第442話 令和2年7月21日(火)「天才のボクは失敗しない」澤田愛梨

 残念なことに公立中学校では成績上位者を廊下に貼り出すなんてことはしない。

 せっかく本気を出して好成績を上げたというのに、それを日々木さんに伝える術がない。

 思わぬ誤算だった。

 ボクの優秀さを見せつけてお近づきになるという目論見が危機に瀕している。


 いけしゃあしゃあとドヤ顔で自分の点数を日々木さんに伝えることはできる。

 しかし、ボクの美学がそれを許さない。

 彼女から尊敬の眼差しを向けられるためなら何だってするつもりだが、スマートに事を運ばなければ。


 最初に思いついた手段は誰かの口を通してボクの点数を知らせることだった。

 真っ先に思い浮かぶのは宇野だ。

 彼女はボクと同じ陸上部に所属し、日々木さんとも仲が良い。

 普段プライベートな話はしないが、背に腹はかえられない。


「宇野、テストの結果だけど」


「もうそんな昔の話はいいじゃないか。それよりも部活の方が大事だぞ」


 宇野の顔には試験のことは綺麗さっぱり忘れてしまいたいという思いが込められていた。

 彼女の頭の出来では今後行われる地方大会の結果が高校進学の推薦の行方を左右するのだから当然かもしれない。

 とはいえ全国大会はもちろん地方大会すら中止が相次いでいるので公式記録を残せるかどうかすら定かではないのが現状だ。

 彼女の陸上の実績から言えば強豪校にスカウトされても不思議ではない。

 だが、これから先に公式大会が行われるとは限らない。

 未来は不確かなのでそれに供えて普通に勉強した方が良いんじゃないかという言葉が喉元まで出掛かった。

 だが、それを教える義理はない。

 ボクはただ肩をすくめただけだった。


 もうひとり当てがあるとしたら高月だが、彼女は昨日ボクに近づいてこなかった。

 もともとそんなに仲が良い訳ではない。

 こちらから頼んだとしても素直に言うことを聞いてはくれないだろう。

 ボクは次なる手を考える必要があった。


 そこで考えついたのは、少しわざとらしいが答案を落として日々木さんに拾ってもらうという作戦だ。

 休み時間のたびに彼女の周りをウロウロしたが、基本的に日々木さんは座ったままだ。

 これでは答案が彼女の目に留まるかどうか怪しい。

 それでもボクは機を見て彼女の横にいた恵藤とぶつかった。


「ごめん」と口にしながら手にしていた5教科の答案を床にばらまく。


「あたしこそボーッとしてごめんなさい!」と恵藤は意外と機敏にわざと落とした答案を拾い上げた。


 恵藤は点数に気づいたかもしれないが、周りの連中は落としたものには興味がなさそうだった。

 それは日々木さんも同様だ。

 恵藤が手渡そうとしてくる自分の答案を受け取らない訳にもいかず、ましてやそれを日々木さんに見せつけるなんてことは不自然すぎてできやしない。

 ボクは作戦失敗を認めてすごすごと自分の席に戻った。

 そこで高月と目が合った。

 彼女は一部始終を見ていたのかもしれない。

 ほくそ笑む顔を見てボクは不機嫌になった。


 このままではいけない。

 ボクは授業中に策を練った。

 今度こそ成功させる。

 そう決意して時宜を待った。


 昼休み、ダンス部の山本と恵藤がミーティングがあると言って教室を出て行った。

 これで日々木さんの側にいるのは宇野ひとりだ。

 ボクは満を持して彼女の席に近づいた。


「日々木さんは学級委員としてクラスメイトの成績向上を気にしていたよね」


 ボクがそう声を掛けると彼女は優しい笑みをこちらに向けてくれた。

 ボクも笑みを返し、もったいをつけてから話し始める。


「そこで、クラスメイトの今回のテスト結果を収集して次回以降の参考にするのはどうだろう?」


「澤田さんから提案してもらえるなんて」と日々木さんは目を輝かせている。


 よし、食いついた!

