第259話 令和2年1月20日(月)「頑張ろうという言葉」辻あかり

「どんなに素晴らしい言葉でも使うタイミング次第で毒にも薬にもなったりすると思うんよ」


 いつもニコニコと笑顔を絶やさない琥珀が、顔をしかめてあたしにそう言った。


「Bチームの子らが頑張ってないのは確かやと思う。でも、誰だって頑張られへんことってあるやん」


 琥珀はあたしを責めるような眼差しではなく、むしろ同情するような顔付きで言葉を続けた。


「あかりだって勉強せなあかんと思ってもできへんことあるやろ? それで悪い点が返ってきた時に、できた人から頑張らなあかん言われても分かってるわってカチンと来るやん」


 両親が関西出身ということで、普段から関西弁を使う琥珀は柔らかで丁寧な言葉遣いを崩さない。

 しかし、彼女の一言一言がいまのあたしにはグサリグサリと心臓に突き刺さるようだった。


 先週の金曜日にダンス部でチーム分けが発表された。

 あたしは1年生のまとめ役だという思いから、AチームBチーム関係なく他の1年生部員たちに頑張ろうと声を掛けて回った。

 土曜日の練習でもそれを続け、その時は特に変わった様子は感じなかった。

 だけど、日曜日の自主練にももちは来れないと連絡を寄越し、そして今日はももちとトモとミキが放課後の練習を無断欠席した。


 3人は今日の練習に姿を見せなかったが、あたしは単に用事があって休んでいるだけだと思っていた。

 練習後に副部長から、3人から何か聞いていないかと尋ねられて無断欠席だということを知った。

 その時に一緒に聞かれたのはほのかと琥珀で、更衣室で着替え終わったあと琥珀から最近のあたしの言動を注意された。


 琥珀に指摘された最近の自分の行動を振り返れば、空回りしていたと恥ずかしくなる。

 部長や副部長に頼りにされたからって調子に乗っていたと言われても反論できない。

 琥珀の言う通り、あたしはダンスだけは頑張っているけど、勉強や家の手伝いなど頑張れていないことも多いし、それでお母さんとケンカすることなんて日常茶飯事だ。

 やらなきゃいけないと思いつつできていないことを、他人から上から目線で言われたらそりゃムカつくよ……。

 Bチームの1年生部員はそんなあたしにあからさまに反発しなかったんだから、あたしより大人だったと言えるだろう。

 子どものあたしは彼女たちの気持ちに気付くことができず、こんな結果に至ってしまった。


 黙り込んだあたしに、「あかりを責めるつもりはないんよ。うちかて分かっていたのに何もできんかったから……」と琥珀は自分自身を責めた。


「いや、琥珀は悪くない。悪いのはあたしだから」とあたしは口にする。


 しばらく互いに自分の方が悪いと言い争ったが、琥珀のスマホのアラームが鳴り、「ごめん、塾があるから先に帰るね」と更衣室を慌てて出て行った。


 あたしが溜息を漏らすと、それまで怒った顔で黙って見ていたほのかが口を開いた。


「バカみたい」


 あたしがほのかの顔をまじまじと見つめると、眉間の皺を深くして彼女が言葉を続けた。


「嫌なら……頑張れないなら辞めればいいじゃない。勉強じゃなくて部活なんだし」と休んだ3人を非難したあと、「それにどっちが悪いかなんてどうでもいいことじゃない。そんな下らないことに時間を使うくらいなら練習でもしていた方がマシだわ」とあたしと琥珀にまで言及した。


