第474話 令和2年8月22日(土)「休日出勤」岡部イ沙美

「このパソコン、超重すぎるんですけど!」


 国語教師らしからぬ叫び声がPC教室に谺した。

 もちろん重いというのは重量の話ではない。

 中学校に設置されている低スペックパソコンの処理速度の話だ。


「私のノートパソコンの方がまだマシなんじゃ……」


 藤原先生の嘆きに対し、君塚先生が「私物の持ち込みは厳禁です」とピシャリと注意した。

 オンラインホームルームの時は緊急事態だったので特例で認められたが、今回は許可してもらえないそうだ。


 昨日、私が顧問を務めるダンス部で発表会が行われた。

 夏休みの練習の成果を披露するという名目だが、ダンス部にとっては随分久しぶりとなるダンスイベントだった。

 とはいえ、観客はいない。

 三密を避けるために非公開となったからだ。


 代わりに、映像を編集した上でホームルームの時間に各教室で公開することになった。

 これが成功すれば、部活動を紹介する試みとして今後広げていきたいそうだ。

 合唱部などコロナ禍によって発表の場が失われている部活動が存在する。

 その救済のためにも大きな一歩になればいいと思う。


「だからといって、休日出勤はやりすぎだと思いませんか? ただでさえ教職はブラックだと言われているのに」


 今日の藤原先生は口を開くとそればかりだ。

 明日はソフトテニス部の活動があるので、この土日の休みがなくなってしまったらしい。

 編集作業はダンス部顧問の私と、オンラインホームルームでデジタル対応に実績を上げた藤原先生、君塚先生の3人で行っている。


「校長先生の覚えが良くなったからこその指名ですよ。それが藤原先生の望みだったのでしょう?」


「それはそうですけど……。でも、今年の夏は海外に行こうと昨年の夏に友だちと約束していたんですよ。それが、夏休みは短くなるわ、海外旅行に行ける状況じゃないわで、もう散々ですよ」


 いつものジャージを着た君塚先生の指摘に、藤原先生は涙目になって反論する。

 今年は夏休みが半分以下に短縮され、その影響は当然教師にも及んでいる。

 愚痴のひとつも言いたくなるのは仕方がないことだろう。


「一介の公務員にはどうすることもできません」と君塚先生はサラリと受け流す。


 このふたりのやり取りを聞いていると、まるで生徒と教師だ。

 藤原先生は私と同世代の若い教師であり、君塚先生は経験豊富なベテランだ。

 今年度ふたりは同じクラスを受け持っている。

 初担任となった藤原先生を、他校から転任してきたばかりの君塚先生がサポートする体制だ。

 藤原先生は君塚先生への不平不満を私によく零す。

 私は君塚先生とはこれまであまり接点がなかった。

 こうして見てみると、結構仲良くやっている感じがする。


 私は若いとはいえパソコンなどデジタル機器が得意という訳ではない。

 体育教師だから身体を動かしている方が性に合っている。

 ふたりは会話を続けながらも作業をしっかりと進めている。


「それにしても見事なダンスですね」と藤原先生が声を上げた。


「3年生は顔で分かりますが、2年生か1年生かもダンスの実力ですぐに区別がつきますね」


「生徒たちが真剣に取り組んできましたから」と私が藤原先生に答えると、君塚先生が「岡部先生の指導が良いのでしょう」と褒めてくれた。


「実は、私はダンスが苦手でした。基礎的なことは教えることができますが、専門的なことは3年生たちがよく勉強して指導した賜物だと思います」


 率直に話したつもりだったが、藤原先生からは胡散臭い感じの目を向けられた。

 優等生発言が気に食わないのだろう。

 誤解を解こうと言葉を重ねたが効果は見えない。

 仕方なく私は話題を変えた。


「藤原先生も君塚先生もお上手ですね。見映えまで考えた編集なんて私には手に負えません」


 編集ソフトの使い方を教わり、不要な場面をカットする程度はできるようになったが、見せることを意識した編集なんてどうやったらいいかサッパリ分からない。

 ダンスの動画なのだからそこがいちばん重要なのだが、そういったセンスを私は持っていない。


 本来はダンス部で編集作業を行う予定だった。

 部長の笠井さんはこれまでも練習用の動画などを作成してきたから慣れている。

 しかし、校長先生の鶴の一声によって教師の仕事になった。

 あまり不出来なものだと生徒たちに申し訳なく思ってしまう。


 そんな思いを吐露すると、藤原先生は「デジタルネイティブなんでしょうね」と中学生の編集能力に感心した。

 君塚先生は「私からすると、あなた方もデジタルネイティブ世代に見えますが」と言って私たちを見た。

 笠井さんたちとは10歳ほど離れている。

 物心ついた時にはケータイやスマホがある世代という意味では同世代と言えるかもしれないが……。


「インスタやTikTokはここ数年ですよ。ユーチューバーだって10年くらいだと思います。私の中学生時代にユーチューバーになりたいって子はいませんでした。映像系はここ最近急速に進化しているんですよ」


