第206話 令和元年11月28日(木)「嗜虐」近藤未来

 私が秘かに行っていることを告白すれば、あの女はどんな顔をするかしら。

 私は祖母の顔を思い浮かべながら、そんな昏い愉悦に浸る。


 厳しく育て上げた娘が手を離れた途端奔放に生き始めたのに、何を省みることもなく同じ事を孫娘に繰り返しているのだから、一瞬顔を歪めただけですぐになかったことにするのでしょうね……。


 私は白い息を吐くと、問題集を閉じた。

 集中力が途切れている。

 私は頬杖をついて窓の外を見る。

 私の心と同じように重く垂れ込めた雲から雨粒が落ちていた。

 今日も寒々しい一日だ。


 教室の中は閑散としている。

 風邪やインフルエンザで休んでいる子もいれば、受験前の体調管理のために休んでいる子もいる。

 教室の蛍光灯は輝きを放っているというのに、その人工的な灯りが世界の暗さを引き立たせているように感じた。


 私は沈んだ気分を奮い立たせるように、昨日の放課後の愉快な出来事を思い返した。


 最近、放課後のわずかな時間をクラスメイトの工藤との雑談に割いている。

 生徒会活動を終え、暇を持て余した彼女が強引に声を掛けてくる。

 私も塾に行くまでの時間を潰すために会話に付き合うようになった。

 少しでも家にいる時間を減らしたいというのが本音だった。


 ふたりきりしか残っていなかった教室にひとりの少女が飛び込んできた。

 小柄で可愛らしい少女――新生徒会長になったばかりの二年生は顔を歪めて「……会長」と呟いた。

 私とお喋りしていた工藤は立ち上がり、「どうしたの? 小鳩姫」と言って少女に駆け寄った。

 相手を安心させるための笑顔を顔に浮かべていたが、私にはそれだけではないように見えた。


 少女が工藤の胸に飛び込み泣きじゃくる。

 可憐な子が悲嘆に暮れる姿は私の嗜虐心をくすぐった。

 しかし、工藤が体勢を変えて少女を私から隠してしまう。


 教室にすすり泣きが聞こえ続ける間、私は座ったまま眉間に皺を寄せつつ愉しく感じていた。

 これで彼女が頼る相手が私であったなら喜びに打ち震えていただろう。

 私は妄想に耽り、帰るタイミングを逃したことに気付いていなかった。

 ようやく少女が落ち着き、何があったか話し出そうとした時、私は帰ろうとしたが工藤に引き留められた。

 私ならふたりきりで慰めてあげようと思うのに工藤は真面目だ。


 一通り話を聞いたあと、工藤が私に「どう思う?」と聞いた。


「辞めると言った子から理由を聞き出さないといけないでしょ」


 私の返答に「そうよねぇ」と工藤が返答する。

 引き留めるにしても原因がはっきりしないと打つ手がない。

 別の子を入れるにしても同じ問題を抱えたままならば、同じ結果を招くかもしれない。


 新生徒会長は対人コミュニケーションが苦手だと語り、再び涙目になる。

 私が「よくそれで生徒会長に立候補したわね」と追い討ちをかけようと思ったら、工藤が「私に任せて」と助け船を出した。


「……会長」


「会長はあなたよ。大丈夫、誰にだって得意不得意はあるわ。全部ひとりでこなす必要はないもの」


 工藤は聖母のような微笑みを浮かべていたが、私には下心が透けて見えた。

 私の目が曇っているせいかもしれないが……。


 工藤は決して美人ではないが、爽やかな笑顔で男女問わず人気がある。

 ただ私といる時だけは、普段かぶっている仮面を少し外した素顔を見せることがあった。

 私がぼっちの優等生で、口が堅いと思ってのことか。

 それとも私もまた仮面をかぶっていることに気付いているからか。


 再び工藤に抱き締められ、自信のない姿をさらしていた新生徒会長だったが、今度こそ気持ちを立て直せたようだ。

 私に「醜態をお見せしてしまい慚愧に堪えません」と謝罪し、工藤にも何度も感謝と謝罪の言葉を繰り返した。

 そして、生徒会担当の教師に報告すると言って足早に出ていった。


「いじめ甲斐があるね」と私が口にすると、「ダメよ。彼女は私がずっとツバを付けているのだから」と工藤は睨む。


 普段の工藤が絶対に見せない顔を見られたことに私は口角を上げた。


「原因に心当たりがあるんじゃないの?」と私が問うと、「分かる?」と工藤が答える。


「辞める理由が言えないなんて、人間関係に問題があると言っているようなものでしょ」


 私がそう指摘すると、工藤は自分の席に座り、腕を組んだ。

 そろそろ帰らなければならない時間だが、他人の不幸は蜜の味の言葉通り生徒会内の醜聞が気になった。


「2年にひとり男子がいるのよ」


 工藤は肩を落としてそう言った。

 それだけでほぼ理由は解明できた。

 振られて居づらくなったのか、振って居づらくなったのかまでは分からないが、工藤ならどちらが執心だったか知っているだろう。


「で、どうするの?」と尋ねると、「ま、これがわたしの最後の置き土産になるでしょうから、なんとか片付けるわ」と工藤は言った。


 私には人の機微を読み取って問題を解決する能力はないが、こいつならできるだろう。

 そんな信頼感があった。


 その工藤は、今日は休み時間のたびに教室を出て行った。

 下級生たちのクラスを駆け回っているのだろう。

 志望校のランクを落としているとはいえ、余裕があって羨ましい。


 放課後、今日も工藤が私を呼び止めた。


「生徒会に行かなくていいの?」


「あとは会長の決断次第よ」


 私の質問に工藤は苦い顔で答えた。


「生徒会役員の二年の男子が告白して振られたの。本人はダメ元だったのかスッキリした顔をしていたのだけど、先輩を振ってしまった女の子の方は顔を合わせられないと深刻に悩んでいたわ」


「女心が分からないから振られるんだよ」と恋愛経験ゼロの私が批評する。


「ふたりのうちどちらを取るかはわたしが決めることじゃないしね。あとは小鳩ちゃん次第ね」


 考えるまでもない選択だと思うが、きっと良い子は悲劇のヒロイン気取りで涙ながらに決断するのだろう。


「しかし、彼には感謝よね。結果的に小鳩ちゃんがわたしを頼ってくれたんだから。彼女のひとりでも紹介してあげようかしら」


 工藤がそう言って微笑んだ。


「まさか、工藤が告白するように、けしかけたとか?」


「まさか、そこまで予測できないわよ。わたしは小鳩ちゃんを泣かせるようなことはしないわよ」


 その瞳が「あなたと違って」と問い掛けているように見えた。


 ……まさかね。




††††† 登場人物紹介 †††††


近藤未来・・・中学3年生。学年トップの秀才。祖父母と暮らしている。1年の久藤とは特別な関係にある。他人も自分と同じように裏があるのではないかと勘ぐる性質がある。


工藤悠里・・・中学3年生。未来のクラスメイト。前生徒会長。優等生の仮面をかぶっているが、ロリ萌え。


山田小鳩・・・中学2年生。新生徒会長。実務能力は高いがコミュ力は低い。ちなみに、放課後可恋に相談するために電話したら、田中さんに辞めると言われたと話した時点で「振って居づらくなったのね」と指摘された。生徒会内で気付いていなかったのは小鳩と井上菜々実くらいで、鈴木真央は伝えようと思ったが小鳩があまりにショックを受けていたので伝えられなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る