第337話 令和2年4月7日(火)「クラス替え」辻あかり

 昨日は始業式が行われ、クラス替えの発表があった。

 あたしは2年5組になった。

 顔見知り程度の知り合いは何人かいたが、仲が良い子はひとりもいない。

 あたしには部活があるからそちらで頑張ればいいかと思うが、その部活がいつ再開するかまったく分からない状況だ。


 ホームルームが終わって、あたしはほのかがいる1組の教室に向かった。

 よりによっていちばん遠い教室だ。

 せめて隣りのクラスくらいに近かったらいいのにと思ってしまう。


 ちょうど1組のホームルームも終わったようで、ゾロゾロと生徒たちが廊下に出て来た。

 その中に見知った顔があった。

 あたしが近づくと、向こうから先に声を掛けてきた。


「なんや、しけた顔してるなあ」


「そう言う琥珀だって似たようなものじゃない」とあたしは応じた。


 普段はにこやかに微笑んでいることが多い琥珀が、ほのかの仏頂面が伝染したかのようだった。

 琥珀は右手を自分のおでこに当ててはーっと大きな溜息をついた。


「学級委員に選ばれてしもうたんよ」と困った顔を見せる琥珀に「うわぁ」と声を出して同情してしまった。


「塾や習い事に部活もあって忙しいってゆうたんやけどなあ……」と琥珀は嘆息する。


 そこにほのかが教室から出て来た。

 あたしたちを見つけ、近づいてくる。


「1組はどう?」と尋ねると、ほのかはいつもの仏頂面で「最悪」と即答した。


 続きを促すと、彼女は声を潜めて「久藤とかね」と吐き捨てるように言った。

 久藤と小西は1年の間ではちょっとした有名人だ。

 悪い意味で。

 彼女たちがいた1年3組はいじめが発覚しただけでなくギスギスした空気が漂い、他のクラスの子たちはあからさまに避けていた。

 その3組を牛耳っていたのがこのふたりだ。

 噂に疎いあたしでも知っているくらいこの話は広まっていた。


「もう久藤さんを中心にグループができているのよ」と琥珀も眉をひそめる。


 ほのかや琥珀と同じクラスになりたいと思っていたが、こんな話を聞くと1組でなくて良かったとホッとしてしまう。

 琥珀はほのかに「学級委員の仕事、手伝ってぇなあ」とお願いしているが、ほのかは眉間に皺を寄せて答えない。

 その表情から関わりたくない気持ちが伝わってくる。


 とはいえ琥珀が学級委員に掛かりきりになると、部活の方に手が回らなくなるだろう。

 彼女はただでさえ塾や習い事で忙しい。

 ダンス部にとって貴重な存在なので、できればほのかが協力して学級委員の仕事の負担を軽減して欲しいと思う。

 ほのかもいろいろと大変でその余裕がないかもしれないけど……。


「女子やと、2組が平和そうでええわぁ」と2組から生徒が廊下に出て来たのを見て琥珀が言った。


 琥珀は人当たりが良く、あたしより遥かに顔が広い。

 知り合いの多い琥珀が言うのなら正しい情報だと言えるだろう。


 その2組の教室からはももちが出て来た。

 彼女はとても楽しげな顔をしている。

 あたしたちに気づいた彼女は手を振ってくれたが、こちらに加わることなく一緒にいた友人と帰っていった。


「他のクラスはどんな感じなの?」とあたしは琥珀に聞いてみた。


「3組はミキとトモが中心になるんやないかな」


 ミキとトモはタンス部なので知っている。

 練習熱心とは言い難く、ダンス部の中では目立たない存在だが、1年の時もクラスの中ではリーダー格だった。

 彼女たちがいた4組はグループ間の距離が近く、良い雰囲気のクラスだった。

 ふたりは誰とでも気兼ねなく接していたので、それがそんな雰囲気に繋がったのだろう。


「4組は小西さんと藤谷さんがいるから、どんなクラスになるんか想像できへんわ」


 琥珀が声を落とす。

 あたしは「担任は岡部先生だね」と付け加える。

 小西さんは男子すら恐れる不良だという悪評が立っている。

 藤谷さんはダンス部だが、言動に難があるためトラブルメーカーだと思われている。