 藤原先生の言葉に私は頷いた。

 トレーニング動画などを簡単に見ることができるようになったのもつい最近のことだ。

 私が選手だった頃はまだ一般的ではなかった。

 それがいまや自分で動画を探し出して練習する時代だ。

 体育教育のあり方もこれから変わっていくだろう。

 私自身もっと勉強が必要だと思っていたが、忙しさにかまけてやっていなかった。

 今回の件は私にとっては良い経験だ。


「私もユーチューバーをやってみたい気持ちはあるんですよ。古典や漢文を朗読したり解説したりする教育系ユーチューバーってどうでしょうね?」と満更でもない顔つきで藤原先生が語った。


 すぐに君塚先生から「公務員の副業規定に違反します」と一蹴されてしまったが。

 藤原先生はがっくりと肩を落としている。

 私はICT教育としての動画配信ならありかと思い、「藤原先生の授業を見てみたいですね」と伝えたら、「ユーチューバーで食べていくならもっと才能が必要なのよね」と藤原先生の思いは別のところにあるようだった。


「日々木さんくらいの容姿があればなあ」と口にする彼女に「藤原先生も可愛いですよ」とお世辞を言ったら「私程度じゃまだまだです」という言葉が返ってきた。


 可愛いと言ったことを否定しない程度には自信があるということだろう。

 藤原先生は恋人ができないことを「教師って言うと引かれるのよ」と職業のせいにしているが、容姿のせいにはできない。


「渡瀬さんのダンスは凄いね。彼女ならユーチューバーでやっていけるんじゃない?」


 藤原先生が突然感嘆の声を上げた。

 彼女が見ているモニターに渡瀬さんのダンスが映し出されていた。

 昨日の発表会でも渡瀬さんはキレキレで、ひとりだけ別次元のダンスを繰り広げていた。


 笠井さんが彼女をソロにしたのも頷ける。

 これまではふたりが並んで踊ることもあったが、いまではレベルの差が目立つようになってきた。

 笠井さんも上手い。

 だが、部長の仕事や受験勉強などで練習時間に制約がある。

 渡瀬さんはいまもダンスだけに打ち込んでいる。

 その差がここに来てパフォーマンスに現れだした。


「いまの環境を維持できれば、プロも夢ではないでしょう」と私は口にした。


「日野さんたちが高校に行かせたくない気持ちが分かりますね」


 藤原先生のその言葉に苦いものを飲み込むように私は顔を歪めた。

 中学教師としては高校進学を支援する立場だ。

 渡瀬さんの場合、過去の事件の影響で腫れ物に触るような扱いになっているが、そうでなければ高校進学をもっと強く説得しただろう。


「事件について詳細を知っている訳ではありませんが……」と君塚先生が手を止めて真剣な顔つきで私たちと向き合った。


「一般に、中学時代に何らかの才能を誇っていても高校以降も順調にその才能を伸ばす生徒はごくひと握りです」


 私は背筋を伸ばしてベテラン教師の言葉を傾聴する。

 君塚先生は静かな口調で語り続ける。


「うまくいかない原因は様々ですが、うまくいくケースは本人がよほどしっかりしているか、周囲のサポート体制がしっかりしているかの二つですね」


「若いと周囲の影響を受けやすいですよね」と藤原先生が口を挟むと、「大人でも同調圧力に左右されるものですよ」と君塚先生は若さだけを理由にはしなかった。


 渡瀬さんの学力では入学できる高校は限られている。

 そうした高校で学びながらダンスを続けて行くには本人の強い意志が必要になる。

 しかし、彼女は周囲の影響を非常に受けやすい性格をしている。


「通信制は続きそうにないですしね」と藤原先生が言う通りで、残念ながら本人に学ぶ意欲が欠けている現状だ。


 高校進学がほぼ100パーセントというのがいまの日本の姿だ。

 その中で、中学教師として高校に行かなくていいと言えるのか。


「正解かどうかはまだ分かりませんが、渡瀬さんは日野さんと出会えたことが幸運でした。日野さんは学校という枠を越えて考えることができますから」


 藤原先生の言葉に君塚先生が「日野さんへの評価が高いですね」と問い掛けた。

 それに対して「小野田先生の受け売りですよ」と藤原先生はチャーミングに微笑んだ。

 その笑顔からは彼女もまた枠を越える可能性を秘めているように感じられた。




††††† 登場人物紹介 †††††


岡部イ沙美・・・体育教師。2年生のクラスを担任している。ダンス部顧問。教師歴2年目。


藤原みどり・・・国語教師。3年1組担任。教師歴4年目。前年度は優奈、ひかり、可恋たちの副担任を務めていた。


君塚紅葉・・・英語教師。3年1組副担任。今年度、校長とともにこの学校に転任してきた。


笠井優奈・・・中学3年生。ダンス部部長。面倒見の良い性格で、半ばひかりのためにダンス部を創部した。


渡瀬ひかり・・・中学3年生。ダンス部。好きなことには一途だが他人の影響を著しく受けやすい性格の持ち主。昨年合唱部顧問だった谷先生に気に入られるため彼女の指示に何でも従っていた。


日野可恋・・・中学3年生。今年度はほとんど登校していないため副担任の君塚先生と顔を合わす機会が非常に少ない。

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