第580話 令和2年12月6日(日)「受験攻略法」笠井優奈

 こんな天気が良い日に家でジッとしていなきゃいけない。

 それが受験生最大の試練かもしれない。


 昨日の寒さとは一転して、暖かな陽差しが外出しろと誘惑し続けた一日だった。

 散歩くらいならと思うものの、きっと何か理由を探し出して帰ろうとしなくなってしまう。

 受験まであとわずか。

 1分1秒が明暗を分けるとまでは言わないが、それくらいの思いの強さがここからは肝心だ。


 ダンス部を引退してから受験生だと自覚するまで時間が掛かった。

 簡単に気持ちが切り替えられるものじゃない。

 自分ひとりだったらもっと掛かっていただろう。

 周りの空気や友人たちの励ましがアタシを変えた。


『受験が終わったらみんなで遊びに行くぞ!』


 ダンス部を引退した3年生のLINEグループにそんな書き込みをして自分の気持ちを盛り上げる。

 愚痴を言い合うこともあるが、最近はできる限りポジティブな言葉を残すようにしている。

 辛いのはみんないっしょだ。

 いちいち言わなくても分かっている。

 周囲を元気づけるダンス部の元部長なのだから、やはり前向きじゃないとダメだと思うようになったのだ。


 土日は時間があるので高校の過去の入試問題を実際の試験の時間に合わせて解いている。

 冗談のように頭が良い女にこの方法を勧められた。

 インプットだけでなくアウトプットの訓練も必要だと。

 覚えたつもりになっていても試験で出て来ないなんてことはしょっちゅうある。

 アイツは『覚えただけじゃ意味がないでしょ』などと平然と言ってのけた。

 だが、『ダンスでも本番を想定した練習が身になったでしょ』と言われれば納得してしまう。


『試験にも流行があるから古いものを解くより新しいものを数多く解いた方が良い』


『私立のとかか?』


『私立はクセのある問題が多そうだから、それよりも他県のものの方が良いわね。神奈川以外に46都道府県あるのだからよりどりみどりよ』


 こういう情報を仲間で共有し、昨日は参加できるメンバーで同じ問題を一斉に解いた。

 その後LINEで反省会という名の女子会をやって息抜きをした。

 ダンスで鍛えた集中力の成せる技か、比較的みんな成績が向上しているようだ。


『早也佳に負けてたら志望校に落ちるよりショックだったな』


『手応えあったんだけどなあ。最近日々木塾のお蔭でだいぶ分かるようになってきたし……』


 1組では日々木さんを中心とした勉強会が教室で行われているそうだ。

 優しく励まされ、とても癒やされるという。

 勉強の教え方もさることながら、精神的に寄り添ってくれる人がいるというのは心強い。

 アタシも彼が支えてくれているというのが大きかった。

 ひとりだと「こんなもんやってられっか」と投げ出していたに違いない。


 今日の過去問を解き終わり、疲れた身体をベッドに横たえる。

 適度にストレッチをするなど身体を動かすようにはしているが、いまは休みたい気分だった。

 勉強のスケジュールの立て方についても日野から助言を受けている。

 ガチガチにスケジュールを組むのは避けるようにと。

 スケジュール通りに勉強することが目的となってしまうかららしい。


 集中できていると感じたら時間を延ばしていいし、逆に集中できない時は手を替え品を替え別の勉強法をやってみろと言っていた。

 これはダンス部の練習の時と同じで、飽きさせないように時間を短くして目先を変えていくことで集中力を持続させようというものだ。

 ダラダラと長時間机の前に座っていることが目的ではない。

 集中して勉強しないと時間の無駄だと彼女は断言した。


 少し頭が冷えたところで、ベッド脇の棚からマンガ本を手に取った。

 これもれっきとした勉強の一環だ。

 彩花に教わったが、元を正せばこれも日野から聞いた情報だ。

 日本史にまったく興味を持てないと相談した彩花に日野は小説を読むことを薦めた。

 だが、小説だと彩花にはハードルが高いので史実に基づいたものならマンガでも良いということになった。


 彩花はインターネットでそれに適したマンガを探し出し、自分が読んだものをアタシにも貸してくれた。

 いま読んでいるのはかなり古いマンガで、アタシどころかお母さんが生まれた頃のものだ。

 最初はかなり取っつきにくかった。

 だけど、名作と言われるだけあって徐々に引き込まれた。

 舞台は飛鳥時代だが、教科書だとそこに書かれた文字は記号のような感覚だった。

 テストに出るから無理やり覚えただけ。

 それが、フィクションだとしてもそこに生きている人間を知ることで興味を持つようになった。

 読み方すら難解な名前が馴染みのものになっただけでその周辺の単語も何となく意味がつかめるようになる。

 マンガだけではダメだとしても、無味乾燥な教科書の記述に親しみを感じるようになってこれまでより勉強が捗るようになった。


『ひぃなは服飾の文化史についていろいろと勉強しているよ。それを通して世界の歴史や地理を相当深く知ることができたみたい。好きなもののことだから集中して勉強できているのね』


 日野はそんなことも言っていた。

 続けて、『経済的側面に興味を持ってくれればもっと数学や経済学、経営学を勉強してくれるかしら。あと、素材に興味を持てば化学を知らないと話にならないわね』と言って、知識を詰め込む気満々だった。


『数学なんて社会に出てから何の役に立つのか分からないという意見もあるけど、現代社会は様々な学問の集合で成り立っているのよ。自分が興味のあるものを突き詰めていけばあらゆる学問との繋がりが見えてくるはず』


『ダンスも?』と問うと『もちろん』と日野は即答した。


『肉体を扱うから医学。文化的な面に注目すれば歴史や地理や社会学。音楽と数学の関係なんかも興味があれば調べてみるといいわ』


『いや、受験だから。お前らみたいに余裕はねーんだよ』


『受験勉強は大変かもしれないけど、知的好奇心は持ち続けた方がいいわよ。証明された訳ではないけど、それが脳を活性化するとも言われているし』


 この会話をした頃はピンと来なかったが、いまなら少し分かる気がする。

 受験勉強は苦行だ。

 覚えなければならないことが山のようにある。

 定期テストとは比べものにならない。

 それを機械的に頭の中に押し込んでいってもあまり定着してくれない。

 しばらくは覚えていても、やがて記憶から消し飛んでしまう。

 一方、興味を持って覚えたことは意外と頭に残る。

 全部をそうやって覚えることはできないが、詰め込み分を減らすことができたらラストスパートができるかもしれない。

 アタシは一夜漬けには自信がある。


 一時は絶望的だった志望校が少しずつ見えてきた。

 絶対攻略してやるからな!




††††† 登場人物紹介 †††††


笠井優奈・・・中学3年生。元ダンス部部長。引退後もダンス部に口を出したが、それを言い訳にしないようにしっかり勉強している。


山本早也佳・・・中学3年生。元ダンス部。優奈と仲が良く、学力もほぼ同じくらいで張り合っていた。クラスでは陽稲から勉強を教わっている。


須賀彩花・・・中学3年生。元ダンス部副部長。以前は優奈と同程度の学力だったが、1年ほど前からメキメキと学力を伸ばした。いまも気を緩めずに勉強を頑張っている。

『貸したマンガはお母さんのだから絶対に汚さないでね。折り目もつけちゃダメだから!』


日々木陽稲・・・中学3年生。臨玲高校進学が決まっている。可恋と出会って成績も向上した。苦手だった数学を克服したが、それでも文系科目の方が得意だという意識がある。


日野可恋・・・中学3年生。臨玲高校進学が決まっている。『「冗談のように頭が良い」のは小鳩さんの方でしょ。彼女ほどの記憶力はないもの』と本人は言っているが、99.9と99.99の争いに他人は関心がないようだ。

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