第200話 令和元年11月22日(金)「ふたりのクドウ」近藤未来
朝から降り続いた雨が昼頃から激しくなった。
気温はまったく上がらず、教室の中にいても吐く息が白く見える。
教室内には空席がポツポツとあった。
インフルエンザで休む生徒も出て来た。
高校の入試が近付いてきている。
大事をとって休む生徒もいるはずだ。
私は教師の言葉をBGMにして問題集を解く。
私の志望校は県立トップの公立高校なので、この時期に学校の授業を聞いても意味がない。
習う範囲は既に塾で学んだ。
高校入試なんてできて当然の問題が並ぶだけに、たまたま分からない問題が出たなんてことがあれば目も当てられない。
ごくわずかな差が合否を決めるのだ。
志望校に合格したところで輝かしい”未来”が待っているなんて微塵も思わないが、私は黙々と勉強した。
「
授業が終わり、そそくさと帰ろうとした私に声を掛ける者がいた。
そんな奇特な奴は3年生の中でもひとりだけ。
確認しないでも分かる。
同じクラスの工藤だ。
工藤は生徒会長を務める優等生だが、強引なところもある。
私が無視して帰ろうとすれば、力尽くで引き留めようとするだろう。
過去の経験から学んだ私は、立ち止まって睨むように工藤を見た。
「今日は2年生が職場体験に行っているから生徒会活動がなくて暇なのよ」
「帰って勉強すれば?」と冷たく突き放すが、「未来、ちょっと付き合ってよ」と工藤は私の話を聞こうともしない。
こいつは校風と、高校でも成績上位をキープしたいという理由で志望校を決めているので合格はほぼ確実だ。
それに付き合わされるのは勘弁したいところだが、天候のせいもあっていつも以上に気が滅入っていた私は渋々頷いた。
生徒会室にある電気ストーブで暖まってから帰ろうという提案に乗り、彼女について行く。
教師の信頼が厚い工藤は簡単に生徒会室の鍵を借り、職員室のすぐ近くにある彼女が君臨する小部屋に入る。
電気ストーブの力は偉大で、その周囲だけはすぐに温かくなった。
「ストーブもね、12月になるまで使っちゃいけないって決まりだったのよ。山田さんが先生に掛け合ってくれて寒い時は使えるようになったの」
工藤が誇らしげに後輩の手柄を語る。
その恩恵にあずかった私は「次期生徒会長なんだろ? 生徒会は安泰だな」と持ち上げておいた。
「本人は同じ2年生の日野さんに敵わないことを気にしているけど、山田さんはわたしよりも優秀だし、立派な生徒会長になれるわ。可愛いし」
最後の一言は生徒会長の資質と関係がないように思うが、スルーする。
それよりも私は気になる人物の名前が出たことに反応した。
「最近の日野の話題はないの?」
私はこの2年生と話したことはない。
見かけたことはあるが、向こうは私の名前も知らないと思う。
工藤との会話の中で彼女に興味を持った。
勉強や運動ができることはどうでもいい。
それよりも文化祭をがらりと変えてしまった行動力に目を奪われた。
工藤の口から、一般生徒にはほとんど知られていない日野の暗躍を知り、それからは折に触れて彼女のことを聞くようになった。
「文化祭のあとだと、ダンス部の創設や来年のファッションショーのことで動いたりもしているみたいだけど、それよりもいちばんのニュースはNPOの代表の話かな」
まったく予想外の話に「NPO?」と口に出す。
「未来が驚くなんて初めて見たかも」と工藤は笑い、「学生の女性アスリートを支援するNPOを作るんだって」と言って、スマホを取り出し動画を見せてくれた。
日野が記者会見のようなことをしていた。
スポーツに興味がない私にはよく分からないが、堂々と記者の質問に答えている。
「凄いよね」と工藤が感心する。
これを見せられると自分と比較する気にもならない。
別次元の存在としか言いようがない。
きっと工藤も同じ気持ちだろう。
しばらくの間ふたりでその動画をじっと見ていた。
30分ほどで私は帰ることにした。
今度は工藤も引き留めなかった。
彼女は少し生徒会の仕事をしてから帰るらしい。
事実上引退しているようなものだと言っていたが、週明けに正式に任期が終わるので名残惜しいのだろう。
ストーブの余韻は冷たい雨ですぐに吹き飛んだ。
それでも気合いを入れて帰るしかない。
祖父母が待つ家へ。
私の両親は離婚した。
私が小学生の低学年の頃だ。
私は母に引き取られたが、1年もしないうちに母は他の男の人と暮らし始めた。
そして、すぐに身ごもった。
それ以降、私は母の両親――私の祖父母の家で暮らすことになった。
祖父母、特に祖母は厳しい人で、それまで適当に育てられていた私は挨拶の仕方から箸の上げ下ろしまで事細かに注意された。
友だちの付き合いまで管理され、それまで仲の良かった子との連絡を取らせてもらえなくなったこともある。
勉強しろとうるさく、塾に通わされたが、家計の問題で私立中学への受験は諦めるしかなかった。
スマホも必要ないと持たせてもらえなかったが、たまにしか会わない母に頼んで最近ようやく持つことができるようになった。
母は祖父母の手を離れた途端に奔放に生きるようになった。
その教訓から何も学ぼうとせずに、祖父母は同じ教育を私に施している。
私は”未来”なんて名前をつけられたが、私の未来は見えているようなものだ。
母のようにはなりたくないが、きっとああなってしまうのだろう。
私は帰宅すると鍵のない自室に鞄だけ置いて、「久藤さんのところに行って来ます」と祖父母に言って家を出た。
久藤亜砂美――二歳年下のこの少女と知り合ったのは去年の夏だ。
彼女もまた両親の離婚に直面して塞ぎ込んでいた。
彼女を引き取った母親が私の祖父母と知り合いで、仕事で面倒を見られない夕方の間だけ私が相手をすることになった。
私は近くのアパートの部屋を鍵を使って開ける。
母ひとり娘ひとりが暮らす安普請のボロアパート。
しかし、ここが私にとっていちばん心安らぐ場所となっていた。
「お姉様」と私服姿の亜砂美がタオルを持って駆け寄った。
亜砂美がタオルで私の身体を拭い、コートを脱がせてくれる。
私はいつものように勉強机の前に置かれた、この部屋にある唯一の椅子に無造作に座る。
「おいで」と言うと、彼女は私の膝の上に横向きに座り、身体を捻って私に抱き付いてきた。
二歳歳下とはいえ、彼女は1年生の中では背が高い方だ。
私と身長は変わらない。
私の膝の上に座った分、座高が高くなり、私の頭を自分の胸元に抱えるような形になった。
この部屋にある暖房器具は炬燵だけなので、彼女の上体は冷たかった。
それでも抱き合っていれば徐々に互いの体温で温もってくる。
私と知り合った時の亜砂美は少し勉強ができるだけの普通の少女だった。
私はうぶな少女に勉強だけでなく、いけないこともいろいろと教えた。
その最たるものが、教室を、クラスメイトを支配する方法だった。
自分では実践したことがなく、ただ頭の中で考えていたことだったが、彼女が実践して成功した。
亜砂美は私の作品であり、私の――私だけの力の証明だ。
心配は私が進学したあとのことだ。
どうせ進学校に行ったとしても勉強漬けの生活は変わらないだろう。
亜砂美の存在は私にとって唯一の癒やしだ。
彼女を手放したくない。
だが、私は愛なんて信じていない。
亜砂美の忠誠も献身も、私が亜砂美の役に立つからこちらに向けられているだけだと認識している。
私は彼女のぬくもりを感じながら、その心を繋ぎ止める鎖の在り処を見つけられずにいた。
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