第504話 令和2年9月21日(月)「次期生徒会長」山田小鳩

「私が生徒会長を目指したらどうしますか?」


 午後の生徒会室は長らく沈黙が支配していたが、ごく自然な口振りで久藤さんがそれを破砕した。

 私は手元の資料から発言者へと視線を移動する。

 彼女は質問したことを忘却したかのようにノートに文字を記述していた。


「貴女の希望は尊重します」


 私は可能な限り重々しく開口した。

 自分に貫禄がないことは承知しているが年長者として威厳を持って相対したい。


 彼女、久藤亜砂美さんが夏季休業の直前に生徒会役員となり、田中七海さんの次期生徒会長というそれまでの既定路線に揺動が生じた。

 久藤さんは生徒会長を希望せず、必要ならば田中さんの生徒会長就任に際して生徒会から退任すると公言していた。

 然れど彼女は優秀だ。

 短期間のうちに生徒会の仕事を修得し、その能力の高さを周囲に知らしめた。

 生徒会担当教諭の覚えも良く、職員室の中では次期生徒会長に推薦する声も出ているようだった。


 田中さんも生徒会長を担う力量はあるだろう。

 鈴木さんという支援してくれる友人もいる。

 だが、本人は然程意欲的ではない。

 恐らく久藤さんが立候補をすれば彼女は辞退するはずだと私は予測していた。


「選挙になるかもしれませんよ?」


 眉目秀麗の美顔を秘匿したまま彼女は指摘した。

 私は眉間に縦皺を刻み込む。

 彼女の艶麗な長髪はいささか俯仰するだけで表情を隠蔽する。

 他者の意図を察知することが不得手な私はそんな彼女の態度に困惑していた。


「そうでしょうか?」


「田中さんはダンス部と仲が良いようですから。私への対抗馬としてダンス部が推せば彼女も乗り気になるんじゃないですか」


 彼女と田中さんが属する2年1組の話は多少は仄聞している。

 久藤さんがクラスの中心に君臨する一方、田中さんやダンス部の部員らがそれに対抗していると。

 1年生の時は久藤さんのグループによるいじめや学校行事への消極的な態度が問題視された。

 そうした専横ぶりは改善されたと聞くが、いまも対立は残存するようだ。


「ダンス部と友好的に妥結することは不可能なのですか?」


 私は当然の質問を投げかける。

 ダンス部は創部1年と伝統はないが、いまや最多の部員数を誇示するクラブだ。

 彼女が生徒会長に当選してもダンス部との関係が悪化していれば不都合が生じる可能性もある。


「どうでしょうね」と口を濁した久藤さんはおもむろに白面を上げた。


 これまでの柔和な口調とは裏腹にまなじりを決しているように私の目に映った。

 日野ほどではないが、普通の中学生では見せられない面容だろう。

 この2ヶ月余り、ふたりきりの生徒会室で彼女は過去の経緯をぽつぽつと語ってくれた。

 私も小学生時代にいじめを経験し辛苦を味わった。

 彼女の壮絶な体験はそんな私でも想像を絶するものだ。


「生徒会室が貴女にとって貴重なものであるのなら、最善を追求するべきなのでは?」


 久藤さんは前生徒会長の親友である近藤未来さんの家庭で生活している。

 それ以前と比較すれば天国のようだと語るが自由な外出が容認されない等不如意なことも多々あるそうだ。

 世間が四連休で賑わう中こんな場所に来る理由は仕事熱心だけではないということだ。


「生徒会長が私を支援してくださればこの部屋は手に入りますよ」


 不敵に微笑む久藤さんに私は首を横に振った。

 私に斯様な力はない。

 それに中立を堅持すると私は決意していた。


「貴女のことは近藤さんに信託されています。然れども次期生徒会長に関してはどちらの側にも肩入れする気はありません」


「そうですか」


 彼女に落胆の色はない。

 私の回答を予期していたのだろう。


「私が立候補したら、日野先輩はどう動くと思いますか?」


 それは今日発した彼女の言葉とは異質な響きがあった。

 躊躇や不安といった感情が私にも読み取れた。

 彼女にとって私の行動は想像可能でも日野の行動は予想不能ということか。

 日野との面識は皆無にも等しいので仕方があるまい。


「私も彼奴の行動は予見できぬ。一学生の視野では収まり切らぬことがあるからな」


 私はフッと微苦笑を浮かべた。

 自虐のような物言いだったが、彼女の動揺が私に余裕を与えた。


「魔王の名に相応しい暴虐さを有しているが、利害が絡まぬ限り理非曲直はわきまえると愚考する」


「会長、興奮していますね」と久藤さんから冷静に指摘されてしまった。


 確かに自分の言葉に酩酊していた。

 頬が火照り、穴があったら入りたい気分だ。

 私は両手を頬に当て、俯いて呼吸を整える。

 古語文語熟語を多用した言い回しはキャラ付けだが度が過ぎればただ痛いだけだ。


 深呼吸を繰り返してからそっと彼女の様子を窺う。

 久藤さんは残念なものを見るような目でこちらをじっと凝視していた。


「と、兎に角、この件を日野に連絡し意見を聴聞する意向です。構いませんか?」


「できればお会いしてご意見を伺いたいとお願いしていただけますか?」


 久藤さんは表情を引き締めてから要望を口にした。

 私は厳粛な面持ちで首肯する。

 ふたりはいじめの問題が発生した時に一度面談したが、それ以降は顔をまみえていない。

 その時は一方的に注意されただけだと久藤さんは述懐している。


「修学旅行後になると思いますが、良いですか?」


 3年生は今週後半に修学旅行へ赴く。

 日野も参加するそうだ。

 だから、日程は最短でも今週末か来週当たりになるだろう。


「そうですね。その頃には魔王様の怒りも解けているでしょうから」と彼女は大人びた笑みを湛えた。


「怒り?」と問い返すと、「ご存知ありませんか。……知らないのであればお知らせしない方がいいかもしれませんね」と曖昧に微笑んだ。


 生徒会長なのに生徒の噂話に不案内だと認識されたようで居心地が悪い。

 否、とっくに認知されていただろうが、それでもだ。

 私は「然り。本人に直接問い質せばいいことだ」と精一杯胸を張った。

 久藤さんは眉をひそめて何か言い掛けたが、ちょうどそこに小西さんが現れた。


 私の仕事はさして多くはない。

 ふたりの歓談の邪魔をする意図はないので、これを契機に帰宅することにした。

 小西さんのことが苦手だという理由も多分にあったが。

 久藤さんの言葉を聞いておけばと思ったのは帰宅後日野に電話をしてからだった……。




††††† 登場人物紹介 †††††


山田小鳩・・・中学3年生。生徒会長。11月に任期が切れる。日野に噂について尋ね、電話越しなのに絶対零度の冷たい息吹を浴びせられた。


久藤亜砂美・・・中学2年生。生徒会役員。両親の離婚後母親に引き取られて悲惨な生活を送っていた。未来のお蔭でそれを脱することができた。


近藤未来・・・高校1年生。前生徒会長の友人。日野に興味があり、彼女の情報を得るために亜砂美を生徒会に送り込んだ。県下一の公立進学校に通い何かと多忙。


小西遥・・・中学2年生。この学年では最強の不良。正式な役員ではないが親友の亜砂美と一緒にいることが許されている。


田中七海・・・中学2年生。生徒会役員。亜砂美のクラスメイト。真面目が取り柄で、次期生徒会長と目されていたが亜砂美の生徒会入りで状況が変わりつつある。


日野可恋・・・中学3年生。魔王の呼称がすっかり定着した。現在、絶讃魔王モード中。まったく登校していないにもかかわらず、存在感がある。

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