 ダンス部の顧問で女子の体育を担当する岡部先生は生徒に人気があり信頼されているが、これが初めての担任だと聞いている。

 あたしとしては大変そうだなという他人事の感想しか出て来ない。


「5組はどうやのん?」と逆に琥珀に質問された。


「どうだろう。……そんなに目立った問題児はいないけど、リーダーシップを発揮するような子もいないっぽいかな」


 クラス単位の学校行事は盛り上がらない可能性が高い。

 あたしはダンス部で頑張るつもりなので関係ないことだ。


 ほのかの顔には他所のクラスのことなんて興味がないと書いてあり、あたしたちのやり取りを黙って眺めていた。

 部活に影響しなければあたしにとってもどうでもいいことなんだけど、部の運営のためには少しは関心を持っておく必要があると思っていた。


「上の学年と比べて、うちらの学年はパッとせえへんもんなあ」と琥珀が嘆く。


 ダンス部だけ見ても、上の学年には部長や副部長、ひかり先輩など凄い人たちがいっぱいいる。

 あたしたちは2年生になったが、1年前の先輩たちに追いついているとはとても思えなかった。


「あたしたちも後輩ができれば、もう少しパッとするようになるんじゃない?」と気休めを言ってみる。


「そうやとええね」と琥珀は言葉とは裏腹にまったく信じていない様子だ。


 ほのかに至っては何バカなことを言ってんのって目であたしを見る。

 あたしだって儚い希望だと分かっているわよと抗議したかったが、そんな気力が湧いてこなかった。

 それよりも、不意に先輩たちと過ごす時間がどんどん失われている感覚に囚われた。


 今頃は、ダンス部は一丸となって新入部員の勧誘のために披露するダンスの練習を行っているはずだった。

 それが、練習はまったくできなくなり、先輩たちの顔も見れなくなっている。

 あたしに限ったことではないが、最近は突然感情のコントロールができなくなる瞬間がやって来る。


「あかり」と心配そうにほのかがあたしの名前を呼ぶ。


「先輩になるんやろ」と琥珀がハンカチを差し出してくれた。


 あたしは「ありがとう」と言ってそれを受け取り目元を拭う。

 堪えようとしても涙が溢れてくる。

 歯を食いしばる。

 脳裏に浮かぶ部長の姿に、あたしは心の中で何度も呼び掛けていた。




 今日、あたしが住む神奈川県にも緊急事態宣言が出されると耳にした。

 これからどうなっていくのかまったく分からなくて、不安に心が押しつぶされそうになる。

 学校の休校は続き、部活の再開の目処も立っていない。


 練習する意欲が湧いてこない。

 うちの家はガタが来ているから、そもそも家の中での練習は親から禁止されている。

 その上、外出禁止では、もう何もできないじゃないか……。


 昨夜、ほのかや琥珀から励ましのメッセージが届いた。

 あのふたりだって大変なはずだ。

 あたしが心配を掛けちゃいけないと思っていたのに、それができない。

 次期部長と言われて調子に乗っていたが、とてもじゃないがあたしにその資格があると思えない。


 あたしはスマホの画面に映った部長の顔を見つめる。

 頼もしい部長のこれまでの言動が頭の中で蘇る。

 あんな風になれたらいいなといつも思っていた。

 でも。


 ……どうしたらいいですか、部長。




††††† 登場人物紹介 †††††


辻あかり・・・2年5組。ダンス部。これまで1年生部員のまとめ役だった。次期部長と期待されている。


秋田ほのか・・・2年1組。ダンス部。1年生部員の中ではエース格。毒舌で協調性に乏しい。


島田琥珀・・・2年1組。ダンス部。1年生Bチームのまとめ役を担っていた。人当たりは良いが結構キツいことを口にする。両親が関西人。


笠井優奈・・・3年4組。ダンス部部長。現在、新潟の親戚宅に疎開(隔離)させられている。

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