第409話 令和2年6月18日(木)「校長先生」日々木陽稲

「お願いします」とわたしが頭を下げると、校長先生はにっこりと微笑んだ。


「日々木さんは偉いわね。みんなのためにそんなに考えてくれて」


 4月に赴任したばかりの新しい校長先生と近距離で面と向かい合うのは初めてのことだ。

 柔和な雰囲気を醸し出しながらも、瞳には知性を湛えている。

 第一印象は可恋のお母さんである陽子先生に似た感じがした。


「でも、ごめんなさいね。私は生徒たちを守る立場にあるの。新型コロナウイルスの危険を考えると、感染対策は何よりも重要なの。分かってくれるかしら」


 子どもに言い聞かせるような声音を聞いて、陽子先生との大きな違いに気づいた。

 大学教授である陽子先生は中学生のわたし相手でも対等の存在として扱ってくれる。

 親として年長者として注意をすることがあっても、敬意を払ってくれていると感じることができた。


「確かに感染症のリスクは考えないといけませんが、生徒の心の問題も同じくらい重要だと思います」


 わたしの訴えに、望月校長はほんのわずかではあるが不快そうな眼差しをこちらに向けた。

 しかし、瞬時に笑顔を深め、優しい口調で「そうですね」と肯定した。


「身体の健康だけでなく精神の健康も大切ですね。それは先生方もしっかり把握していると思います。学校が再開されて以降、懸命に取り組んでいますから」


 望月校長はチラッとわたしの横に立つ藤原先生に目をやり、再びわたしに向き直った。

 マスクで口元は隠れているが、わたしは全身全霊を込めて一挙手一投足を観察し相手の人となりを読み取ろうとした。


「感染の危険を冒さなくても生徒の精神を守ることはできているのではないかしら」


 押しつけがましい話し振りではないが、判断を変える気がないことは伝わってくる。

 情に訴えてもダメだろう。

 子どもをあやすように扱われるのが落ちだ。


「でしたら、アンケートを採る許可をお願いできませんか? 生徒たちの精神的な負担の現状を確認して、それを元に何をするべきか考えるというのはいかがでしょう」


 校長先生はわたしの言葉に頬に手を当てて考える素振りをする。

 頭ごなしに否定されないのは良いが、受け入れようとは微塵も思っていないようだった。


「ただでさえ先生方は負担が増えています。これ以上手を煩わせることは……」


「生徒会主導で行います!」と相手が言い切る前にわたしは言い募る。


「現在生徒会は部活同様活動休止中ですし、そうした行動にも危険が伴いますから」


「オンラインのアンケートでしたら」とわたしは尚も食い下がった。


 望月校長は藤原先生の方を見て、「生徒のデジタル機器の所持率は100%ではありませんよね?」と確認した。

 藤原先生は「はい」と答え、「具体的な数字を所望されるのでしたら……」と自分のスマホを取り出そうとした。

 校長先生は「結構です」と断り、わたしに向けて「ごく一部の声では参考になりません」と残念そうに告げた。


 わたしはぐっと奥歯を噛み締める。

 それを優しく見守りながら、「もちろん精神的な負担を感じている生徒は少なからず存在していると理解していますよ」と校長先生が話す。


「近いうちに今年度の学校行事についても発表できると思います。いまは先生方の頑張りを信じてもらえませんか?」


「……分かりました」


 こうしてわたしと望月校長との面談は終了した。

 希望していたファッションショーの話が出る以前の段階、イベント自体が認められなかった。


 この面談の前に藤原先生から球技大会の計画が許可されなかったと聞いた。

 教職員の間では好感触だったという話だが、校長先生の一声で終わってしまったのだ。

 だから、まずはイベントの開催を許してもらうことを目標にお願いをスタートさせたが、結果はこの通りだ。


「元気を出してください。承諾はされませんでしたが球技大会の提案自体は高く評価してもらえました。きっと日々木さんのことも校長先生は認めてくださっていますよ」


 正門まで送ってくれるという藤原先生が慰めてくれる。

 わたしは別に認められたいとは思っていないが、わざわざ指摘することでもないだろう。


「アンケート……、アンケートは無理でしょうか?」


 この未曾有の状況に先生方が努力していることを否定するつもりはない。

 だが、中学生の心理状態を教師の力だけで解決できるのかは疑問だ。

 新学年になっても友だちを作る機会がなかったり、部活など勉強以外に打ち込めるものがなかったりと日常がまだ取り戻せてはいない。

 分散登校が終わり、部活が再開されればある程度状況は改善できるだろう。

 一方で、新たな問題が起きないとも限らない。


「学校にとっても初めての出来事で生徒の心情をつかみかねているところはあるのではないでしょうか? 生徒会主導でオンラインアンケートを行うなどやれることはあると思うんです」


 デジタル機器がない人はアンケート用紙に記入してもらうとかできるはずだ。

 完璧な調査にはならなくても、いまの生徒の精神的な状況を把握する手助けにはなると思う。

 ……藤原先生より可恋に頼んだ方が速そうだけど。


「そうねえ……」と考え込む藤原先生に、「可恋や生徒会長にも協力してもらいますし、絶対に藤原先生の評価に繋げてみせますから!」とわたしは力説した。


「そんな、評価だなんて。私は生徒のために頑張っているだけですよ」


「いえ、生徒のために奮闘してくださる藤原先生のような方が高く評価されるのは当然のことですから」


 すこぶる機嫌が良い藤原先生は「できることなら」と請け負ってくれた。

 何か問題が起きた時に責任を取ってもらえる大人がいると、小鳩ちゃんにも頼みやすくなる。

 わたしは正門で藤原先生に見送られ、目の前に建つ可恋のマンションに帰り着いた。


 可恋は熱心にわたしの話を聞いた。

 特に校長先生から受けたイメージを詳細に尋ねてきた。

 君塚先生と違いわたしの髪を見ても何も言わなかったし、生徒からどう見られるかを意識しているように感じた。


「なかなか手強そうだね」というのが可恋の感想だ。


 アンケートについては「ひぃなに任せるよ。私はひぃなの指示で協力するから」と可恋は微笑んだ。

 可恋なら自分ひとりでパパッとやってのけるに違いない。

 笠井さんたちと裏でコソコソ動いているという理由もあるだろうが、わたしが可恋頼みになってしまわないように教育してくれているのだろう。


 相手と仲良くなったり、場の空気を読んで相応しい行動をとったりするコミュニケーション能力には自信がある。

 しかし、今日のように大人相手に自分の主張を認めてもらうことは容易ではないと改めて思った。

 可恋と同じ攻略法はできないだけに、わたしなりのやり方を見つける必要性を強く感じる。

 今回の件では、まずはアンケート。

 わたしは協力をお願いするため小鳩ちゃんに電話をかけた。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・3年1組。ロシア系の血を引き、日本人離れした容姿の持ち主。本人は外見よりも高いコミュニケーション能力を自負している。


望月寿子・・・4月にこの中学校へ赴任した校長。”生徒のため”が口癖で保護者からの受けが良い。


藤原みどり・・・3年1組担任。国語担当。教師歴4年目にして初担任となった。


日野可恋・・・3年1組。免疫系に障害があるため登校を控えているハイスペック中学生。


山田小鳩・・・3年3組。生徒会長。陽稲と仲が良く、恩を感じている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る