第235話 令和元年12月27日(金)「家出」高木すみれ
「そろそろ帰った方がいいんじゃないかな」
あたしは100回は繰り返した言葉を飽きもせず口にする。
あたしのベッドに寝そべって、あたしの所有するマンガを読みふけっている楓さんはこれまで同様に「無理」と即答した。
クラスメイトの結愛さんから電話が掛かってきたのは一昨日、25日の深夜と呼べる時間だった。
楓さんが家を飛び出したので、うちに泊めてくれないかという話だった。
結愛さんの父親は厳しい人だから、楓さんを泊めることはおろか、玄関先で立って話を聞くことしかできなかったそうだ。
結局、あたしはお父さんと一緒に結愛さんの家まで楓さんを迎えに行き、一晩泊めることになった。
もちろん、お母さんがこっそりと楓さんの家族には連絡を入れておいた。
家出の原因はスマホを解約されたことだと聞いたが、時間も時間なので詳しい話は翌日ということになった。
あたしの狭い部屋に布団を持ち込み、そこに寝てもらったが、昼近くまでぐっすりと彼女は眠っていた。
冬コミの入稿はとっくに終わっていたが、コピー本のイラストを黎さんから依頼されていた。
昨日はそれをする予定だったのにパソコンを置いた机の前に座れず、スケブに絵を描いて彼女が起きるのを待った。
起きてから「もー、最悪」と零しまくる楓さんに事情を聞いた。
スマホばかり見て、親から決められた手伝いをやらなかったり、親の話を聞かなかったり、それに加えて通信代がかなりオーバーしたりといったことが理由らしい。
「クリスマスだよ! こっちもちょっとは悪かったかもしれないけど、いきなり解約はないでしょ!」
日野さんならきっと「自業自得」と切って捨てただろうけど、あたしは曖昧に頷いて「大変だったね」という同情の言葉を選んだ。
更に詳しく話を聞くと、過去にも何度もやらかしていたので、”いきなり”という状況ではなかったようだ。
彼女はよく自分の親のことを「毒親」と呼んでいるが、会って話をした限りは割と普通だったし、今回の件も非の大半は楓さんにありそうだった。
あたしの両親の説得にも耳を貸さず、「あと1日だけ居させてください」という彼女の願いを聞いて、今日に至る。
彼女は特に何かをする訳でもなく、ただゴロゴロしているだけだった。
たまに口を開けば、「マジでむかつく」だの「いままでの課金が……」だのと嘆く言葉ばかり。
あとは、あたしのパソコンを見て「いいなあ」と羨ましがる声。
確かに、あたしの環境は恵まれている。
叔母の黎さんが絵を描く環境を整えてくれたし、お母さんも理解がある。
だからといって、横で愚痴愚痴言われると気分が良いものではない。
彼女も美術部の部員だから、スケブを渡して何か描いたらと言ったが、まったく気乗りする様子はなく、鉛筆を手に取ることもなかった。
昨夜も夜更かししていたし、今朝も遅くまで寝ていた。
せめて昼間だけでも結愛さんのところに行くとかしてくれたらいいのに、あたしの部屋から出ようとしない。
あたしのイライラは募るばかりで、明らかに描く絵にも影響を与えていた。
「今日は泊められないわよ」とこれも何度も繰り返したセリフだ。
今夜は黎さんがうちにやって来る。
そして、黎さんの東京のマンションにあたしは泊まって、明日のコミケに行く予定だった。
同じオタクなのだから、あたしの気持ちは分かるよねと思うのだが、彼女は生返事をするだけだった。
時間だけが刻々と過ぎていく。
もう夕方と呼んでもいい時間だ。
楓さんは動く気配を見せない。
あたしはクリエイティブなことに意識を向けるのを諦め、ネットの記事を眺めていた。
「もうすぐ5時だよ」
自分でもかなり刺々しい声だったと思う。
しかし、楓さんは微動だにしない。
それを見て、頭に血が上るのを感じた。
「もういい加減にしてよ!」
ダメだと思う気持ちはあるのに、自分を抑えられない感情の激流があたしを押し流す。
荒々しく椅子から立ち上がった。
その行動が更に感情を昂ぶらせる。
「ここはあなたの家じゃないのよ!」
溜め込んでいた不満があたしを突き動かした。
「あなたみたいな……」
あたしはすんでの所で踏みとどまり、口を閉ざす。
それとともに、あたしは頭の中の熱が冷めていくのを感じた。
まだ不満はたくさんあって、もやもやした感情は心に渦巻いている。
だが、ここでそれを口にして発散したとしても、一時的にすっきりするだけで、おそらく後悔することになるだろう。
「行こう」とあたしは有無を言わさぬ口調で呼び掛け、手近にあったジャンパーを着る。
「ほら」と言って、彼女からマンガを取り上げ、強引にベッドから起き上がらせた。
彼女は渋々といった感じではあるが、あたしの言うことに従い、立ち上がった。
数少ない彼女の私物を持たせ、引っ張るように部屋を出る。
「家まで送ってくる!」と叫ぶように言って、彼女を外へ連れ出した。
「……ひとりで帰るよ」と呟く楓さんを無視して、手を引っ張り歩き続ける。
外は薄暗くなりかけてはいるが、空は晴れ渡っていた。
あたしは感情にまかせてぐんぐん歩く。
楓さんの方を振り返ることなく、ただ前を見て足を進めた。
楓さんは自分の家の直前で「もういいから!」と抵抗したが、それも無視した。
あたしは非力なので本気で抵抗されていたら、立ち往生していただろう。
だが、彼女の抵抗は弱く、ついに家の前までたどり着いた。
呼び鈴を鳴らす。
対応に出たのは彼女のお母さんだった。
あたしの家に居たことを知っていたからか取り乱した様子はなく、呆れた顔で自分の娘を見つめていた。
「お父さんが帰ってきたら、ちゃんと謝りなさい」と言うと、楓さんはそっぽを向いた。
それでも、無言のまま家に入り、振り返ることなく奥へ進んでいく。
母親も「まったく、もう……」と楓さんの後ろ姿を見送り、それからあたしの方を向き直り、まだいたのという表情で首を傾げた。
「あ、じゃあ、帰ります」と毒気を抜かれたあたしはそう言うと、急いでその場を離れた。
どっと疲れが増した気がする。
あたしは深い深いため息を吐くと、顔を上げた。
これ以上考えても仕方がない。
気持ちを切り替えよう。
明日はコミケなんだし。
そう思いながらも、家路をたどるあたしの足取りは重かった。
††††† 登場人物紹介 †††††
高木すみれ・・・2年1組。美術部部長。叔母で、大手同人を主催する黎さんの手ほどきを受け、作画の技術は一級品。
伊東楓・・・2年1組。美術部。アニメやゲームが好き。特にいくつかのスマホゲームに夢中だった。
森尾結愛・・・2年1組。美術部。マンガやゲームが好き。
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