第379話 令和2年5月19日(火)「オンライン授業に向けて」藤原みどり

 私への評価はうなぎ登りで上昇中だ。

 オンラインホームルームへの問い合わせは校内だけでなく他校の先生方からも来るほどだ。

 新米教師と軽く見られていたが、昨年の文化祭の頃から周囲の見る目が変わってきた。

 そして、この休校が続く中で最先端を突き進むデキる教師というイメージが定着しつつある。


「ぼーっとしていないでレポートを提出してください」


「はい、すみません」と私は叱られた生徒のように頭を下げる。


 注意の言葉を投げかけた君塚先生は私に嫉妬しているのだと思うことにして、私はプリントアウトしたレポートに視線を戻す。

 数日に一度、日野さんから送られてくるレポートを添削して校長に届けるのが私の役目となっていた。

 他クラスのオンラインホームルームの状況やオンライン授業の課題などがまとめられたもので、情報共有として同じものを何人かに送っているそうだ。

 日野さんは校長にも直接送るつもりだったようだが、パソコンをあまり使わない校長は私に印刷して渡すように命じた。

 初めてレポートを渡した時にあまりの完成度の高さから私が手を入れたと勘違いしたようだ。

 わざわざ指摘することはないと思い、そのまま放置している。


 チェックが終わり、私はレポートを手に校長室へ向かう。

 授業や課題の準備は自宅でも行えるが、生徒への連絡は基本的に学校でしか行えないので担任を持っている先生の多くは出勤している。

 三密を避けるために職員室の換気は気を使っているが、それでも微妙なところだろう。


「レポートをお持ちしました」と校長室に入って告げると、報告書のようなものを読んでいた校長はすぐに顔を上げて「ありがとうございます」と手を伸ばした。


 それなりにボリュームがあるレポートをかなりの速度で読んで、「藤原先生は優秀ですね」と褒めてくれる。

 私は「生徒たちが頑張ってくれていますから」と謙遜した。

 それから意を決して、「オンラインホームルームの再開を認めていただけませんか?」とお願いした。


 現在、3年生は生徒が”勝手に”オンラインホームルームを行っている状態だ。

 実際は日野さんを通して教師との連携が図られているが、担任が直接行うのが本来の形だろう。

 1組は生徒全員が参加しているもののほかのクラスではそうはいかない。

 これが学校による正式なものであれば、もっと参加する生徒は増えるはずだ。


「3年生全員の参加が見込めない以上難しいですね。不参加の生徒への連絡を欠かさない等、生徒のために取れる行動は全力で行うよう指示していますが……」


 校長は公平性を理由に私のお願いを聞き入れなかった。

 3年生よりも率先して行おうとしていた新1年生のオンラインホームルームも暗礁に乗り上げている。

 3年生であれば現在のような生徒主体のオンラインホームルームという抜け道も可能だが、まだ入学式で顔を合わせただけの新1年生に自分たちで行えというのは無理だ。

 そこであの手この手を尽くして準備をしているが、保護者と連絡を取ることすら容易ではない。

 学校ではホームページを開設しているがみんなが見ている訳ではない。

 共働きで家にいない親もいるし、電話に出ない親や訪問しても出て来ない親もいると聞く。

 保護者と教師の顔合わせすら碌にできていないのだから、信頼関係も何もあったものではない。


「オンライン授業についてはいかがですか?」とついでに質問する。


 ホームルームができない以上オンライン授業なんて不可能だと分かっているが、積極性はアピールしておかないと。


「早期導入が叫ばれていますが、夏休みの短縮などがあり準備を行う時間が限られていますからね。テストケースとして休校中に行ってみるのはいいかもしれません」


 予想外に前向きな回答があり、私は目を見張った。

 現在1組で行われているオンライン授業は生徒によるもので10分程度だ。

 通常と同じ50分の時間を使ってプロの教師が行った場合どのようになるかは興味深いところだ。


「君塚先生と週明けにも行えるようにお願いします」と言われ、私は了解し頭を下げて退出する。


 職員室の自分の席に戻った私は早速ジャージ姿の君塚先生に話し掛けようとした。

 その時、ふと思いついたことがあった。


「君塚先生、校長からオンライン授業のテストを行うようにというお話がありました。そこで、1回目は君塚先生にお願いしようかと思うのですがいかがでしょう」


「私ですか?」と普段からあまり表情を変えない君塚先生が能面のような顔のまま聞き返した。


「無理なら私が行いますが、君塚先生はICT教育にもお詳しいですし最適なのではと思いまして」


 まだ副担任の授業がどれほどのものか私は知らない。

 生徒に大声で怒鳴り散らす姿しか見ていないので、この機会に見てみたかった。


「分かりました」と承諾した君塚先生と日程などを打ち合わせた。


 そのあと私は君塚先生以上に苦手意識を持っている日野さんに電話を掛ける。

 彼女の協力なしには何ごとも進まないのだから仕方がない。


『君塚先生のオンライン授業ですか』


 何を考えているのか分からない冷たい声だ。

 私は焦って『勝手に決めてしまってごめんなさい。校長先生がテストケースとしてオンライン授業を行うように言ったので』と言い訳する。


『何人か参加できない生徒が出て来る可能性があります。その場合、他クラスの生徒を入れても構いませんか?』


 家庭によっては端末や回線が長時間使えないところがあるようだ。

 親や兄弟がリモートワークやオンライン授業をしていたら、端末の取り合いや回線の混雑などの不具合が生じてしまう。


『君塚先生と調整しますが問題ないと思います。できれば事前に参加者の顔触れは伝えてください』


 日野さんはレポートで挙げた課題について授業でどう取り組むのか質問してきた。

 ノートの取り方や回線落ちした場合の対応などかなり突っ込んだ内容だ。

 これから打ち合わせて準備すると答えたが、レポートを読んだだけで対策まで考えていなかったことがモロバレになってしまった。

 結局、日野さんに押し切られ『1回のテストでは分かりませんから』とやり方を変えて3回のテスト授業を行うことになった。


 私は伝書鳩のように日野さんの提案を校長と君塚先生に願い出る。

 そこで出た話を日野さんにお伺いを立て、調整しては校長室に駆け込んだり、君塚先生と顔を突き合わせたりする。

 それだけで1日が終わってしまった。


「オンライン授業を行うそうですね」と帰り際に岡部先生から声を掛けられた。


 精力的に動き回って目立った私のことが職員室で噂になったらしい。

 いつの間にか私が尽力してオンライン授業の実験にこぎ着けたという話として広まったそうだ。


「藤原先生のことを尊敬します」と後輩の岡部先生から言われ、私は顔がにやけるのを抑えられなかった。




††††† 登場人物紹介 †††††


藤原みどり・・・3年1組担任。国語教師。教師歴4年目にして初の担任となった。


君塚紅葉・・・3年1組副担任。英語教師。校長と共に赴任してきたアラフォーのベテラン。


望月寿子・・・4月に赴任したばかりの校長。口癖は「生徒のため」。


岡部イ沙美・・・2年4組担任。教師歴2年目の体育教師。


日野可恋・・・3年1組暫定の学級委員。大学教授の母からは卒論くらいのものは書けるでしょと言われている。

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