第304話 令和2年3月5日(木)「人脈」野上月
「ちょっと騒ぎすぎだよねぇ~」
目の前の女性のふわっとした雰囲気とは不似合いな渋い古風な喫茶店。
昼時なのに客はまばらで、店内にはコーヒーの香りが漂っている。
ここは彼女に連れて来てもらったお店で、行きつけのようだった。
春物らしい淡い色合いのVネックギャザーブラウスが彼女のゆるふわ感を際立たせている。
お姉さんっぽさを前面に出しながら、どこか頼りなげで助けてあげたくなる。
しかし、騙されてはいけない。
彼女、
「インフルエンザよりちょっと強いくらいなんでしょ。もうそこら中の人が感染しているかもしれないのに……」
愛羅さんは不満そうな口振りだ。
彼女にはゴールデンウィークに予定していたファッションショーの協力を要請していた。
だが、そのファッションショーは中止と判断した。
他にもこの時期に計画されていたいくつかのイベントの開催がキャンセルされ、彼女は暇を持て余していた。
「仕方がないですよ。でも、いつまで続くんですかね……」
わたしはファッションショーの準備のため他の予定を入れていなかった。
そのファッションショーを中止にしたので時間が空いた。
実際に自分が中心となってイベントを運営しようと思うとその大変さが身に染みて分かった。
イベントにもよるが、手の込んだ企画だと本当に準備が大事になる。
本番に備えてどこまで準備できるのかが成功の秘訣だろう。
感染症の対策を考慮するとその準備をすることが難しくなった。
プロの仕事ならある程度のリスクがあっても行えるが、素人の企画に高いリスクをかける訳にはいかなかった。
「暖かくなれば収まるというのも希望的観測みたいだし、分かんないわよねぇ~」
愛羅さんとはここ最近よく会って愚痴を言い合っている。
わたしは人脈作りを趣味としているが、たくさんいる知り合いの中で愛羅さんは上位3人に入るほど大きな影響力を持っている人だ。
神奈川にキャンパスがある某有名私大の2年生で、将来は大手広告代理店への入社を希望していると聞いている。
多くの学生イベントに関わっていて、かなりのやり手だ。
ファッションショーへの協力を取り付けた時にはこれで成功の目処が立ったと思ったほどだ。
それ以来、彼女に目をかけてもらうことが増え、ファッションショーが中止になっても彼女とのパイプができたのは大きな収穫だと思っている。
「ホントですね」と相づちを打っていると、ダンディなウェイターが注文の品を運んできてくれた。
わたしはこの店の雰囲気に合わせてホットコーヒーとサンドウィッチを注文したが、愛羅さんは抹茶ラテとナポリタンという組み合わせだった。
「ここのナポリタンはいけるわよ」と愛羅さんは微笑む。
ナポリタンといえばソースが飛び散るイメージが強く、今日のようにちょっとオシャレした服だと頼む勇気がない。
見ていると彼女はフォークでパスタをザクザク切って、それを掬って食べている。
友だちならそれは麺の食べ方じゃないとツッコむところだ。
わたしはコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れてから口に含む。
サンドウィッチも大人向けの味かなと思いながら食べた。
わたしの人脈の大半は高校生や遊んでいる感じの大学生なので、こういう大人っぽい雰囲気の店は来ることが少ない。
大人の人脈作りはわたしの大きな課題なので、その点でも愛羅さんと関わることは大きなメリットがあると思った。
ハツミをユーチューバーにする計画が頓挫したことを面白おかしく伝えると、愛羅さんは「こんな時期だから、何かやるのならインターネットを使ってなのだけどねぇ~」と溜息をついた。
愛羅さんもわたしもインターネットに関する知識は同世代の人たちと同じくらいのレベルだと思う。
こういう時に自分で勉強しようと思うのではなく、詳しい人に力を借りようと思うのがわたしだ。
だからこその人脈作りなのだ。
わたしの知り合いでいちばんインターネットを駆使しているのは人気ユーチューバーである式部さんだろう。
しかし、彼女は忙しいし、インターネット全般に詳しいという印象はない。
いや、ホントはメチャクチャ詳しいかもしれないけど、とても独特の人だから……。
「何か面白いアイディアがないか探してみますね」とわたしは請け負った。
「楽しみにしているわぁ~」と愛羅さんはニコリと笑う。
探すと言った手前、何らかのアイディアは出さなきゃいけない。
新たな人脈作りも必要になりそうだし、既存の人脈から新しいアイディアを引き出す努力も欠かせない。
愛羅さんとの関係を続けていくためには自分の価値を示すことが不可欠だ。
良いように使われてポイなんてことは避けたいが、いまのところわたしばかりが恩恵を受けているような関係だ。
対等は無理でも互恵の関係を築けなければ長続きしないことは経験上分かっていた。
その後、少し情報交換をして食事を終えた。
「今日は来てくれてありがとうねぇ~。ここは出すわ」
「いえ、そんな」と断ろうとしたが、ウィンクひとつで彼女はわたしの動きを封じた。
まだ大学生だが大人の貫禄を見せつけられたようだった。
愛羅さんは「またよろしくねぇ~」と優しい笑顔を向けてくれる。
わたしは「はい、またよろしくお願いします。次はちゃんと払いますから」と一言添えた。
わたしは愛羅さんと別れてから近くのスタバに入店した。
残念ながらいまのわたしだとこういうお店の方が落ち着く。
抹茶入りのフラペチーノを注文して席に着く。
それをつつきながら、誰に連絡を取るか思い巡らせる。
インターネットに詳しいと言っても漠然とし過ぎているように感じたからだ。
何をやるかによって詳しさの対象が違うような気がした。
インターネットに詳しい人とのパイプをいっぱい持っている知り合いを作るのがベストだが、パッと思い浮かぶような人がいなかった。
あー、ひとりいるか……。
知り合いの知り合いって人にいろいろと依頼していたって聞いたっけ……。
彼女本人も人並み以上の知識があっても不思議ではない。
だって可恋ちゃんだもの……。
可恋ちゃんはわたしがライバル視している存在だが、愛羅さんとの関係で言えばわたしの大きな武器にもなる。
ふたりを引き合わせずに常にわたしが間に入れば、それだけでわたしの存在感が増すだろう。
「背に腹はかえられないよね」とわたしは独りごちた。
『可恋ちゃん、ちょっと時間ある?』
決断した瞬間に、わたしは彼女に電話を掛けていた。
††††† 登場人物紹介 †††††
野上
式部・・・ファッションデザイナー兼パフォーマーで、人気ユーチューバーでもある。
日野可恋・・・中学2年生。人脈、発想力、行動力のどれもが中学生とは思えないレベルで、ゆえのプライドを刺激した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます