第496話 令和2年9月13日(日)「運動会」晴海若葉
快晴じゃなかったけど、薄曇りの明るい朝を迎えた。
雨で1日延びた中学の運動会は今日無事に行われそうだった。
保護者の入場が制限されたり時間が短縮されたりと今年の運動会は例年と違うものになったようだ。
そんなこととは関係なく、これがあたしにとって初めてのこの中学での学校行事だった。
運動会は、勉強が苦手なわたしの数少ない楽しみのひとつだ。
昨日は雨で、今日も雨だと中止になってしまうところだった。
あたしはホッとした顔で「雨じゃなくて良かったね」とクラスメイトと声を掛け合う。
始めの頃――休校のせいで学校が始まったのは6月からだったが――は溶け込めなかったクラスメイトとも最近は随分と普通に話せるようになった。
中学生になって初めての運動会なので例年と違うと言われてもよく分からない。
開会したあとは、言われるままスケジュール通りに進めていくだけだ。
1年の創作ダンスの発表はかなり早い時間だ。
これだけの人の中で踊るのも初めてのことだった。
ダンス部でも部員以外の前で踊る機会はなかった。
体育の先生が考えてくれたダンスなので、ダンス部だからといってさほど目立つ場面はない。
それでも失敗したらダンス部なのにと言われそうで緊張してしまう。
ほかのクラスがスタートした。
ドキドキして見ていられない。
でも、フィールドで踊るダンス部員の姿は目で追ってしまう。
自分たちの番が来た。
十分な心構えができる前に音楽が鳴り始める。
あたしは訳が分からないまま踊り、気がつけば終わっていた。
正直、自分のダンスがどうだったかほとんど記憶に残っていない。
周りの反応を見ると、大失敗はしなかったようだ。
あたしはようやく肩の力を抜いてほかのクラスのダンスを見ることができるようになった。
実はダンス部の1年生には課題が出されていた。
1、2年生の創作ダンスを見てどのクラスが良かったか感想を添えて今日中に投票するように言われている。
感想を書くというのは苦手なので、聞いた時にはえーって顔をしてしまった。
だけど、人気投票自体は面白そうだと思った。
1年の創作ダンスは集中して見られなかったが、2年生の方を見れば十分だろう。
この時のあたしは2年生の創作ダンスがどれほどのものかまったく分かっていなかった。。
いくつかの競技を終え、いよいよ2年生の創作ダンスが始まった。
今日は秋らしい気温で、ダンスをするにも見るにも快適な環境だ。
『2年1組の演技です』とのアナウンスがグラウンドに流れる。
あたしの周囲には同じダンス部のクラスメイトが固まって座っていた。
どの目も期待に満ちている。
当然視線が向かうのは先輩たちの姿だ。
1組にはほのか先輩や琥珀先輩がいる。
先輩たちが駆け足でフィールドの中央にやって来た。
ワクワクした気持ちでそれを見る。
ところが、センターのポジションには見たことのない女の人が立っていた。
長身で長髪。
ちょっときつめな印象だがもの凄い美人だ。
激しいダンスミュージックとともに演技が始まった。
センターの美人の両脇にダンス部のふたりがいて、その周囲を大勢のクラスメイトが囲んでいる。
ダンスが始まるとどよめきの声が上がった。
クラス全員による一体感のあるダンス。
それは1年生がやろうとしていたものと考え方は同じだが質は全然違った。
「……これが創作ダンス」
あたしの呟きを大音響がかき消す。
よく見れば、めちゃくちゃ上手いダンスという訳ではない。
特にセンターの女性はダイナミックに長髪をたなびかせているから格好良く見えるだけで、技術は
しかし、個別の技術とは関係なく、全体の見せ方が良いせいかすごく見映えがする。
そして、終盤にほのか先輩がソロで文句のつけようがない素晴らしいダンスを披露した。
一気に最高潮に盛り上がる。
あたしはポカンと口を開けてそれを見ていた。
ダンス部の練習中に見た時よりも観客の前で踊る姿は輝いていた。
「凄かったね!」「ヤバい!」「素敵!」
ダンスが終わると周りの女子たちから一斉にそんな声が上がった。
悲鳴みたいな声も混じっている。
黄色い歓声というやつだ。
行ったことはないけどコンサートやライブの会場もこんなノリなんだろう。
みんなが興奮気味に話すのは、ラストに凄まじいダンスを見せたほのか先輩とセンターで踊っていた美女のふたりのことだった。
女子の情報伝達能力は高い。
すぐにあの美女が生徒会役員だという噂があたしのところまで流れて来た。
続けて2組、3組と演技が続いた。
どこも上手いが、インパクトという点では1組ほどではなかった。
ほのか先輩は可愛い顔だし、あの美人は華があった。
やはりダンスも見た目かなと思うと胸が痛くなる。