 ボクは心の中でこっそりガッツポーズをした。


「LINEで個別に教えてもらえるか聞いてみるね」と彼女は言うが、ボクとしては目の前で答案を見せて凄いと言われたい。


「ほかの人はそれでいいけど、言い出した私の分はいま見せるね」


 そう言ってボクは彼女の机の上に持って来ていた自分の答案を並べた。

 ミッションコンプリート。

 天才のボクにできないことなんてない。


「へぇー、意外と良い点ね」


 そう言ったのは日々木さんではなく、いつの間にかボクの横から答案をのぞき込んだ高月だった。

 高月が口を出したせいで日々木さんは黙ったままだ。

 余計なことをとボクは不快さを隠さなかった。


「でも、日々木さんの方が成績良いよね?」とそんなボクではなく日々木さんの方を向いて高月が尋ねた。


 なんで高月が知っているんだと思ったが、考えてみればコイツの席は日々木さんの斜め後方だ。

 おそらく盗み見したのだろう。


「高月さんだって少し上だよね?」と日々木さんが高月を見て微笑みかけた。


 驚きに声を失ったのはボクと高月の両方だ。

 高月はそれまでのからかうような目つきから警戒する顔に変わった。


「上には上がいるのね。思い知らされたわ」という高月の言葉に「わたしも学年トップクラスとはまだ差があるわよ」と日々木さんは平然と応じる。


「定期テストの上位は誤差のようなものだから」とボクは言い訳をする。


 ケアレスミスやひっかけ問題で差がついたのであって、これが実力だと思われては困る。

 日々木さんは頷いて、「そういうのはこの前の全県模試の方が参考になるでしょうね」と言いつつ、「学級委員としてはクラス全体のレベルアップを図りたいから定期テストの結果が重要なのよ」と冷静に述べた。


「どうせ学年トップは小鳩ちゃんなんだろ?」とお気楽な口調で口を挟んだのは宇野だ。


 それに対して日々木さんが自慢げに「今回のトップは可恋よ。小鳩ちゃんは1問ミスがあったけど、可恋はノーミスだったから」と話した。

 日野は試験当日だけ登校していた。

 きっと塾に行って猛烈に勉強しているのだろう。

 そんな奴と比べられてもという思いがこみ上げてきた。


「日々木さんって……」としばらく口を閉ざしていた高月が密やかに問い掛けた。


「臨玲に行くって本当?」


 臨玲とはこの辺りだと誰もが知っているお嬢様学校だ。

 確かに日々木さんにはお似合いの高校だろう。


 日々木さんはなぜかそれまでの笑みを消し、硬い表情で首を縦に振った。

 高月は問い詰めるような顔で「もったいなくない?」と言ったが、「事情があるの」と日々木さんは答えた。

 いつも見せる優しさや少女然とした幼さは影を潜め、いまの彼女は知的で大人びて見える。

 いままでにないくらい親しく話すことができたのに、なんだか彼女との距離が遠のいたみたいだ。

 事情を知らないボクは蚊帳の外に置かれ、無言でやり取りするふたりをただ眺めることしかできなかった。




††††† 登場人物紹介 †††††


澤田愛梨・・・3年1組。陸上部。自称天才。これまでは意図的に平均点に抑えていた。ちゃんと勉強しようとしたのが2日前だから今回はこんなもの。


日々木陽稲・・・3年1組。学級委員。臨玲のレベル的にはこんな点数は必要ないが、可恋に引き離されないために必死で勉強している。


宇野都古・・・3年1組。陸上部。愛梨に対してはクラスのことより後輩指導をもっとやれよと思っている。


高月怜南・・・3年1組。さくらの上に立つためにも今回はしっかり勉強した。進学塾に通っている。


山田小鳩・・・3年3組。生徒会長。普段から勉強に当てる時間は多くない。試験前も特別な勉強はしないタイプ。


日野可恋・・・3年1組。テスト勉強は陽稲のノートを1回借りて読んだくらい。

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