第429話 令和2年7月8日(水)「ただの全校集会」山瀬美衣
今日も雨が降ったり止んだりの鬱陶しい天気が続いている。
蒸し暑くてマスクを外したいが、そんな勇気はわたしにはない。
6時間目はロングホームルームだ。
全校集会だと聞いている。
でも、教室で自分の机に座って校内放送を聞くだけだ。
わたしはこの春、中学生になった。
入学式はあったもののすぐに休校になってしまい、中学生という自覚のないまま2ヶ月を過ごした。
家では口論ばかりしている両親やイライラしてわたしを虐げる姉に囲まれて日々を送った。
早く学校が始まればいいのにと何度思ったことか。
しかし、学校が安心できる場所という訳ではない。
引っ込み思案なわたしは新しいクラスで誰とも仲良くなれなかった。
毎日学校に来てただ椅子に座り続けるだけの生活が続いた。
勉強にはついて行けていない。
わたしには分からないと声を上げることはできないし、黒板の文字をノートに写し切れなくても溜息を吐くだけで終わりだ。
もうすぐテストがあるそうだ。
きっとひどい点を取るだろう。
親から厳しく叱られるにちがいない。
そう思うと気が重く、いっそ死んでしまいたいくらいだった。
スピーカーから流れてくる校長先生の話は退屈で、眠くなってくる。
聞いている振りをしながら目を閉じる。
教壇に担任の先生がいるからみんなおとなしく聞いてはいるが、気怠げな空気が漂っている。
聞き流していた長話のあと、『続いて、生徒会からの報告です』とアナウンスがあった。
まったく興味が湧かない。
早く終わればいいのにと思ったところで、突然『この全校集会は私たちが乗っ取った!』という女の人の勇ましい声が流れてきた。
教室内では小さく驚きの声を上げる生徒もいたが、反応は鈍かった。
聞いていなかったか、あるいはただの冗談だと思ったのか。
だが、教室の前後の扉が勢い良く開くと、みんなが一斉にそちらを向いた。
「1年生のみなさん、こんにちは!」
前後の扉からひとりずつ女子生徒が入って来た。
ふたりは制服姿だが頭と口元にバンダナを巻いている。
まるで覆面をしているよう、というのは言い過ぎか。
クラスメイトの多くは口をポカンと開けて、成り行きを見守っている。
「先生は人質です」と言ってひとりが教壇に立つ。
「おとなしくわたしの言うことに従ってくださいね」
目元しか見えないが、笑い掛けているのは伝わった。
女性の担任教師は特に抵抗することなく教壇を明け渡した。
「これからみなさんには体育館に行ってもらいます。本当はグラウンドでやりたかったんだけど、この天気だから仕方ないよね」
そう言って、女子生徒は窓の方を見た。
いまは小雨がポツポツ降っているようだ。
同じことはほかのクラスでも行われているようで、隣りのクラスの生徒が廊下に出たのが聞こえてきた。
そちらも女子生徒が先導しているようで、ハキハキした声が耳に入る。
「じゃあ、みんな立ってください。マスクも着用してね」
みんなが顔を見合わせていたが、「ほら」と催促され立ち上がる。
めんどくさそうな顔をしている子もいるが、これから何が起きるのか興味津々という表情の子もいた。
「さあ、廊下に出てください」と教壇にいた女生徒が率先して廊下に出た。
みんな文句を言うでもなく付き従う。
もうひとりいたバンダナの女子が最後尾で全員の行動を促している。
わたしはほぼ最後に教室を出た。
すると全員出たよと合図があり、「出発するから整列してね」と先導役が声を張り上げた。
先生に言われた訳でもないのにいつものように整列して体育館に向かって歩き始めた。
体育館は窓が開いていて強い風が吹き込んでいた。
わたしたちが入った時はまだ人数が少なくて教室よりもヒンヤリした印象だ。
だが、どんどんと生徒が増え密集するにつれて、ムッとした暑さが押し寄せてきた。
体育館ではクラスごとではなく、どんどん奥に行くようにとだけ言われていた。
だから、いつの間にかわたしの周囲にほかのクラスの生徒が混じるようになった。
椅子はないのでみんな立ったままだ。
「もっと壁際に寄って」だの「ここ、ちょっと開けてね」だの声が飛び交い、これから何かが始まるようだった。
「みんな、来てくれてありがとう!」
突然、スピーカーから大声が流れた。
見上げるとステージ上にひとりの女生徒がいた。
彼女も制服にバンダナという恰好だ。
マイクを手にしているので彼女の声だろう。
「1年生のみなさん、遅ればせながら入学おめでとう!
