第587話 令和2年12月13日(日)「来客」黒松藤花
わたしたちはいまお祖母ちゃんの家に預けられている。
今年は手術が少ないから楽だと言っていたお父さんが最近は家に帰る時間がないくらい忙しくなった。
病弱で、喘息持ちでもある妹の希は最近学校を休むことが多い。
少しくらいなら体調が悪くても学校に行くべきだと考えるお祖母ちゃんはあまりいい顔をしないが、わたしは過保護なくらいに無理をさせないようにしている。
大人相手に自己主張をすることなんてまったくないわたしだけど、これだけは譲れなかった。
休日は希に寂しい思いをさせないようにずっと一緒にいる。
わたしたちにはお母さんがいない。
希を産んですぐに亡くなってしまった。
でも、そのことで希にさみしい思いをさせたくなかった。
どれだけできているか分からないが、わたしにとってそれが何よりも大切なことだった。
「魔女さんにはお友だちはいないの?」
ベッドに入ってわたしのお話を静かに聞いていた希がこちらを見て言った。
昨日は比較的元気だったのに、今日は朝からちょっと熱っぽい。
お昼近くのこの時間までうとうとしていた妹はようやく少し顔色が良くなったようだ。
そこで退屈しのぎにわたしの唯一の趣味である自作のお話を語って聞かせていた。
「きっとたくさんいるよ」と答えると、「親友も?」と希が尋ねた。
昨日の夜オンラインで開かれた朱雀ちゃん主催のイベントを希は横で見ていた。
話の内容をどれほど理解したかは分からないが、感じることはあったのだろう。
「親友はどうかな……」
この物語は春から少しずつ創作してきたものだ。
素人が作ったものなので出来映えは決してよくはないと思うが、希を楽しませることが目的なのでそれを果たすことができれば十分だ。
とはいえ、ここまで親友の存在なんてまったく出て来なかった。
急に出すというのもどうかと思ってしまったのだ。
わたしの言葉を聞いて希は不安そうな表情を浮かべた。
そして、「希に親友、できるかな」と呟いた。
お姉ちゃんがいるからと言おうとして思いとどまる。
母親の代わりになろうと頑張ってもできないのと同様に親友の代わりを務めることもできないだろう。
わたしは顔に出さないように気を付けながら奥歯を噛み締めた。
希に掛ける言葉を思いつく前にインターホンの鳴る音が耳に届いた。
お祖母ちゃんは買い物に出掛けている。
荷物が多いとインターホンを鳴らして出迎えを呼ぶことがあるのでそれだと思い、わたしは「待っていてね」と希に声を掛けて逃げるように部屋を出た。
玄関の扉を開けると、女の人が立っていた。
いつもなら確認してから開けるのに今日に限ってお祖母ちゃんだと思い込んでいた。
見知らぬ人だったら急いでドアを閉めただろうが、その顔には見覚えがあった。
わたしが驚いて固まっていると、彼女は「近藤家の
同じ中学生とは思えないスラリとした長身と、質素で大人びた服装。
わたしは「久藤さん……」と名前を呼ぶことしかできなかった。
「お祖母様はご在宅かしら?」
彼女もわたしのことは気づいているはずだが、言葉を崩さない。
わたしは我に返り、「祖母は外出中です。すぐに戻りますから中でお待ちください」と態度を改めた。
彼女はしばし思案したあと、「そうさせてもらうわ」とフランクな口調になる。
玄関で待とうとした彼女を「祖母に叱られるから」と言って応接間に案内する。
お茶を出しながら「お祖母様は?」と質問すると、「腰を痛めたようで無理をさせられないの」と久藤さんは顔をしかめた。
近藤家は旧家で、昔は大地主だったそうだ。
黒松家は古くからここで開業医をしていた。
家同士のつき合いがあり、久藤さんを引き取ったという話は耳にした。
わたしのお祖母ちゃんは厳しい人だが、あそこの老夫婦は非常に厳格なことで知られている。
大事に育てたひとり娘が成人した途端家を飛び出したなんて話も聞いたことがあった。
久藤さんとはファッションショーの準備で何度も顔を合わせたが、話をする機会はほとんどなかった。
いろいろな意味で住む世界が違うという印象を抱いていたせいかもしれない。
いまも話題が思いつかずに沈黙が覆っている。
久藤さんは悠然と椅子に腰掛けているが、わたしはなんだか気まずかった。
この部屋から出て行く訳にもいかず、ただ時計の針が進むのを待つ。
お祖母ちゃんが帰って来てもおかしくない時間なのに今日に限ってやけに遅い。
「会話が……会話が続けられなくて困ったこととかありますか?」
昨日、朱雀ちゃんや島田さんが話していた。
簡単に誰とでも話しているように見えて、実は神経を使い大変なんだと。
久藤さんはどうなんだろうと純粋な興味から質問してみた。
もちろんこの何とも言えない空気が緩和されることを望んでのことだった。
「もちろんあるわ。私も小学生の時は友だちがいなかったし、女子の輪の中に全然入れなかったもの」
久藤さんが予想以上にしっかり答えてくれたことにホッとする。
それにしても驚きだ。
とてもそうは見えない。
「どうやってできるようになったんですか?」
「コミュニケーションに性格は関係なく単なる技術だから、それをマスターすれば良いと言われたの」
思ってもみない明確な回答に「……技術」と声が出てしまう。
久藤さんは更に「あとはそうね。100点を目指す必要はないし、失敗してもトータルとして目標に届けば良いと割り切ることが大切かもしれないわね」と言葉を続けた。
昨日の会話でも同じようなことが言われていた。
少なくとも彼女たちは何も考えずにたくさんの友だちを得られたのではない。
陰での努力があってこそなのだろう。
「みんな自分のことしか考えていないわ。普段は他人のことなんか関心がないのよ。叩きやすい相手を見つけたら寄ってたかって叩こうとするけどね」
そう言って久藤さんは笑みを浮かべる。
そんなことはないと否定するほどわたしも無邪気ではない。
「それって寂しくないですか?」
「信頼できる相手がひとりかふたりいれば十分でしょう」
わたしの問い掛けにも久藤さんはサラリと答える。
妹の顔を思い浮かべたわたしは彼女の言葉に頷いた。
どうしてここまで話してくれるのだろうという疑問を尋ねる前にお祖母ちゃんが帰ってきた。
再び丁寧な言葉遣いに戻った久藤さんは立派に名代としての務めを果たしていた。
彼女が帰ったあと、いただいたお歳暮を確認しながらお祖母ちゃんはわたしに「たいしたものだね」と言った。
それは久藤さんに対する評価ではない。
「あんなどこの馬の骨とも分からない子どもをあれだけ躾けられるのだから」
何も言い返せないわたしは奥歯を噛み締める。
希を呼びに行くわたしの足取りは重い。
しかし、妹にわたしの感情を見せたくはない。
コミュニケーションが技術だというのなら、わたしが身につけたのはこの作り笑顔だけかもしれなかった。
††††† 登場人物紹介 †††††
黒松
趣味はお話作りで、過去に母親の温もりに触れる絵本を読んで号泣し、それ以降自作するようになった。
黒松
久藤亜砂美・・・中学2年生。正式に近藤家の養女となったため本当は祖母ではなく義母に当たるが年齢差や世間体を考えて祖母呼びとなっている。姓も変わったが学校の配慮でそのままに。
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