第441話 令和2年7月20日(月)「梅雨空の生徒会」田中七海
「琥珀、どうだった?」
「ぼちぼちってとこやねぇ」
「それでぼちぼちって嫌味かよ」
「ほのかとそんなに変わらへんやん」
わたしの横でダンス部のふたりが互いの答案を見せ合っている。
気になって横目で覗くと、ふたりともわたしよりほんの少し良い点数だった。
蒸し暑くてうんざりする。
返って来た答案の点数が思いのほか悪くて不快指数がMaxという感じだった。
せっかく冷房で涼しくなっても休み時間のたびに窓を全開するので嫌になる。
本来ならもう夏休みのはずなのに、まだ半月もこんな学校生活が続くだなんてあり得ない話だ。
わたしが溜息を吐いていたら、いつものごとく教室の真ん中に陣取る久藤さんたちが大声で話し始めた。
遠慮というものを知らないやたら騒がしい一団だ。
芸能人のこと、最近買ったコスメの話題、どこのデザートが美味しかったか、誰と誰がつき合っているという噂などなど、よくも話が尽きないものだ。
「アサミって成績メチャクチャ良いんだね」
取り巻きのひとりがグループのリーダーである久藤さんを持ち上げている。
久藤さんは「たいしたことないわ」と言いつつ自分の答案を隠そうとしない。
何人かがこれまでに返されたものを見て驚きの声を上げていた。
そこに周囲の男子まで興味深そうに寄って来ていた。
「100点取る人なんて本当にいるんだね」
わたしはギョッとして身体ごと振り向いた。
わたしだけでなくほかのクラスメイトたちの視線も集まっている。
「アサミ、1年の時より成績上がっているよね」と内水さんが感心している。
久藤さんは派手な外見と美しい顔立ち、そして上に立つのが当たり前という振る舞いでこのクラスのヒエラルキーの最上位に位置している。
それでなおかつ成績も良いとなれば、わたしの立つ瀬がない。
「そんなことより悠美はコクるつもりはないの?」と久藤さんは強引に話題を変えた。
その表情は笑顔だが、目は笑っていないようにわたしからは見える。
いつもどこか超然としていて何を考えているのか分からない存在だ。
わたしはこっそりと溜息を漏らす。
真面目な優等生と見られがちだが、本当のわたしはそんな良いものではない。
嫉妬深いし、嫌なことからはすぐに逃げ出すし、愚痴愚痴と引きずるタイプ。
いつも真央に頼ってばかりだ。
その真央とクラスが離れてしまい、慰めてもらうこともできない。
「元気あらへんやん。大丈夫?」と島田さんが心配そうにこちらを見た。
彼女は同じクラスになった時に「次期生徒会長とは仲良くしておきたいんよ」と言って積極的に声を掛けてきた。
それ以来当たりの柔らかい関西弁で何かと気にかけてくれる。
「ちょっと成績がね」と本音を漏らすと、「あんまり気落ちせんと、次頑張ろうって前向きになった方がええと思うよ」と彼女はニッコリ笑った。
そして、「久藤さんのことはうちもショックやけどな」と島田さんは苦笑する。
秋田さんは小声で「裏で何かやっているんじゃないの?」と呟いていたが、島田さんは「そんなこと言うもんやないで」と窘めていた。
久藤さんには不良とのつき合いなど悪い噂もついて回る。
しかし、不正なんてできるものだろうか。
放課後、もやもやした気持ちを抱いたまま生徒会室に向かう。
ちょうど真央が部屋の鍵を開けたところで、わたしは親友の下に駆け寄った。
真央はわたしよりも長身でスポーティ。
気さくなこともあって男子にもモテる。
それを指摘すると「七海の方がよくコクられるじゃん」と言われるが、わたしは男子と何を話せばいいか分からないのでつき合うのは無理だ。
「やっぱり成績良くなかった……」と打ち明けると、「それでもあたしより良いだろ」と真央は屈託なく笑う。
生徒会室に入り、自分の席に座りながら真央に久藤さんのことを話した。
人は見掛けによらないと言うと失礼だが、遊んでいそうな彼女が学年トップクラスの成績というのは驚きだと。
そこに山田会長と岡山先輩が相次いでやって来た。
生徒会長はわたしより小柄でとても可愛い外見に反して、他の追随を許さないほどの成績を誇ると聞いている。
生徒会の改革にも乗り出すほど優秀な人なので、それも当然だと納得する。
岡山先輩は会長にライバル意識を持っているようだが、ほとんど相手にされていない。
生徒会の仕事は真面目にこなし、その点では会長に引けを取らないのだけれど。
「久藤さんは県下一の進学校に合格した方から勉学を指導されています。その方と何度か会談しましたが非常に聡明な女性でした」
山田会長がわたしの憶測を訂正するようにそう話した。
その人は前生徒会長の友人だそうだ。
悪口にならないように気をつけたつもりだが、真央相手だったので口が滑ったかもしれない。
山田会長はあまり他人に関心がないのか失敗しても責めたりしないし、あとで蒸し返したりすることもない。
岡山先輩の方が失敗に厳しく、ネチネチ言われることがある。
わたしが岡山先輩の顔をうかがっていると、生徒会室のドアが開いた。
菜々実が「熱すぎ!」と言って入って来た。
先輩の前なのに相変わらず傍若無人だ。
岡山先輩が「先に挨拶でしょう」と棘のある声で促し、菜々実は渋々といった顔で従った。
全員が着席したところで今日の議題が話し合われる。
1年生の生徒会役員の確保についてだ。
「今年度は不測の事態により新規役員の加入が遅延しています。然れど夏季休業以前に数名確保することが必須事項です」
「会長はともかく、わたしは夏休みに入った時点で事実上生徒会を引退します」
会長の言葉を受けて岡山先輩が引退を公言した。
以前から言われていたので驚きはないが、もうそれほど時間は残されていない。
正直、いま生徒会を引き継ぐことはとても気が重いことだった。
生徒会担当の先生から言われたことだけやるのでも大変なのに、山田会長が行った改革を受け継いだり、新型コロナウイルス対策をしたりと生徒会の仕事が膨れ上がっている。
昨年11月末にもう1年間生徒会の仕事を続けると決めた時にはこんなことになるなんて思ってもみなかった。
次期生徒会長と見なされ、生徒会担当の先生や担任からも期待されて、逃げ道が封じられているように感じている。
それが勉強に手がつかない一因になっているような気がした。
「とにかく人手が少なすぎじゃないスか?」
「井上さんの懸念は認識しています。夏季休業までは週に一度1、2年生の学級委員に生徒会活動に参加してもらえるよう協議しています」と山田会長は深刻な顔をしている。
短い夏休みが終われば運動会や文化祭が予定されている2学期だ。
それらの実行委員会を開催しなければならないし、生徒会としても関与する必要が出て来るだろう。
会長は11月までの任期いっぱい精力的に活動すると話しているが、受験生なのであまり負担を掛けたくない。
昨年の山田先輩のように会長の右腕として生徒会を引っ張って行くぐらいのことがわたしにもできれば良いのだけれど、とてもそんな自信はなかった。
1年生の学級委員や各担任が推薦した人の中から、わたしと真央で生徒会の役員になって欲しいと頼みにいくことが決まった。
わたしと真央が次期生徒会を担うからと言われれば断れない。
だが、とても荷が重い任務だ。
わたしには使命感もなければリーダーシップもない。
話すことも上手くないし、人を引きつける魅力もない。
生徒会の仕事が終わり、帰り道を真央と並んで歩いた。
雨がぱらついている。
わたしは折りたたみ傘を出そうか迷ったが、真央は平気な顔をしていた。
「わたしに生徒会長が務まると思う?」
「七海ならできるよ」
「真央の方が向いているんじゃないかな?」
わたしの言葉に真央はこちらをじっと見つめた。
笑顔はない。
そこから彼女の気持ちは読み取れない。
わたしは怖くなった。
いつか愛想を尽かされるんじゃないかという思いがあった。
頼りないわたしのためにソフトテニス部と兼任で彼女は生徒会の活動をしている。
わたしは彼女が口を開く前に「ごめん、いまの忘れて」と声を張り上げた。
「頑張って後輩をスカウトしないとね」とわたしが見せた精一杯の空元気は小雨の中に儚く消えていった。
††††† 登場人物紹介 †††††
田中七海・・・2年1組。生徒会役員。1年の時に学級委員に選ばれ担任の推薦もあって生徒会を手伝うことに。会長の交代時に一度は生徒会を辞めようとしたが強い引き留めにあった。それ以降次期生徒会長と目されている。
島田琥珀・・・2年1組。学級委員。ダンス部。関西弁を使うしっかり者の少女。人当たりは良いが意外と毒舌。
秋田ほのか・・・2年1組。ダンス部。テスト前の猛勉強でなんとか体裁を整えた。
久藤亜砂美・・・2年1組。”お姉様”から「私が教えているのだから満点を取って当たり前よね」と言われている。
鈴木真央・・・2年4組。生徒会役員。七海の親友。ソフトテニス部にも所属。
山田小鳩・・・3年3組。生徒会長。日々刻々と変わる感染状況に学校側は安全策を採りがち。なんとか生徒のためになる企画を通そうと交渉しているが道のりは険しい。
岡山琴音・・・3年1組。生徒会役員。頑張ることが美徳と考えるタイプ。
井上菜々実・・・2年2組。生徒会役員。不平不満をすぐ口に出すタイプ。
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