわたしは友だちだよね?』


『もちろんだ!』とキャシーは快活に声を上げた。


 そこに何の迷いもない。

 友だちであることを信じて疑わない目をしている。


『だったら、友だちを困らせることはしないで欲しいの』


 わたしの訴えにも『でも、一緒の方が楽しいじゃないか』と彼女は納得しない。

 自分の正しさを信じ切っている顔だ。

 ここで、キャシーだって~と誰かが割って入ってきて嫌がる状況を例に出そうとしたが、何も思い浮かばなかった。

 彼女の場合、どんな時も一緒にやろうぜで済ませてしまう気がする。


『日本の映画だから言葉が分からないでしょ? それにラブストーリーだからキャシーは退屈すると思う』


『アクション映画を見ようぜ!』


『ずっと楽しみにしていたのよ』


 これは事実だ。

 昨年可恋とふたりで『クリスマスの奇蹟』という映画を見て感動した。

 ファッションに注目して映画を見るのでどうしても洋画ばかりになっていたが、この作品で邦画への見方が変わったくらいだ。

 ほとんど無名だったサブヒロインの若手女優が一気にブレイクし、彼女をメインに据えてまたしてもクリスマス映画が作られた。

 前評判も高く、わたしは公開されるのをいまかいまかと楽しみにしていたのだ。

 クリスマスイヴの夕食にキャシーを招くのは百歩譲って承諾してもいいが、このデートはふたりきりで過ごす。

 わたしにとって絶対に譲歩できない一線だ。


『本当に素敵だったのよ。衣装もシーンごとによく考えて使われていたし、恋愛映画なんだけど生きることとは何かみたいな重いテーマが背後にあって深みが感じられたし』


 わたしはまず『クリスマスの奇蹟』がどんなに良い映画だったのか語るところから始めた。

 相手に自分の思いを伝えようとするのなら誠心誠意話すことが大切だ。

 非言語のコミュニケーションも重要だが、言葉は人類が長い時間を掛けて磨き上げてきたものだ。

 百万語で足りないのなら一千万語並べたらいい。

 それくらいしないと思いは伝わらない。


『どうしても一緒に行きたいと言うのなら、いまから予習として『クリスマスの奇蹟』を見よう。同時通訳してあげるから。その代わり、絶対に途中で退屈そうな素振りを見せてはダメよ』


 あれほど何があっても一緒に行くぞと意気込んでいたキャシーが気勢をそがれたような顔になった。

 一方、わたしは意気揚々と映画のディスクをセットする。


『映画館の予行演習だからお喋りは禁止ね』とわたしが言うと、彼女は引きつった表情になった。


『厳しすぎるぞ!』


『私語厳禁!』


 キャシーはムッとした顔でモニターに目を向けたが、5分と持たずに『もう無理だ!』と音を上げた。

 わたしが『勝つまで戦い続ける根気はどこに行ったの?』と問い掛けると、『こんなのは拷問だ』と悲鳴に近い声を出す。


 わたしはキャシーの弱点を見つけた気がして、『じゃあ映画は見なくていいから、代わりにわたしの話に最後までつき合って』と頼んだ。

 しかし、キャシーは『そろそろ夕食の時間だ。道場に帰る』と言い出した。


『可恋の仕事が終わるまで待つんじゃなかったの?』


『いや、いい』とキャシーは逃げ出す勢いだ。


 さすがに挨拶もなしに帰す訳にはいかないと可恋を呼び、わたしたちに見送られてキャシーは帰っていった。

 それから不思議そうな顔で可恋がわたしに「キャシー、どうしたの?」と尋ねた。


「キャシーってお喋りだから誰も気づかなかったみたいだけど、他の人が話しているのをじっと聞くことが相当苦手みたい」


 キャシーはお喋りが好きでよく話す。

 一方通行で自分だけが話すという感じではないので、これまで聞くのがこんなに苦手だと思わっていなかった。

 自分のペースなら平気だけど、他人のペースだと辛いタイプかもしれない。


 思い当たる節があるのか、可恋は納得の表情になった。

 顎に手を置いて、「私がトレーニング理論の話をすると、よく目が泳いでいたな」と過去を振り返る。

 普段物静かな可恋はトレーニングの話になると人が変わったように饒舌になる。

 その時のキャシーの気持ちはわたしにも理解ができた。


「話を聞かなきゃいけない状況があって、なおかつかなりペラペラ話し掛けられないとだから、再現性は高くないよね」と分析した可恋は、「私でも逃げ出すよ」と苦笑した。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学3年生。可恋とふたりで暮らしている。キャシーから可恋の平穏と週末のデートを守るため気合が入っていた。なお、可恋の最後の言葉は自分に対してのものだと考え、可恋を逃がさない対策を目下検討中。


キャシー・フランクリン・・・G8。15歳。知的な家庭の中で突然変異のように現れた格闘技少女。空手・組み手の実力は可恋も認めるほど。忍者を目指し、可恋を師匠と仰ぐ。


日野可恋・・・中学3年生。空手・形の選手。組み手の実力も相当のもの。代表を務めるNPO法人”F-SAS”のイベント内容が急遽変更されたので、その対応に追われている。

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