第406話 令和2年6月15日(月)「日々木さんの提案」藤原みどり

「先生、お話があります」


 ホームルームが終わった直後、私は日々木さんに呼び止められた。

 普段のにこやかな表情ではなく、並々ならぬ決意に満ちたと思しき顔だ。


「何でしょう?」と答える私も背筋を伸ばして対応する。


 窓から吹き込む熱風を避けるように生徒たちの多くは足早に教室を出て行く。

 その様子を横目で眺めながら日々木さんの言葉を待った。


「学校は再開されましたが、授業ばかりで生徒にゆとりや楽しみが少ないと思うんです」


 おそらく日野さんを意識した言い方に私は頷く。

 学校が再開されて半月が経つ。

 学校に通う生活に慣れては来たと思うが、まだ分散登校なのでいつも通りという訳にはいかない。

 クラス替えがあったのにクラス全員と顔を合わす機会が少ない。

 新しい友だちを作る時期なのにそれができず、クラスのまとまりもほとんど感じられない状態だ。

 しかも、この暑さで今日は目に見えてぐったりした生徒が多かった。

 まだ身体が暑さに慣れていないので、熱中症や夏バテが心配だ。


「そこで、分散登校が終わった来月上旬にイベントを企画したいんです」


 例年であれば3年生はちょうど修学旅行が終わった頃だ。

 昨年は大雨によって延期されたが、今年は行けるかどうかまだ分からない状況となっている。

 ほかの学校行事についても未定のままだ。

 おそらく3年生は授業の遅れを取り戻すために、運動会や文化祭が開催できてもほとんど参加できないのではないか。


「イベントですか……」


 日々木さんの背後に日野さんがいると考えるのが当然だが、日々木さんを通して伝えようとしてくる理由が分からない。

 日野さんは私のことを使い勝手の良い大人くらいに見ている節がある。

 その立場に甘んじたくはないが、初めての担任を華麗に務めるには彼女の力は不可欠だった。


「日野さんの考えですか?」と問うと、彼女は視線を落とし「可恋は関係ありません」と強い口調で言った。


 誰の提案かはさておき、通常の学校運営ができるようになった時点でクラスの親睦を深めるようなイベントの開催は悪いアイディアではないと思う。

 学年ごとに日を分けて球技大会でもできれば良い気分転換になるのでは。

 私が率先して提案し実行力を発揮すれば評価も上がるというものだ。


「そうですね。良い考えかもしれません」とニンマリしていると、「ファッションショーをやりたいんです!」と日々木さんが言い出した。


「ファッションショーですか……。それは……」


 昨年秋の文化祭で日野さんと日々木さんが中心となり、私が副担任を務めるクラスで大々的にファッションショーを行った。

 成功はしたものの準備が大変だった。

 中学校の文化祭とは思えないほどの時間と労力を費やした。

 それが半月ほどでもう一度できるのかかなり疑問だ。


 それ以上に大きな問題は許可が出ないだろうと予測される点だ。

 文化祭では前の校長が合唱ばかりの状況に一石を投じたいと日野さんに任せたという背景があった。

 私を始め多くの先生方からファッションショーは中学校の文化祭には相応しくないという意見が出ていたが、校長の支持があったから開催にこぎつけたのだ。

 その校長が去ったいま、望月新校長が承諾するとは考えにくかった。


「難しいと思いますよ」と告げると、日々木さんは決然と顔を上げ、「校長先生と交渉する機会を作っていただけませんか?」と話した。


 これまでの彼女のイメージは波風を立てず和を乱さないというものだった。

 ……日野さんの影響でこんなに生意気になったとしたら問題ね。


「校長先生は忙しい方なので難しいと思います」と言っても、「『生徒のため』を信条とされる方だと伺いました。お願いします」と食い下がってくる。


「ファッションショーである必要はないでしょ?」


 言い聞かせるようにそう問うと、「楽しいじゃないですか。わたしはみんなの気持ちを盛り上げたいんです」と日々木さんは力説した。

 いまだに小学生に見える外見で必死に熱弁を振るい、その思いは伝わってくる。


「でも、生徒の半分は男子よ。ファッションに関心を持っている子は少ないわ」


 私の指摘に、男子にも参加してもらうとか男子にも興味を持ってもらえるような形にしたいとか日々木さんは説明する。

 しかし、納得いくものとは言い難かった。


「ファッションショーについては、せめて私を説得できるだけの理由を用意してください。校長はもっと手強いですよ」


「……はい」


 しょんぼりと肩を落とす日々木さんの前に立っていると、まるで私が責めているようで居心地が悪い。

 そこで、「ファッションショーはどうかと思いますが、球技大会を開催する余興として何かやるみたいなことはどうでしょうね」と提案する。

 生徒全員がファッションショーに興味を持つことがありえないように、球技大会も興味を示さない子は少なからずいる。

 そういう子たちも楽しめる企画があれば一緒に開催すればいい。

 日々木さんが中心となるのなら、日野さんが頑張ってくれることだろう。


「考えてみます」と言った日々木さんと別れ、私は職員室に戻ると急いで日野さんに電話を掛けた。


 日々木さんとのやり取りを話し、これで良かったのか尋ねる。

 日野さんは『球技大会ですか。許可が下りるといいですね』と言った。

 その話し振りから、一筋縄にはいかないだろうと予測しているようだった。


『え? 止めた方がいい?』と不安に感じた私は焦って訊く。


『いえ、サポートしますから頑張ってみてください。大丈夫です。たとえ許可が下りなくても藤原先生の教師としての評価は下がったりはしませんから』


『その評価って日野さんからの評価? それとも校長先生から?』


『両方ですよ』と私の勢い込んだ質問に日野さんは即答した。


 彼女の情報網は侮れない。

 一介の中学生が知り得ないことを数多く知っている。

 例えば新しい校長が望月先生だという情報は職員室の誰よりも先に彼女がつかんでいた。


『各学年の学年主任はもちろんですが、球技大会なら体育教師に根回ししておきたいですね。こちらからも協力を依頼します。あと、ひぃなが校長に面会できるよう計らってください』


 根回しについての献策を聞き、私は面会のお願いについて了承した。

 日野さんは『君塚先生の動向には気をつけてください』と言って電話を切った。

 その君塚先生は教室等の消毒作業のために職員室にはいない。

 私は「鬼の居ぬ間に……」と呟きながら、真っ先に目についた岡部先生に声を掛けるのだった。




††††† 登場人物紹介 †††††


藤原みどり・・・3年1組担任。国語担当。最近評価がうなぎ登りの若手教師。


日々木陽稲・・・3年1組。将来の夢はファッションデザイナー。教師の言うことを素直に聞く良い子。


日野可恋・・・3年1組。前校長が引責する可能性が出た時から様々な布石を打っていた。


望月寿子・・・4月に赴任した校長。これまでの学校では”生徒のため”と公言し保護者からの支持が高かった。


君塚紅葉・・・3年1組副担任。英語担当。望月校長と同じ中学から赴任した。


岡部イ沙美・・・教職2年目で初担任を持った体育教師。ダンス部顧問。

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