第543話 令和2年10月30日(金)「ハロウィンイベント」山瀬美衣

「最悪……」


 その呟きは部員全員の思いを共有したものだろう。

 わたしは上を見て空を眺める。

 冬を思わせるどんよりとした雲が空を覆っている。

 雨雲というほど暗くはないが、そこからポツリポツリと水滴が落ちてきていた。


「このまま続けるよ!」という部長の声が響いた。


 わたしと同じように上を向いていた部員たちがハッとしたような顔で準備を始める。

 わたしももたもたしてはいられない。

 ただでさえ鈍臭いのだ。

 マスクの下でグッと唇を引き結び目の前の仕事に集中しようとした。


 明日のハロウィンを前にダンス部が温めていた企画がハロウィンゲリラダンスライブだ。

 ハロウィンの仮装をしてダンスパフォーマンスを披露するというイベントだった。

 徹底した箝口令が功を奏して、ほとんどの生徒に知られることなく準備ができたと思う。

 今日になって各クラスに知らせて回り、1年生相手には昼休み、2、3年生相手には放課後にグラウンドで開催すると告知した。


 わたしは1年生のクラスをほかの部員と一緒に回ったが、反応は上々のようだった。

 先週の文化祭でひかり先輩のダンスショーが盛り上がり、そのイメージが強く残っているからかもしれない。

 あれを基準にされると辛いと零す部員もいたが、あのダンスで部員の心に火がついた気がする。

 マネージャーだから、普段接する1年生部員の雰囲気の変化はよく分かる。

 この1週間は今日のイベントに向けてみんな集中して練習を行っていた。


 それがこの雨で報われなかったらどうしようという不安が湧き上がる。

 さっきまでは降っていなかったのに、準備のためにグラウンドに出た途端に降り出したのだ。

 あまりのタイミングの悪さにわたしは涙ぐんでしまう。


 そんなわたしに「どうしたの?」と声を掛けてくれたのはさつきちゃんだ。

 わたしが「……雨だし」と答えると、「美衣ちゃんのせいじゃないよ! そんなに思い詰めた顔をしないで!」と言われた。

 それはそうだが、わたしの不運や不幸がダンス部にも移ったんじゃないかと思ってしまう。


「これから踊るんだよ! マネージャーも笑顔、笑顔!」と爽やかにさつきちゃんが微笑んだ。


 本当ならマネージャーが選手を支えなきゃいけないのにこれでは逆だ。

 不甲斐ないと思いながらわたしはぎこちない笑顔を浮かべる。


「1年、班別に集合して!」と部長のよく通る声が響いた。


 わたしは逸る気持ちを抑えて周囲を確認してから行動に移す。

 これはミスが多いわたしに可馨クゥシンちゃんがくれたアドバイスだ。

 わたしはドタドタと走って、すでに整列している1年生の班の先頭へ行く。

 3つに分けられた1年生の班は3人のマネージャーが班長を務めることになった。

 わたしに班長なんて無理だと何度も言ったが、みんなで支えるからと説得されて引き受けてしまった。

 マネージャーに対する意識改革の一環とも言われ、ほかのマネージャーのためにも引き受けざるを得なかったのだ。


「小雨が降っていますが、このくらいなら平気だと思います。平気だよね?」と部長が隣りに立つふたりの副部長に確認する。


 琥珀先輩が微笑みながら「やるしかないやん。いけるよね、みんな?」と1年生に尋ねると、1年生部員は声を揃えて「はいっ!」と返事をした。

 その様子を見た部長が笑顔でひとつ頷くと、「では、予定通りに始めます。段取り通りに進めればいいからね。分からないことは班長に聞いてその指示に従ってください」とわたしたちに声を掛けた。


 文化祭前、1年生は各クラスで発表する合唱の練習に追われた。

 フェイスガードをつけ、声が嗄れるんじゃないかと思うくらい練習させられた。

 ダンス部のファッションショー参加は2年生部員のみに限られ、そこでどんなダンスをするのかさえ1年生は知らなかった。

 今回のハロウィンゲリラダンスライブの準備はかなり前から少しずつ進められていたが、文化祭前がこんな感じだったこともあって1年と2年は別れて練習することが多かった。


 1年生部員にとってこれまでは先輩の指示通りにしていれば良かった。

 2年生が1年の班長を担当してくれれば同じような感じでできただろう。

 しかし、今回は大枠こそ決められているものの細かな部分は自分たちでやっていいと言われている。


 普段Aチームで練習している奏颯ちゃんと可馨ちゃん、それにマネージャーのリーダーであるみっちゃんの3人が軸となっていろいろ考えていった。

 マネージャーを班長にすると決めたのもこの3人が中心となってだった。

 ここにさつきちゃんやコンちゃんたちも加わっていろいろ意見を出している。

 わたしはただただそれを凄いなあと眺めているだけだった。


「2班は、昇降口からの生徒の誘導を行います。その後、指示があり次第ダンスの準備のためにグラウンドに集合してください」


 わたしは手元のメモを見て、指示を出す。

 覚えなくていいから、ハッキリ聞こえるよう大きな声を出すようにと注意されている。

 同じ班に可馨ちゃんやさつきちゃんがいるので、彼女たちのアドバイスが頼りだ。


「良イ声、出テタヨ」と可馨ちゃんに肩を叩かれた。


 合唱練習の成果かもしれないと思いながらわたしは「ありがとう」と目尻を下げた。

 マネージャーのわたしは班の子たちとは別行動だ。

 グラウンドに残って仮装の衣装(と言っても安っぽいピラピラした飾りだけど)を整理したり、班のメンバーのタオルや水筒を管理したりと仕事をこなす。


 雨に濡れないようにシートか何かが欲しいところだ。

 わたしはあたりをキョロキョロする。

 同じ作業をしているマネージャーのさのっちがいたので聞いてみた。


「かぶせるものが欲しいよね?」


「先輩に聞いてみようか」とさのっちが提案し、ふたりで本番直前といった状況の2年生が集まっているところへ向かった。


 緊張するわたしに比べて、練習で2年生を担当することが多いさのっちは慣れた様子だ。

 彼女は琥珀先輩を探し出して相談を持ちかけた。


「そやなあ……。濡れるのは嫌やなあ……」と先輩は頬に手を当てる。


「シートを半分に折って間に挟んだら?」と言ったのはその隣りにいたほのか先輩だ。


 グラウンドに直に置く訳にはいかないので、ビニールシートを下に敷いている。

 それを半分に折れば、当然載せる面積も半分になる。

 衣装などがぐちゃぐちゃになってしまいそうだが、濡れるよりはましだろうか。


「ほのか、手伝ってきたって」と琥珀先輩がそのアイディアを採用した。


「え、わたしたちでやりますから」とさのっちとわたしは恐縮した声を出す。


 しかし、「さっさと済ませるわよ」とほのか先輩はすでに小走りになっている。

 遅れる訳にもいかず、わたしたちは走ってあとを追った。


 3人掛かりなので作業はすぐに終わった。

 広げ直す時にちょっと大変かもしれないが、「文句を言う奴がいたら私に言えと言っておいて」と先輩が言ってくれたので少し気が楽になった。

 そして、「1年のダンス、楽しみにしているから」という言葉を残して駆け足で戻って行った。

 怖い印象の先輩だったけど、少し優しくなったような気がした。


 イベントで1年生部員が披露したダンスの出来については、わたしには分からない。

 ただ小雨の中でも観客が楽しんでくれているのを見ることができて、わたしはホッと胸をなで下ろした。




††††† 登場人物紹介 †††††


山瀬美衣・・・中学1年生。ダンス部マネージャー。両親や姉から虐げられるような生活を送っている。その中で部活動が救いのような存在に。


沖本さつき・・・中学1年生。ダンス部。関西出身。とにかく優しい。


可馨クゥシン・・・中学1年生。ダンス部。アメリカ育ちの中国人。


恵藤奏颯そよぎ・・・中学1年生。ダンス部。姉は元ダンス部の和奏わかな。ダンスの実力もリーダーシップも高いものがある。


小倉美稀・・・中学1年生。ダンス部マネージャー。しっかり者。2年にミキ先輩がいることから「みっちゃん」と呼ばれるようになった。


栃尾優美・・・中学1年生。ダンス部マネージャー。小学生時代佐野先生という美人の先生がいてその真似をしていたことから「さのっち」というあだ名が広まったらしい。


辻あかり・・・中学2年生。ダンス部部長。昨日の夜は琥珀から電話でお小言をいろいろ言われた。


島田琥珀・・・中学2年生。ダンス部副部長。部活動の実務を担っている。


秋田ほのか・・・中学2年生。ダンス部副部長。実力はエースだが……。「”怖い先輩”ってほのか先輩のことじゃなかったの?」みたいなことを言われていた。

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