第477話 令和2年8月25日(火)「コミュニケーション」辻あかり

 夕方、近所の歯医者に行くと待合室に見知った顔があった。

 この辺りではかなり大きめの歯科医院なので、以前通っていた時もよくあることだった。


「コンニチハ、あかり先輩」


「こんにちは、可馨クゥシンちゃん」


 挨拶したあたしは彼女の隣りに腰を下ろす。

 彼女の呼び方については本人の希望を聞いて決めようとした。

 フルネームのリュウ可馨クゥシンと呼び捨てにして欲しいと言われたが、呼び捨てには抵抗があった。

 仕方なく、ほかの後輩同様名前プラスちゃん付けで納得してもらった。

 これまで特にルールなどはなかったが、こうしたことの積み重ねが部の伝統になっていくのかもしれない。


 互いにマスクをしていて口元は見えない。

 ダンスの練習中は当然マスクを外すので、彼女が歯列矯正をしていたことを思い出した。

 ちゃんと伝わるかなと思いながら「歯列矯正?」と尋ねると、彼女はハッキリ「ソウデス」と頷いた。


「大変だね」とあたしが言うと、「アメリカデハ、ミンナシマス」と何でもないことのように答えた。


「そうなんだ」と感心するあたしに、今度は彼女が「歯ガ痛イデスカ?」と聞いてきた。


 後輩の前でみっともない話だが、ここで嘘をついても仕方がない。

 あたしは「数日前から痛み出して……。ちゃんと磨いているのに……」と力なく返答した。


「オ大事ニ……シテクダサイ」と言ったあと、可馨ちゃんは「合ッテイマスカ?」と確認する。


 いざそう聞かれると慌ててしまう。

 あたしも敬語は得意じゃない。

 かなり適当に使っている。


「えーっと……、間違いってことはないと思うけど、あたしなら『お大事になさってください』って言うかな」


 これまた先輩としては恥ずかしいことが、あたしは自信なさげに回答する。

 彼女はそんなあたしの態度を気にした風でもなく、「オ大事ニナサッテクダサイ」と復唱した。

 あたしはなんとか笑顔を作って、「ありがとう」と応じた。


 あたしは琥珀のように誰とでもすぐに仲良く話せる性格ではない。

 ほのかに比べればマシだが、1対1だと会話が続かない。

 部活中ならほかにも人がいるのだけど……。


 沈黙が気まずくて、あたしは「ダンス部はどう?」と尋ねた。

 そして、可馨ちゃんの顔を見て、彼女が曖昧な質問は難しいと言っていた記憶が蘇る。

 慌てて「楽しいかな?」と付け加えると、「発表会ハ楽シカッタデス」と彼女は笑顔になった。

 それまで彼女の表情が変わらなかったことに内心ドキドキしていたので、あたしは胸をなで下ろした。


 可馨ちゃんはダンスの経験はないそうだが、身体の使い方が上手く、振り付けを覚えるのがもの凄く早い。

 しなやかで、リズム感も良い。

 率直に言って、すでにあたしより実力は上なんじゃないかと思う。


 ダンスには個性が出る。

 力強く、切れ味の鋭い部長のダンス。

 正確さが売りのほのかのダンスや、奔放なのにちゃんとまとまる藤谷さんのダンス。

 そして、超絶難易度でも軽々とやってのけるひかり先輩のダンス。

 あたしは次期部長なのに、そうした個性が出るところまで到達していない。

 踊ることに精一杯なのが実情だ。

 後輩に追い抜かされる心配はしていたが、こうも早いとは。


 彼女はダンス部にとって貴重な戦力だ。

 大会うんぬんはまだ漠然としたイメージしかないが、ダンス部のレベル向上には彼女の存在は不可欠だろう。

 一方で、彼女は部活という日本特有の文化に慣れていない。

 副部長の須賀先輩からも可馨ちゃんのことについて様々な助言をもらっている。

 特別扱いというか、それなりのケアは必要だと言われている。

 あたしひとりでは到底無理だが、周りのサポートがあればなんとかなると思っている。


 だが、いまはあたしひとりしかいない。

 どう会話を続けるべきか。

 変なことを言って辞めるなんて言われたら目も当てられない。


「部活で困ることはない?」


「大丈夫デス。さつきヤ、そよぎガ、サポートシテクレマス」


 問題があればハッキリ口にするそうだから、いまのところは大丈夫なのだろう。

 1年生は入部して2ヶ月にも満たないが仲良くやっているようで一安心だ。


 発表会が終わり、ダンス部は昨日から新しい体制に変わった。

 3年生部員は引退前の最後の舞台となる運動会での演技に集中することになった。

 下級生たちは、2年生と1年生の一部がAチーム、1年生のダンス初心者がBチームとして運動会までは分かれて練習することになった。

 これからは名実共に2年生が部の中心を担うことになる。


 ……その前にクラスの創作ダンスを引っ張って行く必要があるんだけどね。


 最近気づいたことだが、ダンス部の2年生部員は各クラスに均等に分けられている。

 うちの学校で行われる運動会の華は何といっても創作ダンスだ。

 だから運動会の時に見劣りするクラスが出ないようにクラス替えで配慮をされたんじゃないかと琥珀が推測していた。

 おそらく当たっているのだろう。

 ダンス部顧問で2年生女子の体育を教えている岡部先生からも、クラスの創作ダンスの中心になるように言われている。

 ただ、3年のクラス替えでも同様だと、あたしとほのかが同じクラスになる可能性がなくなってしまう。

 部長とひかり先輩が同じクラスになったのだから、3年では配慮はないと信じたい。


 それはさておき。

 また微妙な間が生じている。

 可馨ちゃんの順番が来るまであとどれくらいの時間が掛かるか分からないだけに、話題をどうするか頭を悩ませる。


 練習のことをもっと聞いた方がいいかな?

 あまり根掘り葉掘り聞くのは迷惑かな?

 ここは一発アメリカンジョークでも……。

 いや、滑って、空気を悪くしたら取り返しがつかないかも。


 悶々とするあたしに、可馨ちゃんが先に口を開いた。

 彼女は「無理ニ話サナクテモ大丈夫デス」とあたしの内心を見透かすように言った。

 あたしは苦笑を浮かべることしかできない。

 後輩に気を使わせてどうするんだ。


 でも、はっきり言ってもらって、あたしは肩の力を抜く。

 空気を読むのが得意ではないあたしにとって、ズバズバ言ってくれるほのかや琥珀は有り難い存在だった。

 可馨ちゃんも先輩とか後輩とか関係なしに、貴重な意見を言ってくれる存在だと思えばいい。


「そうだね。……ありがとう。頼りにしているから」


 あたしがそう言って微笑むと、彼女は少し不思議そうな表情をしたあと、「任セテクダサイ」と親指を突き立てた。




††††† 登場人物紹介 †††††


辻あかり・・・中学2年生。ダンス部。次期部長の予定。


リュウ可馨クゥシン・・・中学1年生。ダンス部。アメリカ育ちの中国人。アメリカでは健康のために太極拳をやっていた。


秋田ほのか・・・中学2年生。ダンス部の次期エース。あかりの親友。口が悪く、コミュニケーション能力は低め。


島田琥珀・・・中学2年生。ダンス部。関西弁を話す。次期副部長の予定。


沖本さつき・・・中学1年生。ダンス部。可馨の親友。可馨がインターナショナルスクールではなく公立中学に通うのは彼女の存在が大きい。

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