第199話 令和元年11月21日(木)「職場体験」日々木陽稲
やる気に満ち溢れて、わたしはビルの前に立った。
今日と明日は職場体験だ。
わたしがいまから向かうのはとあるアパレルメーカーの企画開発室。
わたしが二日間お世話になる職場だ。
職場体験は班単位で行うので、本来ならわたしと純ちゃんの他に可恋もいるはずだった。
しかし、本人が宣言した通り、可恋は職場体験を欠席した。
自らが代表を務めるNPOのお仕事を家の中でするそうだ。
昨日から冬のような寒さになり、寒いのが苦手な可恋にとっては計ったかのようなタイミングだ。
わたしだってビルの中でのお仕事だから、楽だと思うんだけどね。
向かった場所によっては大変な思いをする生徒もいるだろうと思うと、なんだか悪い気さえしてくる。
入口の受付でパスをもらい、首から提げて待つこと数分、ひとりの女性が迎えに来てくれた。
茶髪で結構遊んでいる感じのお姉さんだ。
服装もOLっぽさは全然なくて、洗練された大人の雰囲気が伝わってくる。
「わー、可愛い! ホントに中学生?」とその人はわたしを見るなり歓声を上げた。
わたしは「日々木陽稲です。よろしくお願いします」と頭を下げ、純ちゃんに目配せする。
純ちゃんも「安藤純……です」と名乗って会釈した。
わたしがちゃんとお辞儀しないとって純ちゃんに注意すると、女性は声を上げて笑い出した。
「ごめん、ごめん。あなたはしっかりしているね」とわたしに微笑み、「私は企画開発室の田中三ツ葉です。二日間よろしくね」と自己紹介してくれた。
わたしたちは田中さんに案内されて企画開発室のあるフロアに上がる。
パッと見は普通のオフィスっぽいが、ファッション誌や生地のサンプルが机の上に無造作に置かれていたりするところにわたしは興奮した。
これぞ、ファッション業界って感じ!
ただフロア自体はパーティションに仕切られていたり、小部屋が多かったりで、全体に人の気配は少ない。
わたしたちが向かった先は資料室で、最初に振られた仕事は資料集めだった。
「紙の資料が多いんですね?」と意外に思って尋ねると、「そうなのよー。デジタル化してるものもあるけど、探すのが大変だしね。もっと効率化できたらいいんだけど……」という返答があった。
自社の商品データは当然データベース化されているそうだが、とりあえず今後の参考になりそうといって集めただけの資料は宝の持ち腐れ状態だ。
みんな自分の仕事優先で、資料の整理なんて誰もやりたがらないと田中さんは嘆いていた。
……えーっと、もしかして資料集めだけで職場体験終わっちゃう?
アパレルメーカーでの職場体験が決まった日から、これでもいろいろと考えてきたのだ。
特に企画開発室だなんて聞いた日には飛び上がって喜んで、わたしも新商品を開発すると意気込んでいた。
それがこんな仕事で終わってしまうの?
わたしが青い顔をしているのに気付いた田中さんは、「大丈夫よ、午後はふたりにも会議に出てもらうわ。商品開発会議よ」と言ってくれた。
わたしの感情は瞬間的に跳ね上がり、再びわたしのやる気はマックスになった。
その分かりやすい態度の変化を見て田中さんは笑っていた。
資料集めを、純ちゃんが肉体労働、わたしが頭脳労働と分担してこなし、家から持って来たお弁当を食べたあと、いよいよ会議に出席する。
会議のメンバーは田中さんを含めた大人6人とわたしたちふたり。
男性はふたりだけであとはみんな女性だった。
会議のテーマは中高生の女の子をターゲットにした春夏ものだ。
わたしと純ちゃんに現役女子中学生の生の意見を聞きたいということが丸わかりのテーマだけど、わたしはこんなこともあろうかと可恋に作ってもらった資料を配りプレゼンを始める。
「中高生の女子はオシャレをしたい気持ちは並々ならぬものがありますが、お小遣いの制約があってあれもこれもと買うことはできません。そこで提案なのですが、着脱式のリボンを使ってバリエーションを出したいと思います。リボンの付け替えによって、フェミニンなものからガーリーなもの、可愛いものから大人っぽいものまで変えられるようにしてみました。資料の1枚目がブラウスの基本形で……」
誰も止めないことをいいことに、わたしは延々と語り続けた。
リボンの形状や材質など調べたことを得意になって話す。
さすがにコスト計算まではできなかったが、いまの自分にとって最高のプレゼンができたと思う。
10分以上にわたる独演会の果てに待っていた言葉は、プロジェクトリーダーの男性による「お疲れさん、面白かったよ」の一言だけだった。
わたしは泣きそうになるのをぐっと堪えて、「何が悪かったのですか?」と質問する。
「日々木さんだっけ。あなたはファッションに強い関心があると思うけど、自分でその商品を買う?」
わたしは息を呑む。
「たぶん、あなたのようにファッションに興味がある子なら自分で工夫するでしょ? 一方、そこまで興味がない子には面倒なだけだよね」
何も言い返せない。
「ただ、リボンのバリエーションのアイディアは面白いと思った。他の子と差別化するアイテムって感じにできれば商品化できるかもしれない」
リーダーがそう言うと、すぐに他の会議のメンバーから具体的な改善策が出て来た。
わたしが呆気に取られていると、「いいの? あなたが出したアイディアでしょ。取られちゃうわよ」と田中さんが微笑んでわたしに語り掛けてくれた。
わたしの引き出しの中にはもうほとんどアイディアは残っていなかったけど、それでも精一杯知恵を絞り、必死に他の人たちの話について行く。
自分の勉強不足を突きつけられたものの、それでも有意義な時間だったと思う。
この会議でわたしが学んだことは、たんに良いものを作ればいいというのではなく、誰に対して、どう見せて、どんなストーリーを作って惹きつけるのかという会議の参加者たちの意識の高さだ。
ちなみに、わたしのファッションの知識やセンスよりも褒められたのはプレゼンの資料だった。
……可恋が作ってくれた。
いいもん。
いまはまだ全然可恋に敵わなくても、きっといつかは……。
そんな決意を新たにした一日だった。
††††† 登場人物紹介 †††††
陽稲:聞いてよー! わたしのことより、みんな可恋の資料ばかり褒めていたんだよ!
可恋:それは光栄だね。
陽稲:慰めてくれないの?
可恋:膨れない。だって、ひぃなは挫折した訳じゃないんでしょ。ますますやる気に満ちているように見えるよ。
陽稲:それは……そうだけど……。
可恋:ほら、これ。
陽稲:え? これって……リボン!
可恋:高木さんの叔母さんの伝手でコストについて調べてもらってたの。その人が実作して、それを送ってくれたのよ。ギリギリ間に合ったね。
陽稲:すごい!
可恋:コストについては参考程度だけど、リベンジ頑張って。
陽稲:うん! 可恋、ありがとう!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます