第202話 令和元年11月24日(日)「寒さなんて」神瀬結

「わたしもデートしたいです!」


 思わずそう叫んでしまった。


 昨日の土曜日、わたしは日野さんが代表を務めるNPO「F-SAS」のイベントに参加した。

 事前に日野さんから連絡があり、招待してもらったのだ。

 キャシーさんや真樹ちゃんを会場まで連れて行くことを頼まれたけど、お昼ご飯をご馳走してもらえると言われ、わたしは舞い上がっていた。


 一張羅のジャケットを着込み、ふたりを連れて東京駅近くの高層ビルに入る。

 受付で待っていると、ロングコートを着た日野さんが現れた。

 とても似合っていて格好いい。


 そこで林さんという空手をやっている高校生の方と合流した。

 まだ空手を始めて2年弱ということだが、日野さんに指導してもらったり、トレーニングメニューを考えてもらったりしたそうだ。

 羨ましい!

 わたしにも是非とお願いしてみたが、優秀な指導者がいるんだからと断られてしまった。

 一瞬、顧問の先生を再起不能にしてしまえばという考えが頭をよぎったが、空手部にいられなくなりそうなので断念した。


 もうひとり迎えに行くからここで待っててと日野さんに言われたが、みんなでついて行くことにした。

 キャシーさんとわたしが強く希望したからだが、日野さんは苦笑しながらも快くオッケーしてくれた。

 そして、麓さんという同級生の方を紹介された時に、日野さんの口から「いま私とデート中なの」という言葉を聞き及び、反射的に「わたしもデートしたいです!」と叫んでしまった訳だ。


「そうだね、これは”ご褒美デート”だから、結さんが春の中学選抜で優勝したらでどうかな?」と日野さんが言ってくれた。


 わたしは一も二もなく、「頑張ります!」と答えた。

 歳下のこんな大それたお願いでも、聞き流すのではなく真面目に受け止めてくれるなんて本当に日野さんは優しい方だ。


 近くのレストランに向かう時も「寒くない?」と気遣ってくれた。

 わたしは日野さんと一緒なら寒さなんて微塵も感じない。

 火照った頭を冷やしてくれて、雨ですら心地よいくらいだ。

 日野さんはわたしより更に薄着だったキャシーさんに『日本では、バカは風邪を引かないという言葉があるんだ』と教えていた。

 でも、空手家ならこれぐらい寒いうちに入らないよ!


 レストランではわたしは調子に乗って喋りすぎた。

 わたしは時折周りが目に入らなくなって暴走することがある。

 昨日もそれが出てしまった。

 わたしの友だちなら強引に、文字通り力尽くで止めてくれるんだけど、昨日のメンバーはみんな優しい方ばかりで止める人がいなかった。

 いま思い返せば、穴があったら入りたい気持ちだ。

 そもそも、折角日野さんにお会いしたんだから、お話を聞くいいチャンスだったのに。

 日野さんを褒め称える発言はともかく、どうでもいい自分の自慢話はあの場では相応しくなかった。


 お昼ご飯のあとはNPO活動として大学の先生のお話を聞いた。

 日野さんからは「結さんの学校なら知っていて当然の知識かもしれないけど」と言われていたが、決してそんなことはなく、いくつか新しい発見があった。

 しかし、圧巻だったのはその先生と日野さんとの質疑応答だ。


 わたしは姉の影響で同世代の中ではトレーニング理論について勉強している方だと思う。

 それでも分からないことは多い。

 先生と日野さんとの会話の中で、日野さんがオーバートレーニングに強い警戒心を抱いていることに気付いた。

 本来トレーニングメニューは各個人の能力や体調に合わせて組むことがベストだ。

 現実はできる人に合わせて組まれることが多く、負荷や練習量も多めになりやすい。

 休息の重要性も認識されていないので、疲労が溜まりやすくなる。

 疲労自体がケガに繋がりやすく、また疲労はフォームを悪化させてそれもまたケガの要因になる。

 いまのスポーツ育成システムはケガに耐えられた強い個体だけが成功し、耐えられなかった人はスポーツの世界から離れていく。

 特に女性は社会人になるとトップアスリートも一般層もスポーツを続けない傾向にあり、それを変えていく力になりたいと話していた。

 多くの参加した中高生にはピンと来ない話だったかもしれない。

 ケガは競技生活に影響するだけでなく、その後の長い人生に大きな負担を強いる可能性があり、それを回避する責任は未来を見通す力の弱い未成年の選手ではなく大人の指導者が負うべきだという日野さんの発言は、わたしの両親が指導者の仕事をしているだけに重く響いた。


