第227話 令和元年12月19日(木)「クリスマス」久藤亜砂美

 テレビでは私と同じくらいの年頃の女の子が闘病している様子を描いたドキュメンタリーが流れていた。

 消せばいいのに、それを吐き気がする思いで見てしまう。


 重い病を抱えながらも、この子には親身に世話をしてくれる家族がいる。

 支えてくれる人たちがいる。

 この世には、五体満足でも生きることが地獄だと感じる子どもがいっぱいいるというのに。

 私は歯を食いしばってテレビの電源を切り、リモコンを乱暴に座布団の上に叩きつけた。


 最近、近藤さんが来てくれない。

 中学3年生で、難関校を目指している人だ。

 この時期に遊んでいるヒマはないのだろう。


 炬燵の上に散らばったコンビニ弁当の残骸をビニールに詰め込み、私は息を吐く。

 今日は寒い一日だった。

 この安っぽいアパートの一室は寒さがダイレクトに伝わる。

 隙間風も吹き込むので、外にいるよりほんの少しマシな程度だ。

 生命線は母が誰かからもらってきた年代物の炬燵ひとつ。

 これからの時期はありったけの上着を着込んで耐えなければいけなくなる。


 ムシャクシャした気持ちをどうにかしたかった。

 マホの家でも押しかけようかなという考えが頭にぎる。

 彼女の顔を苦痛に歪めたいという昏い感情が湧き出てくる。

 だが、その思いをすぐに振り払う。

 この時間だ。

 誰の家に行ったって親がいる。

 私は大人が嫌いだった。

 わざわざ嫌な思いはしたくない。


 ……やっぱ、ハルカかな。


 私はスマホを取り出した。

 このスマホは近藤さんが買ってくれたものだ。

 月々の通信費も彼女が払ってくれている。

 もちろん実際に払うのは彼女と一緒に暮らす祖父と祖母で、近藤さんは説得してくれただけだ。

 だが、固定電話のないこの家で彼女の助けなしにはまともに暮らしていくこともできないと知っている。


 私が開口一番『遊ぼ』と言うと、ハルカは声を出して笑った。


『いいじゃん』


さみぃよ』と言ったハルカは『うち、来る?』と聞いてきた。


 彼女も親と一緒にいることを嫌い、家の外に出たがるタイプだ。

 親がいない時に何度か行ったことはあるが、誘ってくるということはそういうことだろう。


『親、いないの?』と聞くと、『今日は帰ってこないんだって』とハルカは嬉しそうだ。


 ハルカの提案に乗ろうという気持ちに傾いたが、彼女の次の一言で思いとどまった。


『あ、めぐ姉が男連れ込んでんだわ』


『じゃあ、止めとく』


『分かった。いつものコンビニでいいよな』とハルカは私に気遣ってくれた。


 私は着ていく服を漁る。

 中1にしては発達がいい私は、制服など一部を除いて服は母と共用だ。

 そもそも、いまの暮らしになってから服を買ってもらったことがない。

 下着すら自分のものを使えと母は言った。

 近藤さんから品のいい服をお下がりとしてもらったが、母は平気でその服を自分で着て行ってしまう。

 近藤さんから鍵付きの鞄をもらい、そこに大事な服を仕舞っていたことがあった。

 ところが、あの女は包丁で鞄を切り裂き、中の服をごっそり持って行った。

 おそらく質に入れたか古着屋に売ったかしたんだろう。

 それ以来、大事なもの――と言ってもほとんどないのだが――は近藤さんに預かってもらうようになった。


 コンビニで雑誌を立ち読みして待っていると、ハルカがもこもこした服装で現れた。

 スタイルが良くいつもはオシャレなのに、寒がりな気持ちがまさったのだろう。


わりぃな」と笑顔を見せると、「いいよ」と素っ気なくハルカは答えた。


 ハルカは私が唯一対等に付き合える相手だ。

 彼女にとっても私は特別なようで、こうして無理を言っても付き合ってくれる。

 それに甘えてしまえば対等ではなくなってしまう。

 私はぐっと胸を張り、これは借りだと頭の中にメモしておく。


 私たちはコンビニの前の縁石に並んで腰掛けた。

 ハルカはホットコーヒーを手に持ち、私は缶入りのホットミルクティーをカイロ代わりにする。


「男、作ればいいのに」と最近顔を合わせるたびに言うセリフをまた彼女は口にした。


 ハルカにだけはある程度の事情を話している。

 ハルカの答えは「男に頼ればいいじゃん」だった。


「アサミなら高校生に見えるし、金ありそうな大学生や社会人捕まえればいけるじゃん」


 いつかはそうしなきゃいけない日が来るとは思っている。

 だが、それは最後の手段にしたかった。


「……そのうちな」


 そう言うと、ハルカはそれ以上自分の考えを押しつけては来ない。


「ハルカはどうなのよ」と尋ねると、「コレって男いねーし」とつまらなそうな顔で答えた。


 ふたりきりの時、彼女は小学生の頃から男とやりまくったと自慢げによく話す。

 1つ歳上の姉ともども性に奔放で、この年齢でエロ本に書かれているようなことはほぼすべて体験したと笑っていた。

 ただ、姉の方は特定の彼氏を持つのに対し、ハルカはひとりの男とちゃんと付き合ったことはないらしい。

 彼女はセックスと恋愛はまったく別物という独特の考え方を持っている。


「そういや、アレ、手に入ったんだけど」とハルカはタバコを吸う真似をした。


 もちろんアレとはタバコではない。

 彼女には罪悪感は欠片もなく、声を潜めることさえしない。

 私も興味がない訳ではなかった。

 起きている時間の大半をムシャクシャした気持ちで生活している。

 それを忘れられるのなら……。


 ハマってしまえば転落するのは目に見えていた。

 買う金を作るために体を売るハメになるだろう。

 でも、早いか遅いかの違いでしかないと囁く声も心の中にあった。


「止めとく」と口にしたのは、近藤さんの顔が浮かんだからだ。


 彼女の保護者たちが私との接触を避けるように言う前に、近藤さん自身が易きに流れた私を切り捨てるだろう。

 彼女はそういう女だ。


 あの女には、母に対するよりも、その百倍以上の憎しみを抱いている。

 あの女は私の身体をもてあそんだ。

 私を従わせ、ありとあらゆることを私に行った。

 屈辱と苦痛が心と体に刻み込まれた。


 ……会いたい。


 頬に涙が伝う。

 ハルカに気付かれないように、私はそっとそれを拭う。

 彼女は気付いても気付かなかった振りをしてくれるだろう。

 それでも、知られたくなかった。


 しばらくして、寒さに負けてハルカが帰って行った。

 クリスマスの飾り付けがされたコンビニを私は憎々しげに見上げた。

 世界はクソまみれだ。

 もうどうなってしまってもいいと投げやりな気分になっていた時、スマホに着信があった。


 私の大嫌いな人からの一篇のメール。


『24日の夜にうちにいらっしゃい』




††††† 登場人物紹介 †††††


久藤亜砂美・・・中学1年生。クラス最大のグループを仕切り、グループの内外から恐れられている。両親は離婚し、母とふたりで暮らしている。


小西遥・・・中学1年生。姉の恵とともに不良として名が知れられている。亜砂美の親友。


近藤未来・・・中学3年生。両親の離婚に伴い、母方の祖父母に引き取られ、厳しい躾を受けている。離婚したばかりの亜砂美の面倒を見ることを頼まれ、勉強以外にもいろいろと教えた。

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