そんなことを考えているうちに最後のクラスとなった。
あかり先輩のいる5組だ。
あかり先輩は、こんなことを言うと怒られちゃうかもしれないが見た目は地味だ。
だけど、凄く頼もしい感じがする人だ。
3年の須賀先輩に似た雰囲気がある。
そのあかり先輩がフィールドに立ち、音楽が流れ始めた。
曲が聞こえた途端、ざわめきが起きた。
誰もが知る子ども向けアニメの主題歌――なんちゃらのマーチだっけ――が流れてきたからだ。
それに合わせてダンスが始まった。
全員参加型のダンスで、これまで見てきた2年生の創作ダンスの中では異色だ。
1年生がやった創作ダンスにより近い。
ダンス自体はシンプルなもので、曲と合わせてお遊戯のようにも見える。
ただ何人かがポジションを次々に変えながら少しだけ違うダンスを踊っていた。
まるでクラスメイトたちの水面の上で演技するシンクロナイズドスイミングみたい……。
あ、いまはシンクロって言わないのか。
とにかく、あかり先輩ほか数名があちらこちらに出没するのでそこに意識が向く。
流れる水の中で泳ぐ魚のようだ。
単調な動きの中にきらびやかなアクセントがつく感じだ。
あと、もうひとつ大きな違いを感じた。
それはとても楽しそうということだった。
2年生の創作ダンスの主力メンバーはダンス部の部員なので当然みんな笑顔で踊っている。
だが、5組のダンスは部員以外もみんな楽しそうだ。
曲の影響もあるだろう。
声出し禁止じゃなかったら踊り手も観客も一体となって合唱していたかもしれない。
「おもしろかったね」というクラスメイトのダンス部員に、あたしは「こういうのもありなんだね」と口にした。
1組のダンスは格好良くて本当に凄かったけど、5組のダンスにはそれとは別の魅力があった。
ああいうダンスの自由さに触れて、なんだか心が軽くなった。
あかり先輩のやり遂げたという表情を見ていると自分も一緒に踊りたいと思ったほどだ。
クラス対抗リレーなどの競技があって、最後の最後にダンス部3年生によるデモンストレーションが行われる。
あたしたち1年生にとって3年生の先輩は少し遠い存在だ。
今年は入部時期が7月だったから尚更そういう感じがするのだろう。
ただあたしの場合は入部前から須賀先輩との縁があった。
だから、ほかの1年生部員よりも真剣に目に焼き付けるような気持ちでダンスが始まるのを待っていた。
音響とともにひかり先輩が先陣を切って登場した。
バランスの取れたフォームから鋭い動きを繰り出す。
高く足を上げるだけでも美しくて、見とれてしまう。
そのあとを追うように先輩たちがフィールドに現れた。
ひとりひとりセンターでポーズを決め、軽やかに自分のポジションに向かう。
部長やケガをした早也佳先輩、もちろん副部長の須賀先輩の姿もあった。
1年と2年の創作ダンスが別次元だったとするなら、このダンスもクラス単位の創作ダンスとは別次元のものだった。
とんでもなく激しい動きがずっと続く。
それでも曲に合わせて全員の動きが揃っていた。
ポジションもどんどん変わり、アクロバットな動作や予測を裏切る展開が見る者を飽きさせない。
先輩たちの魂の籠もったダンスをあたしは祈るように両手を組んで見ていた。
いつまでも見続けていたいと願うような気持ちで。
しかし、終わりは訪れる。
曲が終わると、今日いちばんの大きな拍手と歓声が先輩たちを包み込んだ。
フィールドの中央には胸を張って立つ先輩たちがいた。
キラキラしていた。
眩しかった。
あたしもいつかあんな風に……。
それはとてつもなく大それた望みのような気がする。
それでも。
あたしは言葉もなく、ただ先輩たちの勇姿を見つめていた。
††††† 登場人物紹介 †††††
晴海若葉・・・中学1年生。ダンス部。
辻あかり・・・2年5組。ダンス部。
秋田ほのか・・・2年1組。ダンス部。
* * *
「聞いて聞いて!」
「どうしたのよ?」
「全米オープンで大坂なおみ選手が優勝したの!」
「へぇー」
「あたし、2年前に優勝した姿を見て、憧れてテニスを始めたんだ」
「ふーん」
「ソフトテニス部は辞めちゃったけど、ずっと好きだったの。すごく嬉しい!」
「嬉しいのは分かるけど、だからって抱きついていいって訳じゃないからね」
「いいじゃない。今日は涼しいし、ダンスもうまくできたし、先輩たちも素敵だったし、良いことずくめだよ!」
「暑いし、みんな見てるし、恥ずかしいじゃない……」
「えー、嫌ならこれからは気をつけるよ」
「べ、別に嫌とかじゃないから! そんなに落ち込まないでよ!}
「じゃあこのままでいい?」
「す、好きにすればいいじゃない」
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