第242話 令和2年1月3日(金)「着物」日野可恋

「香波ちゃん、中学受験なのに冬休みにこっちに来て大丈夫なのかなあ」


 心配そうに話すひぃなに、「札幌は関東ほどは厳しくないそうよ」と助手席に座るひぃなのお母さんが答えた。

 香波ちゃんは札幌に住むひぃなの従妹で、明日神奈川に家族で遊びに来ると聞いている。

 例年は北関東の祖父宅にもう少し長く居るのに、今年はその従妹たちのために早く帰るということだった。

 いまはその自宅へ帰る車中で、私も同乗させてもらっている。


 車の中でもひぃなを中心とした一家団欒の雰囲気が漂ってくる。

 それを羨ましくないと言えば嘘になるだろう。

 しかし、私の性格上三日も続けばひとりきりになりたいと思ってしまうことも分かっていた。

 私が望む時だけ、こうして家族のように接してもらえるいまの状況に満足していた。


「お姉ちゃんは高校受験があった昨年も、あの新年会に出席させられたんだものね」


 後部座席に私、ひぃな、華菜さんが並んで座っている。

 ひぃなは姉の華菜さんを見上げて同乗混じりにそう声を掛けた。

 スマホをいじっていた華菜さんは、「お年玉と引き換えだから仕方ないよ」と苦笑した。


 元日に行われた新年会で、ひぃなが襲われる事件が起きた。

 都会以上に人との繋がりが重視される地方では、新年会を中止する訳にもいかない。

 来年以降は警備を強化して行われる予定だと聞いている。

 ひぃなは来年高校受験だが、現在の志望校であれば正月にあくせく勉強しなくても問題はないだろう。

 私の体調さえ良ければ、そばについていてあげたいと思うが、こればかりは保証できない。


「可恋はやっぱり真っ直ぐ帰っちゃうの?」


 ひぃなが今日何度目かの質問を繰り返す。

 事件以降、ひぃなは私のそばを離れようとしなくなった。

 怖いなどと口には出さないが、彼女の不安な気持ちは見て取ることができた。

 犯人が捕まってもまだ恐怖を拭い去ることはできていない。


 今朝、昨日行けなかった初詣に行くことになった。

 寒いので私は留守番するつもりだったが、ひぃながどうしてもついて来て欲しいと頼んできた。

 今後動きにくい服を私に着せないことを条件に出しても、それでもついて来ることを望んだ。

 私は分厚い防寒具を借りて付き添った。

 ひぃなは「それは動きにくくないの?」と笑ったが、ちゃんと回し蹴りをしてみせたので問題はない。


「今日は帰るよ」と私は同じ答えを繰り返し、「怖くなったらいつでも呼んで。飛んで行くから」とできるだけ優しく語り掛けた。


 ひぃなはいろいろな思いを飲み込んだ顔でこくりと頷いた。


 帰路の間、ひぃなが考えていたのは私に着物を着せる方法だった。

 今朝は条件を飲んだのに、抜け道を見つけると張り切っている。


「可恋が着物を着てくれないのは、わたしや自分の身を守るためだよね?」


 ひぃなの質問に私は頷く。


「だったら、可恋の家の中なら安全だから着てくれるよね?」


「危険人物がいなければね」


 私の回答を聞き流して、ひぃなは腕を組んで考え込んだ。


「誰にも見られないってつまらないじゃない。……代わりにキャシーや純ちゃんに護衛してもらうってのは?」


「ハワイでナンパして来たマッチョ集団をコテンパンにして警察にやっかいになったことを自慢げに話す電話が掛かってきたんだけど、そんな相手の横で着物は着てられないわよ」


「えっ! わたしにはナンパ集団からリサを守ったって話だけだったのに」とひぃなは目を丸くする。


「一生刑務所に入っててってお願いしておいたわ。海外旅行には行きたいけど、彼女と一緒はご免だと思ったし」


「日本なら外国人がやったことだからと大目に見てもらえるかもしれないけど、海外じゃね……」とひぃなも同意する。


「結さんは?」と知り合いの空手家の名前を出すが、「空手の強さと護衛能力はイコールじゃないからね」と私は否定した。


「着物を着て戦う格闘技を作り出すとか?」とひぃなは独創的な提案をするが、「着物の動きづらさはひぃなもよく知ってるでしょ? それに現代日本でそんな格闘技の需要がどこにあるの?」と即座に却下する。


「あとは……、動きやすい着物かあ……。ない訳じゃないけど、着物っぽい何かって感じで、やっぱり着物じゃないのよね……」


「ひぃなが作ればいいじゃない。10年くらいかけて」


「うーん……。って、その間、着物を着ないつもりね!」とひぃなは憤るが、着物なんて成人式や卒業式に着るくらいで、正月に着る人すら少数派だろう。


「ひぃなみたいに着物をよく着る中学生はそんなにいないよ」


 今日もひぃなは着物を着て初詣に出掛けた。

 元日、昨日、今日と三日間着物姿だったが、すべて異なる着物だった。

 もちろん彼女自身のもので、どれも高級品だろう。


「民族衣装としての素晴らしさはあるのに、動きにくかったり、高価だったり、着付けが大変だったりと欠点が多いから流行らないのよね……。なんとかできないかしら……」


「じっくり考えるといいよ」と私が他人事のように言うと、ひぃなは頬を膨らませた。


 そこで、気を逸らせるために、「そういえば、ひぃな、背が伸びたんじゃない? 仕立て直す必要はないの?」と聞く。


「え? 分かる?」と途端にひぃなは嬉しそうな顔になった。


「来年には仕立て直しが必要になると思う」と希望的観測込みで彼女は口にする。


 ひぃなは食事を改善し、筋トレも真面目に続けている。

 筋肉は付きにくい体質のようだが、それでも体幹はしっかりしてきた。

 初めて会った時は歩き方もどこか頼りなかった。

 目に見えてはっきり分かるほど身長が伸びたようには感じないが、これから伸びる可能性はない訳ではない。


 機嫌を直したひぃなはそれからもあれこれと着物について語っていた。

 幸い、私に着物を着せるアイディアは浮かばず、「必ず可恋に着物を着せてあげるからね!」と意気込むだけだった。


 少し渋滞もあったが、無事にマンションまで送ってもらった。

 ひぃなは車内から捨てられた子犬のような目で見上げるのでなんだか罪悪感を覚えたが、頭を撫でて「また明日ね」と言うとうんと頷いた。


 車だったから良かったものの、ひぃなのお祖父様から大量にお土産を頂いた。

 大半が地元の名産品などの食べ物だ。

 昨夜ひぃながお祖父様に私の暮らしぶりを微に入り細に入り語ったせいである。

 こんなに食べ切れる訳がないので、明日道場にお裾分けとして持って行こう。


 夕食の準備をしながらお土産の整理をしていると、スマホに電話が掛かってきた。

 キャシーからだ。

 溜息をひとつついてから電話に出る。


『ヒーナから聞いたぞ! 新しい武術を作るんだって!』


 興奮するキャシーの声を聞いて、彼女に着物を着せて実験台になってもらおうかという考えが過ぎったが、すぐに頭を振る。

 彼女なら着物を破くだけだ。

 私は頭を抱えながら、『作らない!』と叫ぶしかできなかった。




††††† 登場人物紹介 †††††


日野可恋・・・中学2年生。学校の制服以外でスカートさえ穿かない主義。ましてや着物なんてと思っている。


日々木陽稲・・・中学2年生。日本人っぽくない外見なので、着物を着る時はいろいろと工夫を凝らしている。


日々木華菜・・・高校1年生。今朝の初詣はさすがに着物は無理だと言って普通の私服で行った。


里中香波・・・小学6年生。陽稲の従妹。身長は陽稲より高い。


キャシー・フランクリン・・・14歳。G8。現在ハワイでバカンス中の黒人少女。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る