2年生のみなさん、上級生という自覚を持ってね!
3年生のみなさん、受験がんばって!」
彼女は左手でマイクを持ち、右手を何度も突き上げながら生徒たちに呼び掛けた。
そして、「今日は楽しんでいってね!」と叫んでマイクを下ろす。
その途端スピーカーからは大音響が鳴り響いた。
とても激しい音楽だ。
そのリズムに合わせてステージ上の女生徒が制服姿のまま踊り始めた。
耳をつんざく音に呆気に取られていると、目の前のバンダナ姿の女子もダンスを始めた。
周囲の人とは若干距離を取っていたが、それでもわたしが手を伸ばせば届きそうな位置にいる。
こんな間近で本格的なダンスを見るなんて初めてのことだった。
それはお遊戯のような子どもっぽいダンスとはまったく異なるものだった。
動きにキレがあり、手足はピンと伸び、曲に合わせてリズミカルだ。
わたしは彼女から目を逸らすことができなかった。
「ほら、飛び跳ねるだけでいいから、身体を動かして!」
1曲目が終わると、壇上の女性がマイクを使ってそう呼び掛けた。
目の前の踊り手もピョンピョンと軽いジャンプを繰り返している。
それにつられるように、一般生徒も飛び跳ねていた。
これくらいなら運動が苦手なわたしでも……とついやってみた。
ジャンプはできる。
だが、リズムが合わない。
それにすぐに疲れてしまう。
わたしの目前のバンダナ女子は余裕の表情でジャンプを続けているのに、こちらはもう息が上がってしまった。
それなのにわたしはジャンプし続けた。
人肌を感じるような距離で一体になって何かをやるなんていつ以来だろう。
雑念が消え、飛び跳ねることだけに意識を集中する。
全員がひとつになるような感覚にわたしは包まれた。
「それでは、次の曲、いきます!」
体力的にはキツくなっていたが、残念な気持ちもあった。
次の曲では踊る人の立ち位置が変わってしまい、しかも、男子がわたしの前に割り込んだためあまり近くで見ることができなかった。
そして、その曲が終わると「撤収します! 指示に従って教室に戻ってください」とこの予期せぬイベントの終了が告げられてしまった。
もっと見ていたかったのにと心残りだった。
わたしはステージ近くにいたので、体育館を出るまでかなり待たされた。
座り込んでいる生徒もちらほらいたが、わたしは壁に寄り掛かって出る順番を待っていた。
……結構、疲れたな。
そう独りごちる。
ようやく順番が回ってきた。
周囲にはクラスメイトの姿が見えた。
集団でいる人たちは「マジすげー」「あれってダンス部だよね」などと興奮気味に話している。
彼女たちから少し離れたところをひとりで歩いていると、「どうだった?」とバンダナの女子に声を掛けられた。
「……」
わたしはなんて答えていいか分からず、俯いてしまう。
その女の人は、ちょっと考えてから質問を変えた。
「楽しんでくれた?」
わたしは頷いた。
本当は「すごく」だとか「感動した」だとか言いたかった。
それが言葉にできず、伝わるといいなと願いながら何度も何度も首を振った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます