第430話 令和2年7月9日(木)「呼び出し」須賀彩花

「次に問題を起こしたら廃部にすると言いましたよね」


 君塚先生はいつもの怒声ではなく、冷たく突き放すような口調だった。

 その分、背筋がゾクリとする。

 1日経っても怒りは収まっていないようだ。

 ジャージ姿にひっつめ髪といういつもと同じ容姿ながら、そこはかとなく怒気が漂ってくる。


 昼休み、生徒会長及びダンス部の正副部長の3名が会議室に呼び出された。

 そこには君塚先生とダンス部顧問の岡部先生のふたりがいたが、君塚先生の横に立つ岡部先生もお叱りの対象という感じだった。


「生徒会の持ち時間を利用したとのことですが、体育館に集めるなんて全校生徒を危険にさらしたのと同じなのですよ!」


 真っ先に生徒会長の小鳩さんが「申し訳御座いません」と頭を下げる。

 続いて、わたしも深々と頭を下げた。

 小鳩さんを挟んでわたしの反対側に並ぶ部長の優奈には反省の色があまり見られない。

 ポーズだけでも反省してとクドいくらいに言い含めておいたのに、あまり効果がなかったようだ。

 優奈はひょいと首を竦めるように謝り、君塚先生ならずとも真面目にやってよと言いたくなってしまう。

 当然、君塚先生の視線は優奈に向かう。


「それが反省する態度ですか!」


 ついに怒声が飛んだ。

 わたしはハラハラしながら見守ることしかできない。


「だいたいこの学校の生徒は中学生としての自覚に欠けています。保護者の方に養ってもらっている身の上なのに何様のつもりですか」


 そこから教師を敬わない、ルールを守らない、挨拶ができない、服装が乱れている等ねちねちと苦言を呈した。

 とにかく長い。

 このまま昼休みが終わってしまうんじゃないかと思うくらいだ。

 生徒全般の問題の指摘から、規範になるべき生徒会への批判へと移り、問題を起こすダンス部への執拗な攻撃に変わる。

 優奈は顔をしかめ、いまにも反抗しそうな様子だった。

 お願いだからおとなしくしていてと、わたしは祈る気持ちで話が終わるのを待った。


 話は顧問の岡部先生の責任にも及び、わたしは申し訳ない思いがこみ上げてきた。

 部員の自主性を尊重し、創部以来温かく目配りしてくれた信頼できる先生だ。

 まだ若いがゆえに、君塚先生に言われるままになってしまっている。

 昨日の企画だって岡部先生はサポートしてくれただけなのに。


 ロングホームルームの時間に行われたイベントは日野さんから提案されたものだ。

 7月上旬に全校生徒が盛り上がるイベントを開催したいと協力を打診された。

 ダンス部は廃部の警告を受けていた。

 一方、日野さんは創部にも力を貸してくれた恩人でもある。

 部内で話し合い、慎重な意見もあったものの部長のやりたいという熱意に押し切られた。


 大会の中止などによりダンス部として明確な目標がなかったので渡りに舟でもあった。

 日野さんはフラッシュモブのようなものというアイディアを出した。

 フラッシュモブとは街中などで突然普通の通行人のふりをしていた人たちがパフォーマンスを始め、一般の人たちを驚かせるゲリラ的な表現活動だ。

 しかし、提案を受けた時期は部活休止中で、全体で集まって練習が行えなかった。

 日野さんと協議を重ねた上で、生徒の近くで踊ることで全生徒の一体感を強調するパフォーマンスを行うことになった。


 ダンス自体はそれほど難易度を上げず、バラバラで踊っても見映えがするものが選ばれた。

 今回はダンス以外にやることが多いという理由もあった。

 生徒の誘導もダンス部が中心となって行った。

 1年生は2年生部員が、2年生は3年生部員がチームを組んで担当した。

 3年生に関しては各クラスの学級委員にお任せしたが、4組は優奈がそれにかかり切りになった大変だった。

 生徒会や陸上部の手も借りて、なんとか無事に開催することができた。


 そうした生徒側の対応とは別に、教師側との折衝は日野さんと生徒会長のふたりが行っていたようだ。

 先生方の中にも温度差があったようで、積極的に手伝ってくれる教師もいたし、言いたいことはあるという顔をした教師もいた。

 最大の難関は君塚先生で、当日の午後に日野さんが登校し、ふたりきりで長々と話し合いをしていたらしい。

 君塚先生が事の真相を知ったのはすべてが終わってからだったそうだ。


 蚊帳の外に置かれていたことが怒りを増幅させたのかどうかは分からないが、その君塚先生は重々しく「処分内容を発表します」とわたしたちに告げた。

 わたしの心臓はバクバクと高鳴っている。

 鷲づかみされたように胃がキリキリと痛み、額には汗が滲んでいた。


「あなた方3名は来週月曜日までに反省文を書いて提出するように」


 そこで一旦口を閉ざした君塚先生は鋭い視線を優奈に向けた。

 優奈は身じろぎもせずその視線を受け止めている。

 わたしなら身がすくんで立っていられないかもしれない。


「ダンス部は……」


 わたしはゴクリと唾を飲み込む。

 固く握った拳の中で爪が食い込んで痛いのに、手の力を緩めることができないでいた。


「次の定期試験まで活動停止とします。以上です」


 わたしは肩の力が抜け、フーッと息を吐いた。

 気を抜いてはいけないと頭では分かっていても、嬉しさがこみ上げてくる。

 次の定期試験は来週の金曜日で、明後日の土曜日から試験前の部活休みに入る。

 今日は部活の予定がないので、実質明日の部活が休止になっただけで済んだ。


 君塚先生が処分内容に不満があるのは明らかだった。

 それを口に出す前に小鳩さんが「慚愧の念に堪えません。今後この様なことがないよう精一杯務める所存です」と反省の弁を述べた。

 わたしも「申し訳ありませんでした」と深くお辞儀する。

 これで優奈が続いてくれたら、その勢いのままこの部屋から出られそうだ。


 しかし、優奈は目元がニヤけていた。

 これでは火に油を注ぎかねない。

 わたしは咄嗟に小鳩さんを押しのけて優奈の隣りに行くと、肩を肘でつついた。


 30度くらい腰を折って「すいませんでした」と早口で言った優奈に、「もっとちゃんと謝らないと!」と声を掛ける。

 優奈はギロリとわたしを睨むが、今後のダンス部のために心を鬼にする。

 わたしが「優奈!」と呼び掛けると、渋々といった態度ながら直角になるくらいまで頭を下げて「済みませんでした!」と大声を出した。


 君塚先生は納得した表情ではなかったが、わたしは「では、失礼します」と優奈の肘をつかんで会議室を飛び出た。

 最後に小鳩さんが丁寧に挨拶をして会議室から出て来た。

 だが、まだ油断はできない。

 一言多い優奈が失言して、君塚先生の耳に入ったら目も当てられない。

 わたしは優奈を引っ張ったまま強引に3年の教室が並ぶ廊下まで早足で連れ出した。


「彩花、もう平気だろ」と優奈はようやく足を止めたわたしから腕を振りほどき、その手をさすった。


 ちょっと力を入れすぎていたかもしれない。

 謝ろうと思ってわたしは口を開く。


「ごめん、でも、優奈が心配だから……」と言ったところで、なぜかボロボロと涙が零れ出した。


 わたし自身予期せぬ涙に驚いてしまう。

 当然、優奈も小鳩さんもびっくりしている。

 泣き止もうとするのに、一向に涙が止まらない。


「落ち着け」と優奈がわたしの肩に手を回した。


 わたしは彼女の肩に額を押し当てた。

 優奈の体温が伝わってくる。

 少しずつ気持ちが静まる。

 深呼吸を繰り返し、ようやくわたしは顔を上げることができた。

 泣いたことが恥ずかしくなって、わたしはふたりの顔をまともに見ることができなかったが……。


「あとは綾乃に慰めてもらえ」と言って優奈は手を挙げ、自分の教室に向かっていく。


 後ろ姿の優奈の耳元が赤く染まっている。

 彼女も照れたのだろう。

 それがなんだか可笑しくて、わたしは自然と笑みがこみ上げた。




††††† 登場人物紹介 †††††


須賀彩花・・・3年3組。ダンス部副部長。1年前は優奈に臆する気持ちが強かったが、いまや言うべきことは言えるようになった。


笠井優奈・・・3年4組。ダンス部部長。屋外は熱中症の心配、屋内は感染症の心配があってなかなか目標とするイベントの予定が立てられないでいる。


山田小鳩・・・3年3組。生徒会長。誰も経験したことのない事態が続いているだけに、日野からは生徒の声を集めるように指示されている。


君塚紅葉・・・3年1組副担任。今年度よりこの中学校に赴任した。登校していなかった日野から面談を申し込まれ、多岐にわたる相談を受けた。その中には全校生徒を対象としたイベント開催の相談もあった。


岡部イ沙美・・・ダンス部顧問。体育教師。


日野可恋・・・3年1組。まだ教師間に校長の方針が浸透しておらず、また君塚先生が煙たがられていたため今回は成功した。成果をアピールしながら教師の多くを味方につけたいと考えている。


 * * *


「昨日、久しぶりに日野の制服姿を見たけど、アダルトビデオのパッケージ写真みたいだったな」


 優奈の開口一番のセリフにその場の空気が凍りついた。


 会議室に呼び出された3人は帰る途中日野さんのマンションに寄った。

 ケーキで労ってくれるそうだ。

 すでに帰宅していた日々木さんを含めた5人でテーブルを囲み、さあケーキに手をつけようというところで優奈が爆弾発言をしたのだ。


 わたしの頬はひくつき、どう対応していいか分からずに固まってしまった。

 日野さんはまったく動じずに受け流しているが、その隣りにいる日々木さんは怒りと恥じらいが混じったような赤い顔をしていた。

 小鳩さんはキョトンとしている。

 発言の主はニヤニヤしながらケーキを口に運んだ。


 日野さんは高校生か大学生っぽい外見だし、雰囲気も大人だ。

 それに対してうちの中学の夏服は少し幼い感じがする。

 確かに似合っているとは言い難い。


「それで、どうだった?」という日野さんの質問に優奈が延々と君塚先生の悪口を並べ出した。


 君塚先生が聞いたらこっぴどく怒られそうな内容だ。

 わたしは会議室前から優奈を力尽くで連れ去った判断が間違いではなかったと納得した。

 日野さんの関心は校内の雰囲気の変化にあったようで、事前に調べるように頼まれていた。

 わたしはほかの部員たちから聞いたことを話した。


「全員ではないにしても、気が晴れた生徒は多かったみたい」


 生徒会ではLINEを使って緊急アンケートを採り、その結果を日野さんに提示した。

 小鳩さんは日野さんと今後について小難しい会話をしている。

 わたしは食べ切ってしまうのが惜しいほど美味しいケーキに舌鼓を打っていた。


「1学期はあと1ヶ月近くあるんだよね。途中に4連休はあるけど、もう1回くらい何かした方がいいかな」


 日野さんの発言に日々木さんが即座に「ファッションショー!」と提案した。

 しかし、日野さんは取り合わず、頬に手を当てて考え込んでいる。


「生徒会で制服廃止を提案するのはどうかな?」と日々木さんはめげない。


 制服廃止は優奈の発言がきっかけだろう。

 気まずい思いで、わたしや優奈は日々木さんから視線を逸らした。

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