第566話 令和2年11月22日(日)「予定」日々木陽稲

 晩秋とは思えない暖かな陽差しが降り注ぐ午後、わたしはとてものどかな気分だった。

 三連休ではあるが出掛ける予定はない。

 受験生だからではなく可恋が家に引き籠もっているからだ。


 ほとんどのクラスメイトはいま必死に勉強していることだろう。

 推薦が決まっているわたしだけこんなにのんびり過ごしていて申し訳ないとさえ感じてしまう。

 それでも窓から差し込む太陽の温もりに包まれる誘惑からは逃れることができず、わたしは日向ぼっこに興じていた。


 可恋は日曜日だというのにお仕事で自分の部屋に籠もっている。

 期末テストに出席した分の遅れを取り戻すのだそうだ。

 学生と仕事のどちらが本業なのか分からなくなる。

 仕事がないならないで学校以外の勉強や研究に浸っているので、あまり変わらないのかもしれないけど。


 ただ体調面に関しては少し心配なところがあった。

 わたしだと元気な状態と病気に掛かった状態との境目はハッキリしている。

 もちろん厳密に言えば、元気の中でももの凄く元気だったりちょっと疲れているもののまあまあ元気だったりと差はあったりするが、それでも病気の状態とは明らかに異なる。

 だが、可恋の場合はその境界が曖昧だ。

 夏場は元気に過ごす可恋ではあるが、それでも体調の波は大きい。

 自分の身体とのつき合いが長いから悪いなりの過ごし方を心得ていると感じる。

 これは一緒に暮らして初めて気づいたことだった。


 可恋は体調がすぐれない時はひとりになりたがる。

 まったくひとりきりだと寂しい気持ちが募るだろうから、扉ひとつ分のこのくらいの距離が彼女にとって理想なのかもしれない。

 久しぶりの登校が負担だったのか、昨日から自室に籠もりがちになった。

 本当に元気な時は同じリビングで仕事をすることもあるので、可恋自身も万全ではないと自覚しているのだろう。


 わたしとしては気掛かりではあるけれども、彼女に精神的な負担を掛けないように気をつけている。

 可恋はひとりを好む傾向があるし、他人が近づくことを嫌う。

 他人の心情を推し量る術に長けていると自負するわたしでさえ、彼女との距離の取り方には苦労した。

 あまり気遣い過ぎても駄目で、時に踏み込む勇気も必要だった。

 それでいて距離を取るべき時にはしっかり取る。

 それができないと彼女の側に長く居続けることは難しい。


 そんなことを考えていると、ドアが開いて可恋が出て来た。

 犬のように駆け寄りたい気持ちを抑え、猫のように気まぐれな態度を心掛ける。


「ひぃな、ちょっといい?」と部屋着姿の可恋がわずかに硬い表情でわたしに呼び掛けた。


 わたしは姿勢を正して座り直す。

 今日のわたしの装いは高級感のある茜色のワンピース姿で、十人中十人がいまからお出掛けだろうと予想するものだ。

 出掛けられなくてもお家でこうした服を着て気分を盛り上げるのが最近の休日の過ごし方だった。


「クリスマスイヴに予定が入ったの」と可恋はわたしの前に置かれたソファに腰掛けるなりそう切り出した。


「場所は大阪。このご時世に行きたくはないのだけど、F-SAS主催のオンラインイベントの収録で、スポンサーへの挨拶も兼ねているからどうしても外せなかったの」


「……わたしを取るか仕事を取るかどっちなの? ってこういう時に使う言葉なのね」


 わたしは錯乱気味に頭に浮かんだ言葉を口にした。

 今年はふたりきりで過ごす聖夜を楽しみにしていただけに、気持ちの整理が追いつかない。

 仕事なのは仕方がないとしても、もう少し残念そうな顔をして欲しかった。

 それはわたしの我がままだろうか。


 可恋は苦笑しながら「そこで、もしご両親の許可をもらうことができたらひぃなも一緒に行かない?」と言葉を続けた。

 わたしは即座に「行く!」と飛びつく。

 許可が出なかったから駆け落ちでもなんでも……。


「絶対に許可をもらうこと」とそんなわたしの気持ちを察した可恋が釘を刺し、「私の体調や感染状況などによってはイベント自体がキャンセルされる可能性もあるからね。ワクワクしすぎて寝込んでも置いていくから」と微笑んだ。


「泊まりがけだよね?」と確認すると、「その予定。さすがに中学生だけだとマズいから向こうでは祖母に付き添いを頼むわ」と可恋は嫌な顔をする。


 可恋は母親同様祖母も苦手としている。

 家族というものは時に容赦なく自分の領域に踏み込んでくる。

 それが嫌だからと簡単に縁を切ることもできない。


「可恋が生まれ育った家に行くの?」とわたしは期待に胸を膨らませて尋ねた。


「いや、ホテルにする」と可恋はにべもない。


「えー!」とわたしが頬を膨らませて抗議しても聞き入れてくれない。


「いいよ。可恋がイベントに参加している間、お祖母ちゃんに頼んで案内してもらうもん」


 わたしの発言に可恋は渋い顔をしたが肩をすくめただけで駄目とは言わなかった。

 仕事中は別行動になってしまうので、その間わたしをどうするか考えていたはずだ。

 わたしの方から別行動の提案をすれば可恋は謝らなくて済む。


「大阪かあ。こんな状況じゃなかったら観光を楽しめたのにね」


 修学旅行がもし普通に行われていたとすれば関西方面が最有力だった。

 定番中の定番だ。

 可恋にとっては里帰りのような感じかもしれないが、それでもふたり一緒なら楽しめたはずだ。


「いや。冬は私が動けないから」


 可恋のことだから体調が悪くなくても寒いという理由で外に出たがらないだろう。

 しかし、それは決して自分勝手な理由ではなく経験則に基づくものだ。

 昨年の冬休みに可恋はちょっと無理をして結果的に3学期はほとんど学校に来れなくなってしまった。


「じゃあ暖かくなったら観光に行こう」


「来年のことを言うと鬼が笑うよ」と可恋が笑う。


「でも、未来にこんなことをしようと夢を持つのは大切だよ」


 先行きが見えない1年だった。

 そして、いまだにそれは世界を覆っている。

 可恋が安心して旅行できる日が来るまで時間が掛かるかもしれないが、そういった希望を語り合うことはとても大事なことだと思う。


「そうだね」と可恋は頷くと、「行きたいところはたくさんあるよ。沖縄だとか、ハワイだとか……」と遠い目をした。


 行きたいところと言うよりも移住したいところという印象だ。

 これから寒くなっていくだけに気持ちは分からなくもない。

 可恋の場合は寒さ嫌いが極端な上、やってしまうだけの行動力がある点が心配なところだ。


「どこに行く時も一緒だからね」とわたしが切なげに呟くと、可恋は何も答えず複雑な思いを湛えた黒い瞳をこちらに向けていた。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学3年生。今年の春の一斉休校の時からひとり暮らしになった可恋と一緒に暮らし始めた。


日野可恋・・・中学3年生。母子家庭だが、大学教授の母は仕事柄多くの人と会う機会があって感染リスクから娘と別居することにした。生まれつき免疫系に障害を持つ娘を放りだしているという批判は甘んじて受ける覚悟をしている。可恋は母の仕事をリスペクトし、母の判断を後押しした。

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