 講義のあとは参加者による交流会となった。

 今回は初めてのNPO活動ということで、日野さん自身やスタッフが声を掛けて集めた人が多いと聞いた。

 その割に講義を集中して聴いていた人が多く、トレーニングに対する意識は高いようだ。

 それに、頼まれたにせよこういうイベントに集まった人だからか、積極性のある人が多かった。

 わたしは50人ほどの参加者全員に声を掛けて回ったが、同じような人が何人かいた。

 うちの中学は大学付属の私立で、スポーツに力を入れているから、クラスメイトにいろんな体育会系の部に所属する子がいて交流がある。

 だが、この集まりにはかなりマイナーな競技の選手がいて面白かった。

 聞いたことのない競技もあったが、いちばん驚いたのはeスポーツのプレイヤーだ。


 わたしは所詮ゲームじゃんと思っていたが、日野さんは対戦スポーツの基本である「認知・判断・実行」を高い次元で伴うので立派なスポーツだと言った。


「使うのは指先だけだとしても、そのためにどんなトレーニングが効果的なのか興味深いわね」と日野さんは楽しそうに語っていた。


 楽しい交流会のあと、昼食をともにしたメンバーはオブザーバーとして反省会に出席した。

 日野さんと運営スタッフがこの日のイベントの問題点を洗い出し、次回への改善に繋げようとするものだ。

 最初に日野さんが問題点をホワイトボードにずらずらと書き出していく。

 イベントの告知や募集のやり方から、並べられた机や椅子のことにまで多岐にわたって。

 質疑応答で喋りすぎたと自身の反省も書かれていたが、日野さんがいかに周りをよく観察していたかがうかがえた。

 オブザーバーからは好意的な意見ばかり出たので、わたしは違いを見せるために「交流会ではネームプレートがあればよかったと思いました」と発言した。

 すると、日野さんは難しい顔で「ゲーミフィケーション的なものを入れられないかな」と考え込んだ。

 スタッフの人たちはそれがどんなものかすぐに理解したようだが、オブザーバーの面々にはさっぱりだ。

 それに気付いた日野さんは「ゲーム的な要素を採り入れて交流会を活性化できなかいなって。今回は積極的な人が多かったけど、毎回そうとは限らないしね」と説明してくれた。


「今日はありがとう。助かったよ」と日野さんが見送ってくれる。


「日野さんのためなら、たとえ火の中水の中でも!」とわたしが言うと日野さんは苦笑していたが、「いつも助けてもらっているから、今度埋め合わせするよ」と言ってくれた。


 やっぱりこの時期ならあれだよね。

 ……クリスマス。

 わたしは今後の計画を練りながら、キャシーさんや真樹ちゃんと帰途についた。

 でも、ご褒美デートを叶えるためには練習も頑張らないとと気合を入れる。

 寒さなんてまったく気にならない。

 雨さえ降っていなければ家まで走って帰りたい気分だった。




††††† 登場人物紹介 †††††


神瀬こうのせ結・・・中学1年生。夏の全中で準優勝した空手・形の選手。可恋に憧れている。風邪で学校を休んだことがないのは自慢。


日野可恋・・・中学2年生。女子学生のアスリートを支援するNPO「F-SAS」の代表。法人化は来年4月の予定だが活動は始まっている。


キャシー・フランクリン・・・14歳。G8。7月に来日して以来空手を学んでいるアメリカ人。風邪なんて水風呂入ったらすぐに治る。


和泉真樹・・・中学1年生。ジュニア世代のトップスイマー。”ご褒美デート”という言葉に強く惹かれた……。


林康子・・・高校2年生。高校から空手を始め、新設された女子空手部の部長を務めている。


麓たか良・・・中学2年生。可恋のクラスメイト。夏からボクシングのジムに通っている。

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