 ほのかの言うことはもっともだ。

 少なくともこんなところで言い争っていても何も解決しない。


「部長たちと話してくる。先に帰っていて」とあたしが更衣室を出ると、「私も行くわよ」とほのかはついて来てくれた。


 体育館の片隅に、まだジャージ姿の部長たちがいた。

 部長、副部長、マネージャー、顧問の岡部先生以外にも、何人か部長のお友だちの姿があった。

 上級生ばかりなので、その輪に加わることに抵抗があったが、立ち竦むあたしの背中をほのかが強く押して前に進ませる。

 副部長が真っ先にあたしたちに気付き、手招きしてくれた。


「お疲れ様です」と頭を下げると、全員が黙ってあたしに視線を送った。


 緊張したあたしはその場の雰囲気を読み取ることなく、琥珀の言葉とここ数日のあたしの言動をまくし立てた。

 かなりしどろもどろになりながらの説明だったのに、誰も口を挟まずに聞き入ってくれた。


 あたしが言いたいことを言い終えると、部長が自分の頭をかき、「あー」と呻き声を上げる。


「今回はアタシのミスだから、辻は気にするな」と部長に言われるが、それだけでは意味が分からず言葉を返しようがなかった。


 あたしの困惑を見て、部長は「特例は悪手だといま日野から責められていたところ。今回の問題はそこだから、辻は反省することがあるのなら今後気を付けてくれればいいから」と説明してくれた。

 あたしはチラッと日野先輩に視線を送るが、もの凄い眼光であたしを見ていた。

 以前、ほのかが泣かされたと聞いたが、こんな目で睨まれたら誰だってそうなる。

 あたしは怯えながら後じさってしまった。


「起きてしまったことは仕方ないので、これからどうするか考えていたところなの」と副部長が空気を和らげるように明るい声で教えてくれる。


 あたしはこの場に居続けていいのか不安に感じたが、副部長が時間があるなら参加してと言ってくれたので残ることにした。


「個別に部活動を継続する意思があるかの確認。特にAチームに入った子はAチームで続けるかどうかの確認も必要ね」


 仕切っているのは1年生から”怖い先輩”と呼ばれている日野先輩だ。

 さすがに他の2年生たちは日野先輩に対して怖がっている様子はない。


「あと、これはダンス部の問題というより日本の部活動の宿命というべきことだけど、勝つこと、上達することを優先するのか、楽しむことを優先するのかという問題があるよね」


 そう言うと日野先輩は他のメンバーの顔を見回す。


「どんなにきれい事を並べても、完全な両立は不可能。いっそのこと、ダンス部とダンス同好会に分けてしまった方がいいかもしれない。いまのメンバーを辞めさせたくないのなら、それくらいの考えが必要よ」


 そう言って部長に鋭い視線を送る。

 部長は顔をしかめながらも「考えとく」と怯まずに答えた。


 それから日野先輩はあたしの方を向いて口を開いた。


「そういえばこの部には掛け声があるんでしょう? 言ってみてくれる?」


 ……あたしに言っているんだよね?


 膝がガクガク震え、また後じさりそうになった。

 逃げ出しそうになるあたしの腰を隣りに立つほのかが押さえる。

 あたしを支えようとしてくれるのが分かる。


 あたしは怖い気持ちを振り払うように大声を出した。


「大丈夫。あたしたちはできる。だから、顔を上げよう!

 大丈夫。あたしたちはできる。だから、笑顔になろう!

 大丈夫。あたしたちはできる。だから、楽しもう!」


 閑散とした体育館にあたしの声だけが響き渡る。

 ひとつ頷いた日野先輩はあたしに向かって提案をした。


「まずは普段から『頑張ろう』という呼びかけを『楽しもう』に替えてみたら?」




††††† 登場人物紹介 †††††


辻あかり・・・中学1年生。ダンス部。1年生部員のまとめ役という自覚が芽生えてきたがそれが裏目に。


島田琥珀・・・中学1年生。ダンス部。Bチーム。塾や習い事などがあって自主練に割く時間がない。


秋田ほのか・・・中学1年生。ダンス部。1年生トップの実力ながら口が悪い。最近はあかりの前でしか毒舌を吐かなくなった。


本田桃子・・・中学1年生。ダンス部。特例でAチームに抜擢された。愛称はももち。


笠井優奈・・・中学2年生。ダンス部部長。実力優先を唱えてダンス部を創設したが、部員たちに辞めて欲しくはないという思いも。


須賀彩花・・・中学2年生。ダンス部副部長。1年生部員からは優しく頼れる先輩として慕われている。


日野可恋・・・中学2年生。ダンス部のみならず多くの1年生から”怖い先輩”と呼ばれている。

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